三定死

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2009/10/23(金)

すなはちみづから思念す。「われいま回らばまた死せん。住まらばまた死せん。去かばまた死せん。一種として死を勉れずは、われむしろこの道を尋ねて前に向かひて去かん。すでにこの道あり。かならず度るべし」と。

自ら思念すらくとは要門の機、信罪福の行者の自らの思案の仕所である。
迴らば亦死せん、住まらば亦死せん、去かば亦死せんとは、俗にこれを三定死という。
定死とは定んで死せんの語による。
迴えるとは、世間に交って、道徳の世界に安住するをいう。
これは曠劫以来繰り返して来た三途流転の道である。
住るとは煩悩の二河の前、東岸で左右する、即ち南北すること。
ここかしこに三乗の道を求め、ある種の宗教的世界に止まっても、所詮それは出離は難く流転は免れない。
とは人天、とは聖道、とは浄土とする解もあって佳し。
去くとは諸の善根を積植して西方へ往生を願じても、己の水火二河の煩悩の罪の重さに打ち勝つ自信はない。
即ち、進むも、流転に帰する。
この三定死は、今日、真剣な求道と称する者の自覚の時点であって、この時点では、この人は自力要門、信罪福の者である。

(『観経疏散善義講讃』深川倫雄著 254頁より)
※強調は深川師によるものです。見やすいように改行のみ変更してあります。
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