七仏通誡偈

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2009/08/18(火)
聖道門の人たちにとって「常識」とされているのが、「七仏通誡偈」です。
七仏通誡偈とは、
 諸悪莫作
 衆(諸)善奉行
 自淨其意
 是諸仏教
です。
この「廃悪修善」の道を教え、実行し、聖者になろうとするのが聖道門ですが、聖道門の中の浄土の教えもやはりこの論理をふまえたものでした。
それが観無量寿経の要門(定散二善 三福九品)の教えです。
「歎異抄第2章を読む その2」でも述べましたように、法然上人一門の専修念仏の教えは、これら聖道門の人たちから言えば、仏法を破壊する悪魔の仕業と思えたのも無理はありません。

しかし、煩悩具足の悪人の救われる道は、観無量寿経の「顕説」である「要門」の教えではなく、「隠彰」である「別意の弘願」(第18願)であると、法然上人は教えられ、それを親鸞聖人も教えられたのです。

一.つねに悪をとゞめ、善をつくるべき事をおもはへて念仏候はんと、たゞ本願をたのむばかりにて念仏を申候はんと、いづれかよく候べき。
答.廃悪修善は、諸仏の通戒なり。しかれども、当時のわれらは、みなそれにはそむきたる身どもなれば、たゞひとへに、別意弘願のむねをふかく信じて、名号をとなへさせ給はんにすぎ候まじ。有智・無智。持戒・破戒、をきらはず、阿弥陀ほとけは来迎し給事にて候也。御心え候へ。
(和語燈録 巻五 第二二 145箇條問答 真宗聖教全書四 670頁)

ある人問ていはく、廃悪修善の旨を存じて念仏せむと、常に本願の旨を思ひて念仏すると、いづれか勝れたるや。答ふ、廃悪修善はこれ諸仏の通戒なりといへども、当世の我等はことごとく違背せり。もし別意の弘願に乗ぜずは生死を出がたき者か。云云。
(醍醐本『法然上人伝記』一期物語)



もちろん、「善悪業報の因果」や「自利利他の菩薩道」を否定するものではないことは言うまでもありません。
救済の法としての話です。
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