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一念覚知

2010/06/05(土)
『認められた人生』(豊島學由著 自照社出版刊 平成20年)47頁より
(強調は私がつけました)

 利井鮮妙和上が
  ああ辛と言うは後なり唐辛子
と言って、真宗のご信心を表しておられます。舌の上に唐辛子が乗った時が確かにあるのです。けれども私が辛いと思ったのは、乗ったその後なのです。
 しかし、辛いとわかったときに救われるのだと、時刻に固執する聴き方、説き方をした人が、以前、和上さんにおられたのです。そういうことを「一念覚知」といって騒がれた時代があったのです。それほど人間というものは、「異安心」と呼ばれようとも、確かなものがほしいという心があるのです。
「たすかるか、たすからないかわからないような教えを聴いていて、そのまま死んでいくのでは心もとない」という人があるのですけれども、それは確かなお六字をお留守にして、聴き心のほうに確かなものをもたなければ救われないと思っているからです。
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タグ : 豊島學由 利井鮮妙 一念覚知

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