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参考にして下さい。
ニックネームを「あほうどり」にしたら、「不適切な言葉」としてはねられました。
それで「アホウドリ」になっています。
何が目当てだったかというと、梯實圓和上の標題の文です。
↓↓↓↓
「註釈版聖典七祖篇」を読む その一
七祖聖教の「当面読み」について 浄土真宗聖典編纂委員会
このたび教学研究所の浄土真宗聖典編纂委員会より、『註釈版聖典七祖篇』が刊行されました。さきに出版された『原典版聖典七祖篇』に基づいて、くわしい註釈を施したものです。そこでこの『註釈版聖典七祖篇』の特色を解説するにさきだって、『原典版聖典七祖篇』の特徴である「当面読み」と私どもが呼んでいる読み方についてまず触れておきたいと思います。
「当面読み」とは、あまり聞きなれない言葉ですが、お聖教を文面どおりに読むことです。先哲がよく「文の当面」とか「文の当分」といわれていたことを「文の当面どおりの読み」といい、略して「当面読み」といっているわけです。蓮如上人が「聖教は句面のごとくこころうべし」といわれたものに当たります。「当面」とは、「目の前に存在すること」で、文面に見えているままということです。「当分」とは天台学などで、跨節に対する言葉として用いられ、文面に見えているままの法義のことをいいます。それに対して、文面には直接表われていないが、法義のうえから文面を超えて(跨いで)解釈することを跨節というのです。
七高僧のお聖教になぜ「当面読み」が必要であったかといいますと、親鸞聖人が、『教行証文類』などに七高僧のお聖教(漢文)をご引用になるときに、しばしば文章の当分とは違った読み方をされていたからです。もちろんそれは決して聖人の恣意に依るものではなく、深遠な信心の智慧をもって、阿弥陀如来の本願の文脈に遵い、祖師方のご本意をお見通しになったうえでの読み替えでした。しかし少なくとも漢文の常識を超え、また原文の文脈をこえた読み方(訓点)が随所になされているわけです。実はそこにこそ、他の追随を許さない「浄土真宗の宗祖」としての親鸞聖人の面目があるわけです。
しかしもし、親鸞聖人がおつけになったままの訓点をもって七祖のお聖教を拝読しますと、いくつかの問題が出てきます。第一には、親鸞聖人が言われることは、すでに七高僧がすべていわれていたことであって、聖人の独自性は何もないことになり、聖人のみ教えの特徴も、聖人のご苦労もかえって見えなくなるということです。聖人はつねに「愚禿すすむるところさらに私なし」と仰せられていたと言われています。たしかに、聖人は、仏祖のみ教えに素直に信順するという姿勢に終始されていました。しかしまた、そのようにして仏祖のみ教えによって育てられた智慧の眼(択法眼)によって、私どもには読みとれない仏祖の真実義を見抜き、開示するという偉業を達成されたのでした。七高僧がいわれていることを、ただ鸚鵡返しのようにいわれたと見るならば、かえって親鸞聖人の独自性(ご己証)がかくれてしまい、浄土真宗の宗祖としての面目が薄れてしまいます。
第二に、親鸞聖人の訓点をもって、七高僧の聖教を読みかえるならば、お一人お一人の独自性が見えにくくなります。たとえば曇鸞大師は、天親菩薩の『浄土論』を註釈して。『論註』を著されたのですが、それはただの註釈書ではなくて、私どもが読んでも決して読みとることのできない深い義理を『浄土論』の中に読みとって開顕されていました。ところがその『論註』に示されてはいたが、誰もその重要性に気づかなかった「他利利他の深義」を見抜いて、『論註』の上に大悲往還の回向を読みとられたのが親鸞聖人でした。また法然聖人は、「偏に善導一師による」といって、善導大師のみ教えの通りに伝承したと仰せられていますが、実際に善導大師のお聖教と、法然聖人の『選択集』をはじめとする多くの法語を比べてみますと、随分違った法門の発揮が見られます。その法然聖人が『選択集』にご引用になっている善導大師の『観経疏』の文章の読み方と、同じ文章を親鸞聖人が『教行証文類』に引用されたときの読み方とでは、大きな違いのあることがわかります。そういうこともあって浄土宗(鎮西派)の学者たちは、「親鸞は、廃師自立(師匠に背いて勝手に自分の義を立てた異端者)である」と非難したものでした。
しかしそんな宗派的な感情論は別として、七高僧のお聖教を子細に拝読すると、曇鸞大師にせよ、道綽禅師にせよ、善導大師にせよ、法然聖人にせよ、お一人お一人がそれぞれ画期的な浄土教学を展開されていたことがわかります。そうした七高僧の独自性は、まず祖師方のお聖教を正確に拝読することによってのみ知ることができます。そして、さらに親鸞聖人のご指南を受けるときはじめて、祖師方のお聖教を一貫している深義を領解することもでき、また、浄土真宗の伝統の祖師としてこの七人を選び取られた親鸞聖人の卓越した七祖観を知ることもできるわけです。
第三に、『教行証文類』のような漢文の聖教のなかで独自の訓点をつけて引用された場合には、原文と、聖人の訓点との違いがよく分かり、七高僧の原文と比較して、聖人のみ教えの独自性を確認できるという重層的な読み方が可能です。逆に七祖聖教の漢文に、聖人の訓点をつけた場合も、重層的に読むことは出来ます。しかし『註釈版聖典七祖篇』のように訓読の書き下し文だけを掲載する場合や、とくに現代語に訳した場合には事情が変わります。そして『原典版聖典七祖篇』はそこまで見越した編纂だったわけです。
たとえば『論註』下巻の「起観生信章」に示された五念門は、原文は願生行者のなすべき行として明かされています。聖人も「信文類」で第二讃嘆門の釈文を引用されるときは、願生者のなすべき讃嘆行(称名)として明かされていました。ところが、第五回向門の釈文を引用されるときには、阿弥陀仏の回向とみる訓点をつけられています。すなわち当面読みならば、
云何が廻向する。一切苦悩の衆生を捨てずして、心に常に作願し、廻向を首と為す。大悲心を成就することを得むとするが故なり。廻向に二種の相有り。一には往相、二には還相なり。往相とは、己が功徳を以て一切衆生に廻施して、共に彼の阿弥陀如来の安楽浄土に往生せむと作願するなり。還相とは、彼の土に生じ已りて、奢摩他・毘婆舎那を得、方便力成就すれば、生死の稠林に廻人して一切衆生を教化して、共に仏道に向かふなり。もしは往、もしは還、皆衆生を抜さて生死海を渡せむが為なり。是の故に「廻向為首得成就大悲心故」と言へり。(『原典版聖典 七祖篇』 一二一頁)
と読むべき文章なのです。ところが「信文類」(「行文類」や、三経往生文類』も)の引文は、
「いかんが回向したまへる。一切苦悩の衆生を捨てずして、心につねに作願すらく、回向を首として大悲心を成就することを得たまへるがゆゑに」とのたまへり。回向に二種の相あり。一つには往相、二つには還相なり。往相とは、おのれが功徳をもって一切衆生に回施したまひて、作願してともにかの阿弥陀如来の安楽浄土に往生せしめたまふなり。還相とは、かの土に生じをはりて、奢摩他毘婆舎那方便力成就することを得て、生死の稠林に回人して、一切衆生を教化して、ともに仏道に向らしめたまふなり。もしは往、もしは還、みな衆生を抜いて生死海を渡せんがためにしたまへり。このゆゑに回向為首得成就大悲心故」とのたまへり」(『註釈版聖典』二四二頁)
となっています。ここで「回向したまふ」とか「回施したまふ」とか「往生せしめたまふ」と敬語を使われているのは、回向の主体を願生行者ではなくて阿弥陀仏(法蔵菩薩)とみなされたからです。しかし回向門だけを如来の回向として、主体を変えて『浄土論』や「論註」を読むならば文脈が乱れてしまいます。また五念門の主体をすべて阿弥陀仏(法蔵菩薩)とみなして、『浄土論』や『論註』の文章を拝読するならば、法蔵菩薩が阿弥陀仏を礼拝し、讃嘆し、阿弥陀仏の浄土を願生し、観察するという奇妙な文章になってしまいます。そこで『浄土論』や『論註』の文章は、文面通りに読まなければならないわけです。そもそも親鸞聖人が、「願力成就の五念門」といわれたのは、「義によって語に依らず」という立場での釈顕であって、文章の表面的な読み方の問題ではなかったわけです。
第四に、『教行証文類』のように、本願力回向の思想に立脚して著されている書物のなかで、その引用文が如来回向を顕す文章として読み下されても、現代語に訳されていても少しも違和感はありません。しかし『浄土論』や『論註』の中で、ある部分だけを本願力回向を表す文として読み下しますと、前後の文章とつながらなくなる恐れがでてきます。「散善義」の三心釈について、聖人が真実と方便とに読み分けられた場合も同じようなことがいえます。ことに至誠心釈の独自の読み方は、法然聖人の示唆を受けられたに違いありませんが、まぎれもなく親鸞聖人のご己証でした。
こうした理由から七祖聖教は「当面読み」をおこない、親鸞聖人が法義を発揮するためにつけられた独自の訓点と区別することになったのです。これによって、七高僧のそれぞれの教学を正確に学ぶことができると同時に、親鸞聖人のご己証もまた明確に学びとることができるわけです。そのような学習の便宜を図るために「原典版聖典七祖篇」では、親鸞聖人の独自の訓点を巻末に一括して掲載し、七祖の聖教の該当部分との比較ができるようになっています。このたびの『註釈版聖典七祖篇』では、もっと簡単に比較できるように。「脚註」に親鸞聖人の訓点が記載されています。
(梯 實圓)
タグ : 梯實圓
(http://goo.gl/TirKz)
この「同一性」について理解を深めるために、山内得立氏の説明を紹介します。
第二 ロゴスの展開
(略)
同一性の判断は、事物がそれ自らをそれ自らとして、それ自らに於いて断定することである。事物は時々刻々に変化してやまぬものであるが、それにも拘らずそれ自らを維持し、それ自らとして有らんとする。この自己同一性なしには事物は存在し得ぬ。事物が有るというのは或るものとして自らを保持することであり、変化の中に不変なるものを失わぬことによってそれ自らであり得る。自己同一的であり、自同性を保つことによってそれ自らとしてあり、決して他でないものとして有りうるのである。しかしそれと同時に自己が自己でありうるのは他と区別することによってであり、自他を分別することなしには自己を堅持することができない。自己とは他者に非ざるものであり、他者は自己ならざるものである。自他の分別なきところに他者はなく、自己もまたあり得ない。自が自であるのはそれが他でないことによってであり、他が他でありうるのはそれが自に非ざる故にである。有るものを或るものとして決定するのはそれ故に却って否定の上に立っている。omnis determinatio est negatioということは茲に於いて妥当するが、我々にとっては、ロゴスが単に肯定ではなく常に否定を伴って初めて、その機能を完うするということが大切である。ロゴス的であるというのは否定すべきものを否定し、肯定せらるべきものが肯定せられるということであった。その執れが先であり、根本的であるかということよりも、肯定は否定なしには、否定は肯定なくしては共に成立しないということがより肝要なのである。それはロゴスが先ず肯定と否定とに分別せられ、この分別なしにはロゴスは論理として働くことができない。論理とは正しい判断であり、判断は肯定か否定かの執れかでなければならなかった。(以下略)
『ロゴスとレンマ』(山内得立著 27頁)
omnis determinatio est negatioはスピノザの言葉で、「すべての規定は、否定である」という意味です。
(中略)
動物に救われた人間が恩を仇で返すということ、動物でさえ恩を忘れないのに、人間は自分を助けてくれた者の恩を忘れてしまう。そのようなことが、人間そのものに大きな問題を投げかけている。
『原始仏教から大乗仏教へ』(中村元著 春秋社)62頁より
出典は
『根本説一切有部毘奈耶破僧事』第十五巻
『仏典Ⅰ』(世界古典文学全集第六巻 筑摩書房)
『六度集経』第一巻
など
六牙象ジャータカも同じような話ですね。
ウィトゲンシュタインに最も近かった弟子の一人マルカムは、その著『ウィトゲンシュタイン――ある回想』(原文51ページ)において、次のように言っています。
或る日、我々〔ウィトゲンシュタインとマルカム〕が一緒にいたとき、彼は哲学についてハッとするような所見を述べた。彼は次のように言ったのである。
「哲学的混乱に陥っている人は、或る部屋の中に居てそこから脱出しようとしているが、しかしどうしていいか解らないでいる人、に似ている。彼は窓から脱出しようとするが、窓は高すぎる。彼は煙突から脱出しようとするが、それは細すぎる。しかし、もし彼が振り向きさえすれば、ドアはずっと開け放されていたのだ、という事に気づくであろう!」
-----------------------------引用は以上です
ウィトゲンシュタインが言ったことは「哲学的混乱」に限ったことではないと思いますね。いろいろな事象に当てはまるのではないでしょうか。
(誤字などは写し間違いですので、もしお気づきになられましたらご連絡下さると幸いです)
真宗教団における異端の思想 特に善知識帰命について(一)
伝道院紀要15号所収 昭和49年
http://goo.gl/1elt
真宗教団における異端の思想 特に善知識帰命について(二)
伝道院紀要16号所収 昭和50年
http://goo.gl/AAqp
タグ : 山田行雄
タグ : 紅楳英顕
はかりなき 命のほとけましまして
われをたのめと よびたまふなり
(足利義山師)
上来、<無量寿経>と<阿弥陀経>における「信」の原語を取り上げてみたが、これによって、その特徴的な形態を明らかにすることができよう。まず五種の原語の中で(一)の「信」と(四)の「信順」の二種の原語は両経に共通しているが、(二)の「浄信」と(三)の「信解」は<阿弥陀経>に用いられず、他方(五)の「信受」は<無量寿経>に用いられていない。この事実から判断すると、両経の信の形態には相違点があることを認めなければならない。もちろん、これは原語の上から見たものであり、両経の説相・分量などを勘案すると、本質的な相違というわけではないが、ともかくこれによって両経の成立事情が異なっていることを窺うことができよう。
ところで、(一)の原語のシュラッダーというのは、インド一般で信を表す語であり、バラモン教やヒンドゥー教あるいはジャイナ教などインドの各宗教すべてが用いるものであるから、この語の上からだけでは、仏教における信の特徴を汲みとることはさしあたり困難であろう。もっとも、前記のように、<無量寿経>ではシュラッダーを慧と並べて説いており、これは原始仏教に遡及して顕著に認められるものである。ただ、原始仏教では信と慧とがいかに相即するかという点について種々な考察を行っているが、<無量寿経>では何も触れていない。したがって、シュラッダーの語に関する記述だけによって、浄土経典における信の特徴的な形態を解明することは困難である。
ところが、(二)の原語プラサーダと(三)の原語アディムクティという語をもって信を表すのは、インドの各宗教ではほとんど認められないから、仏教独自の用法であると言ってよい。また、(四)と(五)に出る動詞のうちで、(五)の用法はインド一般の信と相通ずる点があるが、(四)の用法は仏教特有のものと見てよい。したがって、こうした原語の用法の中に仏教における信の特徴的な形態を見出すことが可能である。それは、まとめて言えば、次の二つになるであろう。
第一の特徴的な形態は、プラサーダによって示されるように、心が澄みきって浄らかとなり、静かな喜びや満足が感ぜられる境地をさす、ということである。これは、仏教の信が、決して熱狂的、狂信的なものではなく、むしろ沈潜的、静寂的な特徴を備えていることを表している。<無量寿経>には、後にも触れるように、プラサーダが三昧(samādhi)と結びつけて説かれる用例があるが、これはすでに原始仏教に見出される用法であり、仏教の信が内面的な三昧・禅定の境地に連なる静寂的性格を持っていることを示している。
第二の特徴的な形態は、アディムクティによって示されるように、知性的な性格を示していることである。前述のように、アディムクティは、対象に対して明確に了解して信ずることを表しているから、知性的なはたらきに即応した信の形態をとっている。<無量寿経>と<阿弥陀経>に共通して用いられる(四)の「信順する」という動詞も、もとは整理・思惟・領解の意を含んでいるから、「信解する」というアディムクティの動詞形と同義語的に用いられたのであろう。こうした信の原語の用法は、仏教における知性のはたらき、すなわち真理を正しく見る智慧を離れてあるものではないことを示している。いわゆる「不合理なるが故にわれ信ず」という信ではなく、むしろ「知らんがためにわれ信ず」という言葉に相通ずると言ってよい。このように、盲目的な信を排し、知性的な性格を持つ信が第二の特徴として指摘されるのである。
以上のような二つの特徴をもつ仏教の信の形態は、浄土経典が原始仏教以来の伝統を受けていることを示しているが、このことをさらに裏づけるものとして、インド思想一般において熱狂的な信を表すバクティ(bhakti,信愛)という語を一度も用いていない事実をあげることができる。バクティは仏教では原始経典から知られていた語であり、特にバクティを説くヒンドゥー教の代表的文献『バガヴァッド・ギーター』は、初期大乗経典と歴史的・思想的に最も接近した文献と見られるから、<無量寿経>や<阿弥陀経>の編纂者たちがバクティを知らなかったはずはない。とすれば、この語を用いなかったのは、これを殊更に無視もしくは採用しなかったと見ることができよう。バクティに相当するパーリ語bhattiは、原始経典でも、わずかであるが現れているが、しかしこれを重視した形跡はない。後代の仏典になると、バクティの使用例はふえるけれども、ヒンドゥー教のように重視して説いてはいない。仏教において、熱狂的なバクティが積極的に受け入れられなかったのは、原始経典以来、信の形態が静寂的な性格と知性的な性格という特徴を持っていたことによるものと考えられる。この意味で<無量寿経>や<阿弥陀経>においてバクティをまったく用いていないのは、原始仏教以来の信の伝統を受けた形態を示していると言うことができるのである。
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注:
・一部特殊な文字は正しく表記されていません。
・<>でくくられた経典は全体を表します。
(例えば、<無量寿経>は、平等覚経、大阿弥陀経、無量寿経、如来会、荘厳経、サンスクリット本、チベット訳その他を表します)
・『』でくくられた経典は、個別のものです。
・原文にある傍点などの強調は省略しました。
-----------------------------------------以下引用
<無量寿経>と<阿弥陀経>のサンスクリット本に現れる「信」の原語としては、次のように五種の語をあげることができる。
(一)信(śraddhā,etc.)
まずあげられるのは、śrad√dhā(真実を置く)という語根から作られたシュラッダー(śraddhā)という名詞とその類語である。<無量寿経>では、この名詞のほかに動詞形のśraddhatteと、これに接続辞abhi-(対して、勝れて)を附したabhiśraddhāiも用いられている。<阿弥陀経>では、名詞形は現れないが、形容詞のśrāddhaと動詞形śraddhādhvam(2.pl.Imperative)が用いられている。シュラッダーとその類語はインドでは最古の『リグ・ヴェーダ』以来、信・信頼の意で最も広く使われている語であり、仏教においても、その最初期からこの語(パーリ名詞形、saddhā)を用いるのが最も普通である。それゆえ、<無量寿経>や<阿弥陀経>はそのような一般的用法に従ったものにほかならない。『無量寿経』では、たとえば東方偈には「人、信慧あること難し」とあるが、これはサンスクリット本の「信(śraddhā)と慧(prajñā)も、非常に長い時間を経て得られるであろう」に相当する。このように「信」と「慧」を並説するのは『平等覚経』『如来会』の相当句を見ても同じである。また、『阿弥陀経』の後段(「発願不退」の段)には「もろもろの善男子・善女人、もし信ある者は……」とあるが、「信ある」の言語はśraddhaである。玄奘訳では、これを「浄信ある」と訳している。
(二)浄信(prasāda,etc.)
信の原語として次にあげられるのは、プラサーダ(prasāda)である。これは<阿弥陀経>には出ないが、<無量寿経>では、名詞形prasādaのほかに、過去分詞形prasannaもかなり用いられている。語根pra-√sad(しずめる、浄化する、喜悦する、満足する)に由来する語で、漢訳(新訳)で「澄浄」と訳しているのは、よくその原義を表したものと言ってよい。「清浄な心」(citta-prasāda;prasanna-citta)というのは、心が澄み、浄化され、喜悦し、満足する状態をさすのである。ゆえに、この語には、元来、信の意味は含まれていない。しかるに、<無量寿経>ではこれをもって信を表しうると見なしたのである。われわれは、以下この語に漢訳経典に出る「浄信」の訳語を当てるが、これは右記のようにシュラッダーに当てる場合もあるけれども、やはりプラサーダの訳語として最もふさわしいものと考える。もちろんプラサーダを用いるのは<無量寿経>特有のものではなく、もとは釈尊の時代からこの語(パーリ語でpasāda;pasanna)をしばしば用いていたのを受けたものである。たとえば、原始経典では仏・法・僧の三宝に対する「信」を表すのに、この語を用いているが、<無量寿経>のサンスクリット本詩句でも、「諸仏の法に対して浄信(prasāda)を得ることができない」とあり、三宝の法に対する「信」にプラサーダを用いる点は同じである。『無量寿経』の相当句では「以てこの法を信じ難し」とあって「信」の訳語を与えており、『平等覚経』『如来会』の相当句でも同様である。
<無量寿経>におけるプラサーダの用例をあげると、このほかにもいろいろある。念仏と信心との関係を示す用例については後述するとして、たとえば先に取り上げた『無量寿経』第三十五願(女人往生願)についてみると、「それ、女人ありて、わが名字を聞きて歓喜信楽し、……」とある文は(第二節第二項二)、サンスクリット本(第三十五願)では「女たちが、わたくしの名を聞いて、浄信(prasāda)を生じ、……」とあって、「歓喜信楽」がプラサーダに当たることが分かる。同じく前に触れた『無量寿経』の流通分に「歓喜踊躍乃至一念」、「一たびでも心の浄信を」(antaśa ekacittaprasādam api)に当たるから、「歓喜踊躍」がプラサーダに対応している。こうしてみると、「信楽」はプラサーダに相当することは明らかであるが、また「歓喜」とか「踊躍」というのもプラサーダの一面を表出した訳語であり、信の内容を表したものと見ることができるのである。
なお、『無量寿経』には相当語がないけれども、サンスクリット本を見ると、「王が恵み(prasāda)を示さない限りは」という文脈に出るプラサーダは、「恵み」「恩寵」の意味を表すインド一般の用法に従っている。これは、<無量寿経>において信を表す場合にプラサーダを用いるのが、決して不用意なものではなく、原始仏教依頼の伝統用法を明確に意識していた事実を示している。
(三)信解(adhimucatye,etc.)
右のプラサーダと同じく<阿弥陀経>には出ないが、<無量寿経>に出る信の原語として、アディムクティ(adhimucatye)の類語があげられる。アディムクティという名詞そのものは現れないが、この語から作られた形容詞adhimuktikaが用いられ、また動詞adhimucyate,過去分詞adhimuktaが用いられている。これらは、語根adhi-√muc(その上に〔心を〕解放する、その上に心を傾注する)に由来するもので、漢訳では「信解」とか「勝解」という訳語を与えている。このような訳語からも窺われるように、仏教の伝統的解釈によると、アディムクティ(パーリ語でadhimutti)とは、対象に対して明確に決定し了解し判断する心作用をさすものと解されている。したがって、これが信の原語として用いられることは、信を知性的なはたらきに即応するものと見たことを表しているが、その用法はすでに原始経典にさかのぼって顕著に認められる。たとえば、一切諸法が無常であることを「信じ信解する」(saddahati adhimuccati)というように、信と信解とを同義語として用いているが、無常法というのは「知る」(√jñā,√via)とか「見る」(√paś,√drś)とか言われるべきものであり、換言すれば「慧」(paññā)の対象となるのであるから、ここで示される信の内容は、智慧に極めて接近したもの、いわば知性的なはたらきに即応すべきことを表しているのである。
信と信解の同義語的用法は<無量寿経>では「諸仏世尊のとらわれのない智を信順し、信じ、信解する」(avakalpayanty abhiśraddadhaty adhimucyante)という文脈に見出されるが、「信順し」の原語については次に述べるとして、ここでは「信じ」と「信解する」とあわせて三つの動詞(いずれも三人称・複数形)が同義語として用いられている。この文に相当する『無量寿経』では「明らかに仏智ないし勝智を信じ、もろもろの功徳をなして信心廻向せん」とあり、これら三つの語を区別して訳していない。思うにこれらは、いずれも「信」もしくは「信心」の意を示すために、区別して訳出する必要を感じなかったものであろう.
(四)信順(avakalpayati)
これは、<無量寿経>において、右の「信解」とともに「信心」の同義語としてあげられる動詞avakalpayanty(3.pl)である。『無量寿経』では三つの同義語を区別する訳を与えていないが、同様なことは『阿弥陀経』にも認められる。六方段が終った後(「諸仏護念」の段)に「汝らみなまさに我が語及び諸仏の所説を信受すべし」と説かれるが、サンスクリット本によると、「ここで〔そなたたちは〕わたくしとかれら仏・世尊たちとを信ぜよ、信受せよ、信順せよ(śraddhādhvam pattīyathāvakalpayatha)」とある。ここに命令形のāvakalpayatha(2.pl)が三つの同義語の一つとして出てくるが、羅什訳ではこれらを合わせて「信受」という一語で訳している。玄奘訳では「信受領解」と訳しており、「領解」という語を加えている。注意すべきは、サンスクリット本でも、マックス・ミューラー刊本によると、右の句は「信ぜよ、信受せよ、疑ってはならない」(śraddhādhvam prattīyathā mākānksayattha)となっていることである。しかし諸悉曇本を参看すると、マックス・ミューラー氏の読み方は採用しがたく、「信順せよ」の読みを採るべきである。avakalpayatiという語は、ava-√klpから作られた使役動詞で、インド一般では「準備する、整理する、思惟する」という意味を持つものであるが、仏教サンスクリット語としては、これを信の同義語と見なし、「信順する」「信頼する」というほどの意味に用いられるのである.この語はパーリ語のokappati,okappeti(準備する、いsん順する)に当たり、部派文献では信の同義語として用いられているから、<無量寿経><阿弥陀経>の用法は、こうした伝承に対応したものであろう。<法華経>など他の初期大乗経典でも、同様にこの語を信の意味で用いている。
(五)信受(pattīyati)
これは<阿弥陀経>において、右の「信順」と同様に、命令形pattīyatha(2.pl)として用いられている語である。マックス・ミューラー刊本ではprattīyathaとなっているが、諸悉曇本にもとづいてpattīyathaの読みに改める。この語は<無量寿経>には現れないが、<阿弥陀経>では、右の用例のほかに、六方段の一々において、「そなたたちは、この“不可思議な功徳の称讃、一切の仏たちの摂受”と名づける法門を信受せよ(pattīyatha)」という文に用いられている。『阿弥陀経』ではこの語を「まさに信ずべし」(当信)として「信」の訳語を与え、玄奘訳では「信受」の語を当てている。pattīyatiという語は、語根prati-√i(or √yā)(受け入れる、許す、信ずる)に由来すると見られるが、この語根から作られた古典サンスクリットの動詞pratyetiあるいは名詞pratyayaは、インド一般においても信の意味で用いられている場合がある。仏教サンスクリットとしてのpattīyati(or prattīyati)は、北伝の部派文献や<般若経><法華経>などの初期大乗経典にも信の意味で用いられており、南方上座部でもpattiyāyati(信受する、依止する)というパーリ語が使われているから、<阿弥陀経>の用法は、これらと共通したものであることが知られる。
ちなみに、『阿弥陀経』末尾(「釈迦讃歎」の段)には釈尊が五濁悪世において「この一切世間難信の法を説く」とあるが、サンスクリット本によると「難信」は「信じがたい」(vipratyayanīya)という語に当たる。玄奘訳ではこれを「極難信」と訳しているが、vipratyayanīyaという語の由来については幾つかの解釈がある。その中でこれをvipratyaya(不信用)に由来する語と見れば、pattīyatiと語源的に相通ずると言うことができるであろう。
不得外現賢善精進之相 内壊虚仮
http://goo.gl/oPF0
当分には「外に賢善精進の相を現じ、内に虚仮をいだくことを得ざれ」と訓むところを、親鸞聖人が「外に賢善精進の相を現ずることを得ざれと、内に虚仮を懐けばなり」と訓点を施されたということについては今は問題ではありません。
「外」「内」が何を示すのかという点について考えてみましょう。
「外」を身口の二業、「内」を意の一業と解釈する人がいます。
確かに、「不得外現賢善精進之相 内壊虚仮」だけを読むとそのように解釈できないこともないですが、この文の前後を読むと誤りだと分かります。
一応、当分の訓点で読んだ場合のくずした文をあげます。(親鸞聖人の訓みでも今回は同じことです)
一切衆生の身口意業所修の解行、かならずすべからく真実心のうちになすべきことを明かさんと欲す。 外に賢善精進の相を現じ、内に虚仮を懐くことを得ざれ。 貪瞋・邪偽・奸詐百端にして、悪性侵めがたく、事蛇蝎に同じきは、三業を起すといへども名づけて雑毒の善となし、また虚仮の行と名づく。 真実の業と名づけず。 もしかくのごとき安心・起行をなすものは、たとひ身心を苦励して、日夜十二時急に走り急になすこと、頭燃を救ふがごとくするものも、すべて雑毒の善と名づく。 この雑毒の行を回して、かの仏の浄土に生ずることを求めんと欲せば、これかならず不可なり。 なにをもつてのゆゑに。 まさしくかの阿弥陀仏因中に菩薩の行を行じたまひし時、すなはち一念一刹那に至るまでも、三業の所修、みなこれ真実心のうちになしたまひ、おほよそ施為・趣求したまふところ、またみな真実なるによりてなり。
(『註釈版聖典 七祖篇』455ページ)
ここでは、「身口意業所修の解行」が「外」に対応し、さらに「三業を起す」「身心を苦励して」そして法蔵菩薩の「三業の所修」に対応します。「真実心」が「内」に対応し、さらに「貪瞋・邪偽・奸詐百端にして、悪性侵めがたく、事蛇蝎に同じき」、後の方の(法蔵菩薩の)「真実心」に対応します。
つまり、「外」とは「身口意の三業」のことであり、「内」とは三業をなしている時の内心をさします。
「内懐虚仮」とは、当分では内心が煩悩に染まっていること(有漏)を言い、法然聖人は真実信心でないことを言われ、親鸞聖人は両者を踏まえられて、自分には真実心は無く、真実心(信心)が本願力より廻向されることをあきらかにされたのです。
その古川さんが、はじめてここへ参ろうと思われたのが、また妙ですのや……。あの山田の駅を乗り降りする沢山の人の中に、大声でナムアミダブ、ナムアミダブと念仏を称えて、この河崎へ行きかえりする者が相当にある。それを他の伊勢参宮の人たちが、あざけり笑うたり、嫌うたりするけれども、一向平気でナムアミダブ、ナムアミダブとやっておる。それを駅長さんが始終見ていて、ああいう気持ちになれたら……ああ無我になることができたら……と思うて、ここへ訪ねて来られまして、
『どうぞ仏法をお聞かせ下さい』
『そんなら、もう駅をやめてからおいでなさい』
『それは…困りますが…』
『困るようなら、もうお帰りなさい。話は簡単ですのじゃ。ハハハハ……』
『それでも私が駅へ出なければ、家内や子供を養うて、働くことができぬようになります』
『そんな安っぽい仏法じゃごわせんわい! ナムアミダブ』
(和上しばらく瞑目、念仏相続の後)
それから十日くらいもたってから、また駅長さんがみえましてなあ……
『もう駅長をやめる決心をつけてきましたから、どうぞお聞かせください』
『さようか……それは結構、ナムアミダブ、ナムアミダブ……駅長さん、それではなァ、ここへ晩だけおいでなさい。それで、晩の六時頃までは、ここへ来るための時間を待つ、というつもりで、駅へでてよろしい……それなら駅長をやめんでもよろしいわなァ……やめた気持ちで時間を待つ……』
ナムアミダブ、ナム……(註・つぶやきの称名)そういうふうで、ここへこられるようになりましてなァ……それからだんだん昇進せられて、今では大阪の運輸局長とやらになってこのあいだも、高等官のピカピカでやってこられました。ナムアミダブ、ナム……」
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石田教授は本派本願寺の論題研究について一家言ある方です。
著作もいくつか市販されていますので、興味のある人は読まれたらいいと思います。
以下引用
「三心一心」等の論題に対して、「二種深信」という論題はやや異なった意味をもつ。「二種深信」とは、信心の相状を明らかにするものであり、善導の『観経疏』の「深心釈」によるものである。そこには『観経』の三心(至誠心・深心・廻向発願心)の中、第二の「深心」について、「深心といふは、すなはちこれ深信の心なり」と言い、それに二種ありとして「機の深信」と「法の深信」が説かれている。「機の深信」とは、「決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかたつねに没し、つねに流転して、出離の縁あることなしと信ず」ということであり、衆生のありのままのありさまを言い、「法の深信」とは、「决定して深く、かの阿弥陀仏の四十八願は衆生を摂取して、疑なく慮りなく、かの願力に乗じて、定めて往生を得と信ず」とあり、衆生を摂取する教法を言うとされる。この二種の深信は、信心の相状を言うものにほかならず、一般的に言えば、浄土教における「信心」という宗教的意識の内容を示すものと言える。
『教行信証』では、「信巻」に、大信釈として善導の三心釈の一つとしての深心釈が七深信として引用され、その初めに「二種深信」があるが、ここでは至誠心釈や廻向発願心釈のように、親鸞独自の訓点が施され解釈が試みられることはない。親鸞の問題意識としては、それほど大きな意味はもたなかったと考えられる。しかし宗学では「二種深信」は重要な論題として、多くの論者によって慎重に論じられている。それは、この二種深信こそ浄土真宗における「信心」ということの独自性を表していると考えられているからであろう。その意味では、「二種深信」を論題としたことは、宗学の大きな寄与と言える。その主眼とするところは、二種の深信といっても別々のものではなく、二種は一具であり、一深心、すなわち真実信心にほかならないとするところにある。
たとえば、甘露院慧海(1798~1854)は、
「この深信と云ふは、本来弥陀の仏智を見きはめ給へる機法両実が、われらが心中に印現したる相を信機信法と云ふ、弥陀は無有出離之縁の機の為に他力法を成じ給ふ、依って本願には十方衆生、成就には諸有衆生と云うて、所被の機をあらはす、この機の為に成じ給へる本願なれば、之を高祖は本願の生起本末との給ふ、生起とは無有出離之縁の機なり、本末とは他力摂生なり、すなはち是が六字の由なり、之を心得たが機法二種の信なり、われらが信体即機法両実を照らし給へるは仏智なれば、信法も亦機法両実なり、かく談ずるときは、信機信法は一具にして離るべきものにあらず」(『真宗百論題集』上、147頁)という。
また老謙院善譲は、
「此二種は即ち弘願信楽にして一心中の二義、二而不一なり、信機は乃ち自力を捨つることを顕し、信法は乃ち他力に帰することを示す。……当流的伝の深信は明了決択、堅固不動、機法の心相全うじて無碍光の仏智なり、仏智を以て機を照す、是れ信機、仏智を以て法を照す、是れ信法、能所不二信即仏智の故に、一点の疑なく、所謂(聞も他力よりきき、思ひさだむるも他力よりさだまるなれば、ともにもって自力のはからひちりばかりもひよりつかざるなり)と、是れなり」(同150頁)と言っている。
あるいは浄満院園月(1818~1902)は、
「他力回向の信心なれば二種なくんばあるべからず、此二種の信は只是れ一信心の妙味なり、自力を捨つる時は必ず信機具する、他力に帰するは即ち信法なり」(同151頁)と言い、
願海院義山は、
「深心とは本願の信楽なり、故に仏願の生起本末を聞いて疑心あることなき、是れ深信二種という所以なり、生起を信ずるを信機といひ本末を信ずるを信法とす」(同160頁)と論じ、またその信相について、
「自力を捨つるを信機といひ、他力に帰するを信法といふなり、……信機とは我が身心の出要に於て毫も用に立たざるを信知するの謂いなるが故に……信法の帰他力なることは蓋し弁を俟たざるべし、此義に由って古老は信機信法とは捨機托法の謂なりと云ひ、或は捨自帰他とす、或は捨情帰法の用なりと記し遺さるるなり」(同162頁)と述べている。
いずれも、「二種深信」という場合、とくに「機の深信」のみを立てて、それが衆生の起こすべき罪の自覚というように誤解されることをおそれて、あくまで捨帰托法をいうものにほかならないことを強調し、二種一具の深信として一信心の相状をいうことを説くのである。その意味で「二種深信」は「信機自力」の異安心に対して、浄土真宗の「信心」は、自ら罪悪生死の凡夫と思い込むことではなく、また衆生救済の教法を理解するということにとどまるものでもなく、捨機托法として、自己を捨てて全面的に仏願に帰することをいうことを明らかにしようとするものである。
このことは、浄土真宗における「信心」の独自な意味を明らかにするものと考えられる。そこに、「二種深信」が論題として立てられる意味があると言えよう。しかし同時に他方では、「二種深信」は、後に示すように、一般に「信」ということの在り方についての深い洞察を示しているように思われる。しかし、そういう点に着目せず、論題としてのみそれを論じ、真宗教学の中に位置づけようとしたところに、論題研究そのものの問題点があり、親鸞の宗教思想全般に対する寄与を明らかにし得なかった理由があると考えられる。それについては、後に『教行信証』各巻をめぐって考えるときに、改めて論じることにしたい。
以上引用
『教行信証の思想』pp47-50
(石田慶和著 法蔵館刊 2005年11月20日発行 ISBN4-8318-3828-4)
※『真宗百論題集』からの引用部分は改段してあります。
「二には深心」と。 「深心」といふはすなはちこれ深く信ずる心なり。 また二種あり。 一には決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかたつねに没しつねに流転して、出離の縁あることなしと信ず。 二には決定して深く、かの阿弥陀仏の、四十八願は衆生を摂受したまふこと、疑なく慮りなくかの願力に乗じてさだめて往生を得と信ず。
とあるのご文が、この論題のよりどころであります。
ところで宗祖聖人のお釈によりますと、『観無量寿経』には顕説と隠彰の両様の意味があるといわれます。その顕説というのは経文の上に顕著に示されてある側の法義であって、第十九願の要門の義であり、隠彰というのは経文の上ではさかんに説かれてなく隠微に示されてあるが、それは第十八願の法義であるとされてあります。したがって三心の意義もこの隠顕の両方の義にわたってくるのであります。そこで深心も両様にうかがわれるのでありますが、いまこの二種深信という場合はその隠彰の義すなわち第十八願の法義に限るものとするのであります。
『散善義』の釈文の初めに、まず、
「深心」といふはすなはちこれ深く信ずる心なり。
とあるのは、『大無量寿経』の第十八願成就の文に「聞其名号信心歓喜」とあるその信心の語をもって『観経』の深心を解釈されるのであって、深心の本義は第十八願の意にありとされる意味であります。
そこで次に「また二種あり」といわれる「二種」は第十八願の信心すなわち純粋なる他力の信心を両方に開いて示されるのであって、二種とあっても別のものでないことがわかるのであります。
その「二種あり」といわれるうちの初めはいわゆる「機の深信」というのであって、お名号の至りとどいた人すなわち信心を得た人にあっては自分の本来のすがたを知らされた側をあらわすのであります。自分本来のすがたというのは無始よりこのかた生死の境界をめぐって来て、今日只今も妄念の心しばらくも止むことなく貪欲・瞋恚の思いがいつも起こっており、したがって未来永劫迷いをでることのできぬのが自分の実情であると知らされるのであります。知らされるというのは「聞其名号信心歓喜」の「信心」の内容であってみれば、名号の到り届いたところにあらわれるものでありますから、機の深信といっても自分が知るのではなくして知らしめられるのであります。過去・現在・未来にかけて三界生死を離れることのできぬ自分ということを知らしめられることを機の深信とするのであります。その三世にわたって生死を出られぬと知らしめられた心の内容というのは、自分では生死を出られるような行のできぬこと、すなわち自分の力の役に立たぬことを知らされることであり、自力の心を全く離れること、自力心のすたったことをいうのであります。
次に法の深信というのは如来の法のありのままを知らしめられることであります。その如来の法というのは名号のいわれであり、名号は本願の成就した果号であります。いまのご文では「阿弥陀仏の、四十八願は衆生を摂受したまふこと」と示されるのであります。「四十八願」とありましても実は第十八願のことであります。深心釈のうち宗祖の申される第七深信の文に「一心にもつぱら弥陀の名号を念じて」などと申されるところに「かの仏の願に順ずるがゆゑなり」とある仏願と同じでありますから第十八願のことであります。その「法」は我ら衆生を摂めとってくださる願力の独用、名号のはたらきで往生させてくださることを「衆生を摂受したまふこと」といいます。「疑なく慮りなく」というのは「かの願力に乗じて」という乗の意味でありまして如来の願力に対していささかの疑いもなく慮りもなくうちまかせた心ぶりを「疑なく慮りなく」といいます。「かの願力に乗じて」の「乗」の意味は『行文類』に「駕なり」「登なり」とお示しなされてありまして、駕に乗れば駕にまかせ、船に載せられたら船の運びにまかせるごとく、何ら気がかりもなくうちもたれた心ぶりをいうのであります。
そこで信機・信法二つになっていましても一つの信相を示されるのであります。自己の本来の相を知らしめられたところに己の力を用いんとする心がすたり、本願のありのままを知らしめられるから願力にうちもたれるのであります。そこで己の功を用いんとする心のすたったままが願力にうちまかせたのであり、願力にうちまかせたままが自力心のすたったのであります。これを「捨機託法」といいます。「捨機」とは機の功を用いんとする自力の心のすたったことをいうのであり、「託法」というのは法に乗託する、すなわちうちまかせた心でありますから、この二つは願力を仰ぐ喜びの心を両方から述べたことであります。
また願力の法というものは三世にわたって出離の縁のない機のために成就されたもので、『信文類』に聞其名号の「聞」の意味を解釈されて、
「聞」といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。
と述べられてあります。その生起本末という「生起」とは本願の起こらねばならぬ「もと」ということでありまして、その「もと」とは生死輪廻のはてなき我ら衆生のことであります。「本末」というのは法蔵因位の願と行とを「本」とし、十劫の正覚の成就を「末」とします。そこで「生起」は機であり、「本末」は法のことになります。したがって法は機のためにあるので、機を離れた法はないことになります。このように機と法とは離れられぬ一具のものでありますから、信機・信法の二種も一具ということになります。捨機託法といえば捨機即託法であり、信機・信法といえば二種一具ということになります。いずれの言い方にしましても二種深信は他力の信心、第十八願の信楽のすがたをあらわされたものにほかならぬのであります。
『往生礼讃』の前序の文にまた三心のご解釈がありまして、その第二の深心の釈が二種となっております。その文というのは、
二には深心。すなはちこれ真実の信心なり。自身はこれ煩悩を具足する凡夫、善根薄少にして三界に流転して火宅を出でずと信知し、いま弥陀の本弘誓願は、名号を称すること下十声・一声等に至るに及ぶまで、さだめて往生を得と信知して、すなはち一念に至るまで疑心あることなし。ゆゑに深心と名づく。
とあります。初めに「深心すなはちこれ真実の信心なり」とあるのは『散善義』の釈と同じく本願成就文の信心をもって『観経』の深心を解釈されて深心の本義は第十八願の義にありとされるのであり、そこでそれを開いて信機・信法の二種とされるのであります。「信知」という語が二度置かれてあるのは、その意であります。
その初めの機の深信の文において、「自身はこれ煩悩を具足する凡夫、善根薄少にして三界に流転して火宅を出でず」とあって『散善義』の方に「現にこれ罪悪生死の凡夫」などとあるのと文の相が少し異なるように見えますが、その意は同一であります。「出離の縁あることなし」というのも「三界に流転して火宅を出でず」というのも同一のことであります。『礼讃』の方には「善根薄少」といい、『散善義』の方に「罪悪生死」とあるのは、ただこれ言葉の緩急の別だけであります。その法の深信の文にあっても『礼讃』の方には「本弘誓願は、名号を称すること下十声」などといって称名を出してあるが、『散善義』では後の方にある、いわゆる第七深信のうちの就行立信の文に「一心にもつぱら弥陀の名号を念じて」などといって称名をあげ、次に「これを正定の業と名づく、かの仏の願に順ずるがゆゑなり」と第十八願に順ずるの行としてあるのと何ら異なるところはありません。『散善義』は『観経』の文を釈せられるものであるから深心についても広く解釈せられ、『礼讃』は序文の中であるから簡単に示され、『散善義』のいわゆる第七深信の「順彼仏願」の称名を第二の深信の中に摂めて示されるのであります。
次に、この二種深信は第十八願の信心についてのみいわれるので、方便の願である第十九の願や第二十願の信にはいわれません。『二巻鈔』の下巻に宗祖聖人は初めに二種深信の文のみをあげて、
いまこの深信は他力至極の金剛心、一乗無上の真実信海なり。
と示され、その後に「文意を按ずるに」などといって、七深信をあげられてあります。それで信機・信法の二種深信は弘願の信に限るとされるのであります。
次にこの二種深信は勿論初起・後続に通ずるのであって一生涯にわたって相続する心相であります。かの二河白道の解釈において貪瞋煩悩は一生涯にわたって続いているのであり、白道の信心ももとより一生相続の信とされてあります。白道の行者となった他力信心の人でも、その性得の根性は一生涯にわたって同じことであって地獄一定のものであります。あたかも石の重さが、その陸上にあるとき百貫のものは、船の上に載せてからでも同じく百貫の石であります。すなわち石でそれ自体は水に沈むのがその性質であります。その船上に載せて沈まぬのは沈む石の重さより浮き上がらしめる船の力が勝るからであります。それがごとく行者の自性は生死の海に沈むべきものでありますが、阿弥陀仏の大願業力の押し上げる力が勝るものであるから地獄一定の性得の凡夫が彼岸の浄土に到るのであります。
このように性得の機の無功であって、ただ願力の法のみによるの意義は初起も後続も一貫して変わりがないのであります。
『最要鈔』に、
信心歓喜乃至一念のとき即得往生の義治定ののちの称名は仏恩報謝のためなり。さらに機のかたより往生の正行とつのるべきにあらず。
とあり、『口伝鈔』には、
されば平生のとき、一念往生治定のうへの仏恩報謝の多念の称名とならふところ、文証・道理顕然なり。
と示され、そのほか蓮如上人の『御一代記聞書』『御文章』などにしばしば述べられてあります。
「称名」とは第十八願の上に「乃至十念」とある相続の行のことであって、本願の行者が信心を得たる後に口に南無阿弥陀仏と称える声のことであり、「報恩」とはこれを称える心もちはその称名の功を往生の因とするのではなく、ただ広大な仏恩を喜ぶ心のほかなきことをいうのであります。
信心正因の義より称名報恩の義が出てくるのであるから、称名報恩ということはいよいよ信心正因を明らかにするのであります。
したがってこれは第十九願に「発菩提心修諸功徳」といい、第二十願に「係念我国植諸徳本」という方便両願の行とは、本質的に異なることをあらわすのであります。
本願成就文の「乃至一念」の語が信心正因の義を決定するのであるから、称名報恩の義もまたこの文より来るのであります。成就文の「乃至一念」の一念は、「即得往生」の即と照応して信の一念に往生の定まることをあらわすのであります。したがって信後の称名は往生の因に関係なく、ただ仏恩報謝の行業なることがあらわれてくるのであります。
本願の「乃至十念」の称名と成就文の「即得往生」の即の義とを対映すると、信因称報(信心正因称名報恩)の義が出てくるのでありますが、これを七高僧のお釈の上で見られるのが龍樹菩薩の『易行品』弥陀章の釈意であります。かの弥陀章の文のはじめ長行においては第十八願の意を述べて、
阿弥陀仏の本願はかくのごとし、「もし人われを念じ名を称してみづから帰すれば、すなはち必定に入りて阿耨多羅三藐三菩提を得」
とあって、信心と称名とを出されてあるが、次の偈頌には信心のみをあげて称名を出さずに、
人よくこの仏の無量力威徳を念ずれば、即時に必定に入る。このゆゑにわれつねに念じたてまつる。
とあります。この「即時に必定に入る」という文には信心をもって正因とし、称名はその後の感恩の行事ということがあらわれています。そこで宗祖聖人は正信偈に、
憶念弥陀仏本願 自然即時入必定 唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩
とのべられるのであります。
第十九願に「修諸功徳」とある諸行も、第二十願に「植諸徳本」とある念仏も、諸行と念仏との別はあっても、いずれも己の行功を往生の因にあてがう自力の願生であります。故にそのつとめる行業には報恩の義はありません。このゆえに知恩報徳は第十八願の行者の上にのみ語り、しかもこれを現生の利益とするのであります。
『信文類』に第十八願の行者について、現生十種の益を示されてあります。その第八が知恩報徳の益であります。これに対して方便両願の行者には知恩報徳の義のないことをのべて、『真仏土文類』の終りには、
真仮を知らざるによりて、如来広大の恩徳を迷失す。
といい、また『化身土文類』に第二十願の行者の過失をあげて、
まことに知んぬ、専修にして雑心なるものは大慶喜心を獲ず。ゆゑに宗師(善導)は、「かの仏恩を念報することなし。…中略…」といへり。
とあります。『和讃』の中にも第二十願真門の自力念仏の行者を誡めて、
仏智の不思議をうたがひて
自力の称念このむゆゑ
辺地懈慢にとどまりて
仏恩報ずるこころなし
とも示されてあります。
ところで報恩ということはただ称名ばかりに限るのではなく、信心決定後の所作は、すべて知恩報徳の行事であります。『化身土文類』に、
ここに久しく願海に入りて、深く仏恩を知れり。至徳を報謝せんがために、真宗の簡要を摭うて、恒常に不可思議の徳海を称念す。
とあり、『和讃』には、
仏慧功徳をほめしめて
十方の有縁にきかしめん
信心すでにえんひとは
つねに仏恩報ずべし
とあるごとき、著書弘伝などみな報恩のこころより為すことが示されてあります。すなわち身・口・意の三業の所作すべて報恩の為なりとされるのであります。かくのごとく身業の礼拝、口業の讃嘆、意業の憶念、みな信後報恩となるのでありますが、殊にいまこれを口業の称名において語るのは称名をもって代表するからであります。
ところで称名をもって代表するというのは、本願の「乃至十念」にもとづくのであります。本願の乃至十念を称名において語って信後相続の行とすることは、さきにあげた『易行品』の文以下に明らかであります。
乃至十念の念仏は、あるいは正定業と談じ、または報恩の称名といいます。正定業というのは行者の口より出てくる称名は、広大な如来の慈悲すなわち名号が煩悩心の中に満入し、それが声に現れてくるのでありますから、称名の当体が名号であります。そこでその体徳の上から正定業というので、『行文類』に「称名はすなはちこれ最勝真妙の正業なり」とあるのがその意であります。
そうしていまこれを「報恩」というのは行者の称うる心持からいうのであります。さきにいうように、称えてこれを往生の因にあてがうのでなく、ただこれ仏恩報謝のおもいよりほかにないからであります。蓮如上人の『御一代記聞書』に、
弥陀をしかと御たすけ候へとたのみまゐらすれば、やがて仏の御たすけにあづかるを南無阿弥陀仏と申すなり。しかれば、御たすけにあづかりたることのありがたさよありがたさよと、こころにおもひまゐらするを、口に出して南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と申すを、仏恩を報ずるとは申すことなりと仰せ候ひき。
とあり、また、
蓮如上人仰せられ候ふ。信のうへは、たふとく思ひて申す念仏も、またふと申す念仏も仏恩にそなはるなり。他宗には親のため、またなにのためなんどとて念仏をつかふなり。聖人(親鸞)の御一流には弥陀をたのむが念仏なり。そのうへの称名は、なにともあれ仏恩になるものなりと仰せられ候ふ[云々]。
と示されてあります。
乃至十念の称名は仏恩報謝の経営なりというのは法義の性質上、往生の業因決定の後の作業であり、行者の称える心もちよりいうのであって、如来が本願に、信心のほかに乃至十念の称名を誓われたわけは、すでに「十念誓意」の題のところで述べたように、信心はつとめ易く、行じ易い称名として相続せしめることを誓われたのであって、仏が報恩を求められたものではありません。『法事讃』に諸仏世尊の徳を讃嘆する文に、
長劫に勤々として疲労の苦痛を忍びたまふ。 また生のために苦行すといへども、小恩を覓めず、
とのべられてある。阿弥陀仏如来も、もとより本願に報恩を誓われるはずはないのであります。
『教行証文類』「証文類」の如来会引文
またのたまはく(如来会・下)、「かの国の衆生、もしまさに生れんもの、みなことごとく無上菩提を究竟し、涅槃の処に到らしめん。なにをもつてのゆゑに。もし邪定聚および不定聚は、かの因を建立せることを了知することあたはざるがゆゑなり」と。{以上抄要}
『教行証文類』「信文類」 横超釈 義釈
横超断四流(玄義分 二九七)といふは、横超とは、横は竪超・竪出に対す、超は迂に対し回に対するの言なり。竪超とは大乗真実の教なり。竪出とは大乗権方便の教、二乗・三乗迂回の教なり。横超とはすなはち願成就一実円満の真教、真宗これなり。また横出あり、すなはち三輩・九品、定散の教、化土・懈慢、迂回の善なり。大願清浄の報土には品位階次をいはず。一念須臾のあひだに、すみやかに疾く無上正真道を超証す。ゆゑに横超といふなり。
『教行証文類』「信文類」 真仏弟子釈 決釈
まことに知んぬ、弥勒大士は等覚の金剛心を窮むるがゆゑに、竜華三会の暁、まさに無上覚位を極むべし。念仏の衆生は横超の金剛心を窮むるがゆゑに、臨終一念の夕べ、大般涅槃を超証す。
『三経往生文類』
大経往生といふは、如来選択の本願、不可思議の願海、これを他力と申すなり。これすなはち念仏往生の願因によりて、必至滅度の願果をうるなり。現生に正定聚の位に住して、かならず真実報土に至る。これは阿弥陀如来の往相回向の真因なるがゆゑに、無上涅槃のさとりをひらく。これを『大経』の宗致とす。このゆゑに大経往生と申す、また難思議往生と申すなり。
『大無量寿経の現代的意義』(早島鏡正著 pp148-149)より親鸞聖人は「三毒段」に入る直前、「総誡」の一部分を『本典』「信巻」に、「横に五悪趣を截り、悪趣自然に閉ぢん。道に昇るに窮極なし云々」と引用しておられます。ところが、この文に続く「三毒・五悪段」は全く引用しないのです。思うに、聖人にとって「三毒・五悪段」は、中国の儒教的な考え方から仏教の業論を見ており、また人間をとらえるのに、倫理的に人間悪の面で見ているため、それでは不充分だと考えられたのかもしれません。また、宗祖は梵本をお読みになったということはありません。それでも不審に思われたのでしょうか。あまりにも儒教的な要素があるというお考えの上から、ほとんど「三毒・五悪段」を引用なさらなかったのではないでしょうか。そういうご見識を我々は知らされることであります。
〔補足1〕
上記の「ほとんど」ということの意味
広義の「三毒・五悪段」から『教行証文類』に親鸞聖人が引いておられるのは2文です。
1.「かならず超絶して去つることを得て、安養国に往生して、横に五悪趣を截り、悪趣自然に閉ぢん。道に昇るに窮極なし。 往き易くして人なし。その国逆違せず、自然の牽くところなり」(総誡の文)
2.「それ至心ありて安楽国に生ぜんと願ずれば、智慧あきらかに達し、功徳殊勝なることを得べし」(狭義の三毒段が終わった後に、釈尊が弥勒菩薩・諸天人等に往生浄土をすすめておられる文)
しかし、「三毒(貪欲・瞋恚・愚痴)の文」「五悪の文」からは引いておられません。
〔補足2〕
無量寿経下巻の「釈迦勧誡(釈迦指勧分)」は大きく分けると、三毒・五悪段(悲化段)と胎化段(智慧段)となります。
この内「悲化段」は、現存する漢訳5本、サンスクリット本1本、チベット訳1本の7種類の無量寿経中、初期無量寿経(二十四願経)の「大阿弥陀経」「平等覚経」2本と「無量寿経(大無量寿経)」の3本で、無量寿如来会などその他の後期無量寿経(四十八願経)にはありません。また、その他のサンスクリットの断片にもありません。
一方「胎化段」にあたる文ははすべての無量寿経にあります。
無量寿経で大事なのは「四十八願」「念仏往生(成就文)」であることは当然ですが、「胎化段」も非常に重要なところです。
〔参照〕
註釈版聖典第二版「補註5」を読んで下さい。
とりあえず「まとめ」
「十念誓意」という論題は阿弥陀仏の第十八願に「乃至十念」と誓われている意をうかがうというものです。
それは、浄土真宗で「信心正因・称名報恩」と言われますが、信心正因と信一念で往生が決定するのならば、何故第十八願に「乃至十念」の称名念仏が誓われているかということです。
確かに、どこかの会のように称名念仏を軽視している説をとっていきますと、阿弥陀仏の第十八願は
「設我得仏 五逆誹謗正法 十方衆生 至心信楽欲生我国 若不生者不取正覚」
とでも書きなおさねばならないでしょう。
(某会の「本願異解の文」「本願断章取義の文」「本願いい加減の文」とでも名づけましょうか)
ちなみに、善導大師の場合は「本願自解の文」「本願取意の文」「本願加減の文」です。
さて、まず大江和上の「十念誓意」に書かれていることをまとめましょう。
○「念」は称名念仏
○「十」はとりあえずある数を書かれた
○「乃至」には4つの意味がある。(これはどの本にも書かれてありますね)
文釈2-兼両略中、乃下合釈
宗釈2-一多包容、総摂多少
また従少向多、従多向少の2義あり
○親鸞聖人が称名について述べられる場合、3通りがある。
1、往生成仏の因行の法・出離解脱の因法の意味
聖道門・自力・難行道に対して、浄土門・他力・易行道のあらわす。
この場合「称名正定業」「念仏為本」の意。
2、信心正因称名報恩の中の称名
この場合は、称名正因の異義に対する言葉である。
信心正因は称名報恩であり、称名報恩は信心正因である。
称名報恩は信心正因からの必然である。
また「報恩」は称名に限るわけではなく、信後の三業は皆「報恩・報謝」であり、
それを「称名」で代表させている。
蓮如上人がすべて報謝と言われるのはこういう意味。
3、信相続の易行という意
信心がすがたにあらわれたものが称名。
その意味では信心そのものと言ってもよい程。
この場合の「易行」は易行道の易行(=無作)とは異なり、「持ち易い」という意味。
第十八願のご文には「至心信楽欲生我国」と仰せられる三心のほかに、さらに「乃至十念」というお言葉を置かれてあります。これが仏の慈悲が我らの上にいただかれたすがたを、ここに示されたのであります。
ところで真宗のご法義におきましては信心正因といって、三心が涅槃の真因であるということになっております。しかもそれは阿弥陀様のお誓いであるというので、大経の『和讃』に、
と述べられてあります。あれが第十八願のこころをおよみなったのです。そうすると、阿弥陀様ご自身が、信心をもって涅槃の真因とするとお誓いなされたということになっております。至心・信楽・欲生と
十方諸有をすすめてぞ
不思議の誓願あらはして
真実報土の因とする
さらに親鸞聖人は、『信文類』の信楽の解釈のところに、
とおっしゃってありますし、後の本願成就の文のご解釈には、この心はすなはち如来の大悲心なるがゆゑに、かならず報土の正定の因となる。
一心はすなはち清浄報土の真因なり。
と、こういうふうに示されてあります。また『正信偈』の中には「至心信楽願為因」とおっしゃってある。そういうふうに窺いますと、往生の因法、報土に往生する正因は、三心すなわち信心であるということになります。
しかるに本願の上にはさらに「乃至十念」をお誓いなされてあります。どういう思召しで信心のほかにさらに「乃至十念」をお誓いあらわされたのであるかということをうかがうのであります。すなわち阿弥陀様の誓願の上について、これを窺うのがこの題目の意味なのであります。
ところで、この乃至十念について、まずその「乃至」と「十念」の意味をうかごうてゆかねばなりません。これも七高僧や祖師聖人のお釈に基づいて、これをうかがうのであります。
まずその十念の「念」ということでありますが、これは念仏であります。ところが、この念仏が七高僧のお酌の上におきましては、或は観念というふうに解釈をなされ、称念というふうに解釈をなされる場合もあります。
それは『往生論註』には五念門をお示しになってありまして、その五念門の中の観察であります。それから讃嘆、これは称名であります。それでこの両方に通じておっしゃるようにうかがわれる。また道綽禅師も『安楽集』の中に、念仏の語を観念と称念の両方に通じて仰せられてありますし、また後の恵心僧都の『往生要集』には正修念仏の念仏のご解釈を五念門としてあり、しかも『往生要集』の場合には、観が中心になっているようにみえるのであります。
ところが今の念仏というのは称名念仏であります。これはもと龍樹菩薩の『易行品』の中に第十八願をお出しなされて、
阿弥陀仏の本願はかくのごとし、「もし人われを念じ名を称して、…
などと仰せられて、三心十念を「念我称名」と示されてあります。すなわち「念我」とは三心に当たり、「称名」とは十念にあたります。こういうわけで、すでに龍樹菩薩の上に十念と称名とをご覧になって、これを難行に対する易行の法としてお示しになったのであります。
それで、この『易行品』の易行の釈を承けて『論註』の初めにお出しになってあります。その易行道というのが阿弥陀様の第十八願であります。これをやはり曇鸞大師の思召しでは、『論註』上巻の終りの問答の解釈に『観無量寿経』の下下品をお出しなされて、十念念仏の法を示されてあります。さらに『論註』には氷上燃火の釈の中に、この下品下生の念仏をお出しなさるのに何れも称名としてお出しなされてあり、また讃嘆門の破闇満願のお釈も称名でいわれてあります。
道綽禅師も『安楽集』の念仏の解釈にはいよいよのところになりますと称名といたされます。すなわち聖道門と浄土門という名をお出しになられてあるところに浄土門の法を出されるのに、第十八願の文と『観経』の下品下生との意を合わせてお出しなされて、そこにやはり「称我名字」という言葉が出ているのであります。
次に善導大師は明らかに称名で示されて、称名正定業とおっしゃる。法然上人は、それをお承けになって、称名をもって念仏といたされてあります。そうして御開山はその法然上人をお承けになったのでありますから、今の場合の念仏は称名のことなのでありまして、口に弥陀の名号を称えることを「念仏」というのであります。これでまず念仏のものがらがきまってくるわけであります。
次に「十」という文字の意味でありますが、この「十」というのは、道綽禅師の『安楽集』のお釈からうかがいますと、
十念相続といふは、これ聖者の一の数の名なるのみ。
とおっしゃってある。これはどういうことかといいますと、本願の文に「十念」とあるが、数字をあらわす
文字が沢山ある中で、その一つをそこにお出しになされたのであって、十でもよし百でもよし、また三でも五でもいいが、ともかくも一つのまとまった数の名をとって十という字をおかれたのであると、こういうご解釈になっております。ところでこの十念の「十」の意味を伺いますのには、さらにその上につけてある「乃至」という文字のことをうかごうてゆかなければなりません。
そこで「乃至」の意味でありますが、大体この「乃至」という言葉は、一般的な用い方からいいますと、初めのものと後のものを出して、まん中のものを略する場合にこの文字を使うのであります。それで祖師聖人は、『文類聚鈔』の中に「上下を兼ねて中を略するの言なり」といわれてあって、これを昔から「兼両略中の釈」といっております。
ところで、その初と後とを出して、まん中を略するというのに、さらに二つの場合があります。一つには多い方をさきに出して、後に少いのを出す、すなわち多い方から少い方に向かうのを昔から従多向少といいます。次には少い方から多い方へ向かう用い方で、これを従少向多というのであります。お経の中にも「一宝二宝乃至七宝」というような場合、あの文は少い方から多い方に向かっての使い方であります。
もしいま本願の「乃至十念」というのをこの二つの場合に当てはめますと、信心から十念の称名に及ぶということになれば少い方から多い方へ向かうという従少向多の意味になります。
善導大師が『礼讃』の初めの序のところに、
しかるに弥陀世尊、本深重の誓願を発して、光明・名号をもつて十方を摂化したまふ。
といい、次に、
上一形を尽し下十声・一声等に至るまで、
などとおっしゃってあります、初めに「上一形を尽す」というのは一生涯の念仏ということになり、この身体がなくなるまでという、すなわち長い時間の相続のことであります。それがだんだん少なくなって、「下十声・一声等に至るまで」ということになっております。
御開山は『礼讃』のこのご文を『行文類』にご引用なされてあり、そうして本願の「乃至」の語と善導大師の「下至十声・一声」の下至の語とを合わせて、
『経』(大経)に「乃至」といひ、釈(散善義)に「下至」といへり。乃下その言異なりといへども、その意これ一つなり。
と解釈なされてあります。そこでこのお指図からいただくと、延びゆけば一生涯の念仏であるが、つづまったところで言えば、わずかに十声、さらに一声というようにつづまってくることになりまして、これは従多向少の義になってくるのであります。それで『文類聚鈔』の中に示されてある「上下を兼ねてまん中を略する」という兼両略中という解釈と、次に「乃至と下至とはその意これ一つなり」という乃下合釈との二つ、これが「乃至」という文字そのものの上をご解釈くだされたいわゆる文釈であります。
そうして次に、何故に「乃至」という文字を「十念」の上に置かれたかという意味をうかがわねばなりません。その「乃至」という言葉が、本願には「十念」の上につけてあり、成就の文や下輩の文、あるいは最後の付属流通のご文などには「一念」の上におかれて「乃至一念」とありあまして、たびたび「乃至」という言葉を置かれてあります。これらは、いずれも本願の念仏のことでありますが、なにゆえこの「乃至」という言葉をおかせられたかと、うかがいますと、これは『行文類』の行の一念の解釈のところに『大経』の流通分の「乃至一念」の文を出され、その乃至を解釈されまして、
乃至とは一多包容の言なり。
と示されてある。すなわち一でよし、多でよし、一も多もみな包むのが「乃至」という言葉を置かれた意味だと、おっしゃってあります。
これと同じようなことが『信文類』信の一念のご解釈の後に本願成就文のご文の中の五つの語をあげて解釈をなされてあります。すなわち聞其名号の「聞」、信心歓喜の「信心」と「歓喜」、次には「乃至」と「一念」、この五つの語を解釈される。その乃至のご解釈のところに、
「乃至」といふは、多少を摂するの言なり。
とこうおっしゃってある。これは多くてよし、少なくてよし、多いのも少いのもみな摂めるのが「乃至」という言葉だと述べられてあるのである。これはさきの『行文類』の行の一念のところの解釈と同じことでありまして、長いこと相続しようと短かろうと、すなわち称名の数が多かろうと少かろうと、数の多少にかかわらぬ。また相続の時節の長短にはかかわらぬという意味なのであります。
これは「乃至」をおかれた意味を示されるのですから、そのまま信心をあらわすことになります。どうあらわすかというと、それは他力ということなのです。一声・二声・十声・百声・千声と数の多少にこだわるような念仏ではない。千万無量と続いたから功徳が多く、一声・二声だから少いというのではない。一声も無上大利、十声・百声いずれの一声もみな無上大利なのであります。一多の数には優劣がないのです。長生きすれば、一生ながく称えて楽しむがよかろうし、命が短かければわずかな称名であろうけれども、一も多も同じくみな往生する。こういうことになると、一多の優劣といって、多いからまさる、少いから劣っておるという一多の優劣というものをいささかも見ないのが今の念仏なのです。このように数の多少にはこだわらぬ念仏ということになれば、称える人の心持ただ晴れ晴れと喜んで称えるお念仏だから、一切の自力がはなれ切った朗らかな他力の念仏ということをあらわすのが、この「乃至」という言葉をおかれた意味だと、こうなるのです。
それで御開山の上では乃至が四つの解釈になる。前に申しました「上下を兼ねて中を略する」という『略文類』のご解釈、次に行一念のところにある「『経』(大経)に「乃至」といひ、釈(散善義)に「下至」といへり。乃下その言異なりといへども、その意これ一つなり」というこの二つは文字の解釈なのであって、これを文釈といいます。
次に『行文類』の「一多を包容する言葉なり」というのや、『信文類』の「多少を摂むるの言葉なり」というこの二つは、乃至ということをおかれた宗義をあらわされるもの、すなわち宗釈であります。この宗釈は真宗の念仏は他力の念仏であって、己の功を認めて数の多少にかかわるようなそんな心で称えるのではない、願力まかせの味わいの中から溢れ出てくる喜びの声という意味を乃至であらわすのです。これで「念仏」と「十」と「乃至」との三つの意味を一応お話したことになるのであります。
次にはいよいよその誓意、すなわち本願に十念を誓われた意をうかがうのでありますが、安心論題の中には念仏に関することが幾つもあります。「念仏為本」というのがあり、また「称名報恩」というのもある。また正定業の解釈のところには「称名正定業」という意味もあります。いずれもその称名についてのご法義をあらわす論題でありますが、いまの場合は、本願に何故お誓いになったかということをうかがうのです。
弥陀の誓願は信心正因であるのに、何故さらに十念をお誓いになったかということを窺うのであります。これはいわゆる信心は一生涯相続する、信心というものは中途に切れて無くなったりするものじゃない、命のあらん限り相続する、その相続のあり方はきわめて凡夫に適当した易行易修のものであることをあらわすのであります。すなわち行住坐臥にかかわらず、時処諸縁をきらわず、男女老少にかかわらず、数にもこだわらず、一生涯のあいだ渡世稼業をしながら、人生の様々なつらさを味わう生活の中にあって、とり出しては一生涯相続をする凡夫に最も持ち易い相続の行をあらわすというのが、本願に十念を誓われた意味なのであります。これを「信相続の易行をあらわす」と昔から言うので、信心相続のいともやすいことをあらわすのです。これを御開山聖人の『一念多念文意』の中に、
本願の文に、「乃至十念」と誓ひたまへり。すでに十念と誓ひたまへるにてしるべし、一念にかぎらずといふことを。いはんや乃至と誓ひたまへり、称名の遍数さだまらずといふことを。この誓願はすなはち易往易行のみちをあらはし、大慈大悲のきはまりなきことをしめしたまふなり。
とおっしゃってあります。そうすると遍数はきまっておらない、もっと丁寧にいったら、さっき申しましたように時処諸縁をきらわず、行住坐臥をえらびません。これがもし窮屈な作法があり、数がきまっておると、凡夫には難しいことになるけれども、そういうことを一切、時処諸縁、行住坐臥、数をえらばぬということになれば、我ら凡夫にはこれほど持ち易い相続はないのであります。
本願に「乃至十念」とお誓いなされたということは、易行易修、凡夫相応、心にいただいた信は、かくのごとく一生を通して喜びながら相続できるものだということをあらわしなされたということに窺うのが十念の誓意であります。
これと同じことがやはりこの『銘文』の中にご解釈なされて、
「乃至十念」と申すは、如来のちかひの名号をとなへんことをすすめたまふに、遍数の定まりなきほどをあらはし、時節を定めざることを衆生にしらせんとおぼしめして、乃至のみことを十念のみなにそへて誓ひたまへるなり。如来より御ちかひをたまはりぬるには、尋常の時節をとりて臨終の称念をまつべからず、ただ如来の至心信楽をふかくたのむべしとなり。
と、こうあります。だから阿弥陀様のお誓い、思召しがこうだということをやはり言っておいでになるのが十念の誓意ということになるのであります。
次に、易行という言葉をみますと、元来この易行という言葉は、龍樹菩薩の『易行品』の中に仰せられたことでありまして、これはやはりその難行道というのに対して易行道と仰せられたのであります。『易行品』の場合は「菩薩が阿毘跋致、すなわち初地の位を得るについて難行道あり、易行道あり」といって、その易行道の法を念仏としてあるのです。
曇鸞大師は、この龍樹菩薩の難行・易行の判釈を承けられまして、『往生論註』の最初のところに、その難行道の意味を五つの内容に分けて詳しくされ、それに対して阿弥陀仏の本願の法が易行道であると、こういうふうにいたされているのであります。すなわち自力の法が難行道であり、他力の法を易行道とお分けになったのです。
道綽禅師もまた、この龍樹菩薩と曇鸞大師の難行・易行、自力・他力という言葉をお承けになりまして、『安楽集』の中に、難行道を聖道門、易行道を浄土門と分けられてあります。
わが御開山も、もとよりこれをお承けになりまして『化身土文類』に、お釈迦様の説かれた一代の仏教をお分けなさるところに、これらの判釈をお出しあらせられて「凡そ一代の教において、此界において仏果を求めるという法は難行道であり聖道門である。これに対して安養の浄刹においてさとりをうるという法は易行道であり、浄土門である」と仰せになってあります。すなわち親鸞聖人も、仏教の分け方として難行道に対して易行道という言葉を出されてあります。いずれも出離解脱の因法、仏になるところの因行の法という意味で「易行」という言葉を出されたのであります。
ところが、今この十念誓意の場合に、易行易修と申しますことは、これは信心の相続について易行易修ということをいわれるのであります。すなわちいとも行じ易い、修め易いところの法という意味で「信相続の易行」というのであります。
そうすると、いわゆる聖道門と浄土門の分け方で、一方を難行道というのに対して、念仏を易行道という言い方と、そこはどう関係をするのか、こういうことをうかがいますと、『易行品』からあと『論註』『安楽集』などは、もとよりこれは出離解脱の因法としておっしゃるところの易行道であります。すなわち聖道・浄土の二門を分けて、難行に対する易行というのであります。
ところが更にこの浄土門の中で、やはり行業の分け方に難易ということを分けられるのもある。それは善導大師の『礼讃』前序のご文の中に、「衆生は障りが重いので、観察の行はなかなか成就し難いが、専ら名号を称えるということは、それは易い。そこでこの称名の法を本願に誓われてあるんだ」というようになっております。
また源信和尚の『往生要集』になりますと、念仏を観察と称名といたされまして、その観察すなわち相好を観察することが到底不可能なものは「帰命の想に依り、引摂の想に依り、往生の想に依って一心に称念すべし」というふうにおっしゃってあるわけなのです。
さらに御開山聖人の直接のお師匠であらせられる法然上人の『選択集』のごときは、その第三本願章におかれまして、阿弥陀様が本願をたてられて選択なされたところの行は何かということについて「それは称名である、念仏である」と、こうされます。なぜ阿弥陀如来は法蔵因位の時に、二百一十億の諸仏の浄土の法の中から念仏一行を選択なされたのかということにつきまして、いわゆる難易対・勝劣対ということをおっしゃってある。すなわち、六度万行のようなものは難行であり、称名の行は易行である、しかもその称名が勝れて、万行は劣っているというお釈をいたされまして、だから法蔵菩薩は難行であり劣っている諸行を選び捨て、易行で勝れている念仏をば選び取りなされたのであるとおっしゃってあります。
そこで今の言い方と考えてみますと、その言い方が変わっております。今は解脱の因法としてということ、往生の因法としてということを申されたのではなくして、信心は一生涯にわたって我らの生活の上に続いている、そうしてその続くすがたが、まことに凡夫につとめ易く、修め易い、これを阿弥陀様がお誓い下されたのであるということです。一生涯信心相続の上に、誰でもが時節の長い短いをいわず、数の多少をいわず、また行住坐臥を簡ばぬ。すなわち歩こうと、立とうと、座ろうと横になろうと差しつかえがない。また時処諸縁をいわぬ、朝でよし晩でよし、夢さめて夜中に出るようなこともあろうし、処といえば、我が家でよし外でよし、海でよし山でよし、また涙の流れる葬式の席でもよし、喜びの婚礼の席でもいい、一切そういうことに関係なく、どこでも何時でも、どうしていても修め易いところのものがお念仏であります。
そうすると凡夫が一生涯の間相続して何処でも楽しまれる、また何時でも喜ばれる、悲しい時にもなおこの念仏をもって心をほぐしてもらうという、まことに結構な相続の易行易修の法で、これを本願にお誓いくだされたのが「乃至十念」である、こういうふうにうかがうのが今の論題であります。
いま御開山のおっしゃる『銘文』や『一念多念文意』のご文は、まことにそういうふうに窺われるのでありますが、七高僧のお釈はみな往生の因行としておっしゃっていあって、むしろ聖道の行に対して易行である、浄土門の中においても、観察に対して称名は易行であるというふうに言われる。御開山と七高僧のお釈とが違うのかと、こう申しますと、そうでない。御開山の上にありましても、やはりお念仏をば往生の因行として易行の法とおっしゃってあります。
それは『行文類』に称名破満の釈というのがある。すなわち本願の文、お経の文、『悲華経』のご文までをお引きなされた後の結びに、称名破満ということが出ております。他力の称名、本願の称名は、その称名に一切の無明を断破し一切の志願を満足するという解釈をおかれて、その次に「称名は最勝真妙の正業である」とおっしゃってある。
このことは『行文類』にはたびたび出ておりますので、殊に「易行」という言葉をお出しあらせられるのが、行の一念の解釈であります。行の一念の解釈は、「行の一念」という論題で詳しく語るのでありますが、あそこの文に、
行の一念といふは、いはく、称名の遍数について選択易行の至極を顕開す。
という釈が出ている。そうすると、あそこに、御開山は明らかに念仏をば「選択易行の至極」という言葉を使っておられますし、またその後には称名破満の釈と同じように「正業」という言葉も出されてあります。
さらにそれを全部まとめて顕わされるのが、『行文類』の終りの方にある一乗海というお釈でありますが、あそこには、この念仏と諸善とを比較してあります。諸善というのは、聖道門の行、浄土の要門の行が、みな入ってしまいます。それに対して念仏を出して、「念仏諸善比校対論」とおっしゃいます。そこに、昔は教法について四十八対、機については十一対といったのでありますが、御真本には四十七対になっております。その場の諸行と称名との比校対論は、全く往生成仏の因法としておっしゃるので、そこに難易対・頓漸対というのがあります。難行・易行という七高僧のお釈をば御開山は処処に出されてあるが、一乗海のお釈においても、今いうように難易対というのをちゃんと出しておいでになるのであります。そうすると、御開山も因法として語られる場合は、聖道門や要門に対して、念仏は最勝の法である、また易行の法である、こういう言い方を示されてあるのであります。
ところでこの場合、因法としていう場合の易行、すなわちことに御開山が「易行の至極を顕わす」というようなおっしゃり方は、どういうことかというと、体徳からこれをいうのであります。称名となって出てくるもとの名号について言われるのです。真宗で大行という場合は、法体の名号を指していいます。『行文類』に念仏は出ているけれども、念仏として生き生きとして動いてくださるお名号ということをおっしゃったので、行というものがらはあくまでも法体名号なのです。念仏のところで易行とおっしゃっても、易行と言いなさる場合は、称名となってあらわれているところの本体であるお名号のことをおっしゃっています。衆生にはいささかも造作をかけぬのです。称名でいえば一声ももとではさせぬのです。我々の合掌・礼拝・称名のどれもこれもが、いささかも我々の方から往生の因行として添えるものはない、全く名号のおはたらき一つということになれば、これ以上の易行はない。何もいらぬほど易行はありゃしない。我々の方からは何も要せぬということが、法体の独りばたらきということになるものだから、これを「易行の至極」と、こういうことになるのであります。
次に称名につきましては、報恩という場合があります。これは三代目の覚如上人から八代目の蓮如上人の『御文章』・『お領解文』の真宗の御定教としてうかがう場合に、「信心正因・称名報恩」という言葉があって、称名は報恩であるということがきまりでありますが、これと今の信相続の易行というのとは、どう関係するかといいますと、称名報恩といいます場合は、信心をもって涅槃の因法としていいます。
前に申しましたように、「一心すなはち清浄報土の真因なり」といわれる。また「涅槃の真因は唯信心を以てす」といい、また『御和讃』にも、
至心・信楽・欲生と
十方諸有をすすめてぞ
不思議の誓願あらはして
真実報土の因とする
とある。そうなってくると、信心のところに因の全部が成就してしまう。報土の因というものは、信のところにもはや終わってしまう。したがって我々の信後になすことはすべて報恩のほかはない。こういう意味で称名は報恩の行事であるというのが、覚如上人・蓮如上人のおっしゃるところであります。御開山もまた『化身土文類』の三願転入の釈が終りました後に、
至徳を報謝せんがために、真宗の簡要を摭うて、恒常に不可思議の徳海を称念す。
と、あそこに「報謝」という言葉をおっしゃる。報謝のために経釈の中からご文を集めてこの六巻を造った、また報謝のために、御恩を思いつつお念仏をする、こういうことになっているから、やはりこの称名報恩という意味が出ておる。これは称名正因という異義で、称名を修することによって往生をうるという、我が称える称名の功を募る異義があるものだから、それに対して他力の意味を明らかにするために、称名は皆これ報恩だということをおっしゃるのであります。これは信心正因という法義の必然からそういうことになってくるのである。信心のところに往生の因が成就してしもうたのならば、あとはもう報恩の他にはないから、信後の行事はすべて報恩、そうして信後の行を代表するのが称名とするのであります。
いま『銘文』や『一念多念文意』の思召しは、先にも申しましたように、信心が一生涯にわたって相続して念仏となり、私たちの生活の上に喜びを与え、私たちの心に力を与えて下さるという意味であります。阿弥陀如来は、現世における相続の相まで本願の上にお誓い下されてあって、念仏を一生涯相続させて下さる。すなわちそれが我々の心の支えとなり、人間生活の力になってくださる。それが阿弥陀様が「乃至十念」を本願の上にお誓いなされた思召しであるとうかがうのであります。
それで報恩ということは、勿論法義の自然でありますけれども、阿弥陀様は報恩せよといってお誓いくだされたのではない。それはその仏様は恩を報いよということはおっしゃらんので、これはお釈迦様のことについてですが、『法事讃』のうちに、
生のために苦行すといへども、小恩を覓めず、
という言葉があります。それでもとより阿弥陀様が衆生に恩を報いよとおっしゃることはないのです。
それで「称名正定業」とか「念仏為本」とかいう場合は、称名を大行と示されたと同じように、体徳についておっしゃったのであり、「称名報恩」という場合は、法義の自然がそうなるのであります。「称名報恩」というのは称名正因に簡んで言い、いま「信相続の易行」という場合は阿弥陀如来が信心の上にさらに念仏まで本願に誓われたその誓意をたずねるのであります。阿弥陀様のお心をうかがうのだから、その場合には一生涯我々の生活を支え、私の人間生活の上に大きな法悦をつづけさせるために乃至十念をお誓いあらせられたと、こういうふうにうかがうのであります。