2009年11月25日 05:47
ましてや「あなたは、他の風邪薬が効くか効かないかのんでみなければ分からないから、まず風邪薬をのんでみて、それが効かないことが分かってからタミフルをのみなさい」などと言う医者がいるはずが無い。もしそんな医者がいるとすれば、ヤブ医者でしょう。
仏教を聞く前の推薦図書 『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎著)
2009年11月25日 05:47
2009年11月24日 03:40
2009年11月21日 18:06
強調は私がしました。問
必ず仏にならせていただく身の幸せを喜び」ということはどういうことなのでしょうか。
答
あまり時間が無いようですので、簡単にお話し致しますと、ある人が宿屋に泊り、夕食後その客は散歩に出て酒を呑んで帰ったとみえて、相当に酔ってよい気分で寝ました。ところが翌朝起きてきて、昨夜は大変に蚊に刺されたと言いますので、女中さんが客に、あなたはどこにお休みになりましたかと尋ねますと、客は蚊帳の中に寝たと言いますが、実際は、暖簾がありましたので、暖簾と蚊帳の間に寝たものであることが分かって大笑いをしたそうです。翌晩も同じ宿に泊まり、また酒を呑んで夜遅く帰ってきて、蚊帳に入りましたが、その晩は女中が気をきかして、暖簾を巻き上げておきましたので、今度は二回くぐって蚊帳の外に出て寝て、一晩中蚊に刺されたという話です。
阿弥陀仏の救いを過去に片付けて安心したり、未来に眺めて喜んでいて、現在の救いにあずかることのできない人はお客さんの類であります。
まじめな気持ちで深く聞法に心を入れて「ただ今、阿弥陀如来の本願のわれらを助けたまうことわり」を聞き得させていただかねばなりません。そこには、その信の利益として、必ず浄土に生れ、仏にならせていただくことを得るのであります。
2009年11月21日 09:20
蓮如上人も「心易いと思えば必ず仕損ずるぞ」とくれぐれも仰せられてあり、先徳も「必ず必ず早合点して済ましてはならない」とさとされています。
とかく大様一往の聴聞であったり、または邪見憍慢の気づまし安心、或はかかる者をお助けという押しつけ安心に陥ったりして、もうこれでよいと自分の心に落ち着いてまぎれていることがよくありがちです。随分と骨は折りながら、骨の折り場が違って、この心に聞かせることにかかるのは骨折り損です。だから少しでも心が聞いてくれたら、それに心を休め、それにだまされてとりかえしのつかないことにしてしまいます。
悪いことにはだまされないが少しのよい心がとかく自分をだますものなのです。つまり聞くことと、如来のお助けを別のことのように思いますから、聞いてはいるがそれほどに思われないということになるのです。
真宗は今直ちにお助けにあずかるのですから、今までの聴聞につぎ足してゆくのではなく、今ここで聞かせてもらうのです。聞いたことの上につぎ足して助けてもらうのであれば、願力成就の他力ではないことになります。この私の心がきばって聞いて、それがちょっとでも間に合うのであれば、機法一体の成就はいらなくなります。それかといって聞くことはどこまでも肝要ですが、暴風の中に残るものは天上の月一つでありますように、聞いた心が当てになるのではなく、仰せだけがまことであります。そこには自分の分別心がすべてぬぐい去られて、お助けのままに助けられてゆくほかはないわけです。
2009年11月21日 08:33
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