「不得外現賢善精進之相 内壊虚仮」の「外」と「内」

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2010/09/25(土)
 一部を読んだだけでは分からず、全体を読まなければならない例を一つあげます。

不得外現賢善精進之相 内壊虚仮
http://goo.gl/oPF0

当分には「外に賢善精進の相を現じ、内に虚仮をいだくことを得ざれ」と訓むところを、親鸞聖人が「外に賢善精進の相を現ずることを得ざれと、内に虚仮を懐けばなり」と訓点を施されたということについては今は問題ではありません。

「外」「内」が何を示すのかという点について考えてみましょう。

「外」を身口の二業、「内」を意の一業と解釈する人がいます。
確かに、「不得外現賢善精進之相 内壊虚仮」だけを読むとそのように解釈できないこともないですが、この文の前後を読むと誤りだと分かります。

一応、当分の訓点で読んだ場合のくずした文をあげます。(親鸞聖人の訓みでも今回は同じことです)

一切衆生の身口意業所修の解行、かならずすべからく真実心のうちになすべきことを明かさんと欲す。 に賢善精進の相を現じ、に虚仮を懐くことを得ざれ。 貪瞋・邪偽・奸詐百端にして、悪性侵めがたく、事蛇蝎に同じきは、三業を起すといへども名づけて雑毒の善となし、また虚仮の行と名づく。 真実の業と名づけず。 もしかくのごとき安心・起行をなすものは、たとひ身心を苦励して、日夜十二時急に走り急になすこと、頭燃を救ふがごとくするものも、すべて雑毒の善と名づく。 この雑毒の行を回して、かの仏の浄土に生ずることを求めんと欲せば、これかならず不可なり。 なにをもつてのゆゑに。 まさしくかの阿弥陀仏因中に菩薩の行を行じたまひし時、すなはち一念一刹那に至るまでも、三業の所修、みなこれ真実心のうちになしたまひ、おほよそ施為・趣求したまふところ、またみな真実なるによりてなり。
『註釈版聖典 七祖篇』455ページ



ここでは、「身口意業所修の解行」が「外」に対応し、さらに「三業を起す」「身心を苦励して」そして法蔵菩薩の「三業の所修」に対応します。「真実心」が「内」に対応し、さらに「貪瞋・邪偽・奸詐百端にして、悪性侵めがたく、事蛇蝎に同じき」、後の方の(法蔵菩薩の)「真実心」に対応します。

つまり、「外」とは「身口意の三業」のことであり、「内」とは三業をなしている時の内心をさします。
「内懐虚仮」とは、当分では内心が煩悩に染まっていること(有漏)を言い、法然聖人は真実信心でないことを言われ、親鸞聖人は両者を踏まえられて、自分には真実心は無く、真実心(信心)が本願力より廻向されることをあきらかにされたのです。
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この記事へのコメント
なるほど。深いです。
内壊虚仮はどちらも真実心をすすめられているわけですね。
2010/09/27(月) 08:31 | URL | YGM #-[ 編集]
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