三願真仮

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2009/11/11(水)
三願真仮については、いろいろと書かれていますが、今日は加茂仰順師の『親鸞教学研究』から引きます。
(項目を表す漢数字をアラビア数字にするなど記号を変えています)

  第3項 三願の真仮
 1.三願の大要
なお、真宗の法義として三願の窺い方が大切であるから、これをまとめておくことにする。
1 三願各生
  三願ともに因法果益共に誓うもの、これ各生の所以である。
  法事讃には三往生を明かすものを以て配釈する。

2 三願各生を誓うものは、随自随他の意に依る。
  仏意
   法体独用を以て一切衆生を平等に救うにありー随自意
   被救済者に一分修行を要求するものー随他意

3 三願相違点
 ①行信前後の異
 ②三心の異(信楽の有無)
 ③行業の異(乃至と積集の異)

4 信前行後は絶対他力を誓われてある。
 ①衆生の行業の無い前に信のあるのは、名号の独用を示す。
 ②三信既に信楽を誓うのは、往生に就いて疑心のない証である。
 ③乃至十念は一多不定の故に、行功を認めない証である。

5 行前信後は自力自摂の法であることを示す。
 ①行功の如何によって、信の成否強弱を知る。
 ②発願と言い、廻向という所に行功が主要となってある。
 ③修諸功徳、植諸徳本というところにおいて、行功の積累を要す。
  方便願というても、機の受行に就けば、信前行後である。
  観経上々品にまず三心を明かし、次に三種行を出す。
  しかし、法義に就く時は主たる行を先にする。
  これは修入は必ず行に依ることを示すからである。

 2.三願真仮のまとめ
要するに
1 信前行後と誓い、信楽の信、乃至の行を以てする所に於いて、第18願の往生は法体独用であることを知り、随自意の誓願であることが分かる。

2 第19願は、行前信後の誓いであり、しかもその行業は諸行であり、聖道成仏法の善根である。
  故に漸く発願の力によって浄土の行とする。
  これ聖道不堪を知りながら、一面他力に直入し難く、かえって自己所修の善根をたのむ自力行者を浄土門に誘引せんとする願であることが知られる。

  また、第20願の如きは、行前信後にして、しかもその行体は名号である。
  独立の名号を持ちながら、如実に達せないから名号の用を失うて、称の功を立てんとするのである。
  不廻向の行を持ちながら、廻向を要する行とする。
  故に廻向心を出し、その失を示すのである。

3 このようなわけで第19、第20の二願は共に自力行者をして、自力をすてて、他力に帰入せしめんがための随他方便の願としてのものである。
  真仮はここに決するのである。

 3.三経の意義
尚、釈尊開説の三経について窺うと、
1 大経は顕露彰灼の経であって、廻向を語る。
2 観経は、隠顕があって、余法を以て弘願を隠し、経末に於いて廃権立実す。
3 小経もまた隠顕があり、六方の諸仏は他力法を証誠されてある。
 化土巻はこの意を釈され、しかも二願の意と二経の意を述べてある。
 即ち顕彰隠密の釈をされているのである。

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タグ : 三願真仮 三経 隠顕

2009/09/16(水)
如来の諸智を疑惑して
信ぜずながらなほもまた
罪福ふかく信ぜしめ
善本修習すぐれたり

(正像末和讃 誡疑讃 註釈版聖典612頁)

親鸞会ではこの御和讃は、諸善万行や自力念仏を勧め、称賛されている意味であると説明されています。
親鸞会公式HP http://www.shinrankai.or.jp/b/shinsyu/zougyou.htm
この御和讃の意味に関しては既に何年も前に、某巨大掲示板で議論されていますが、知らない人もいるでしょうから、再度取り上げます。
これは、誡疑讃・疑惑和讃23首の一つです。
特にこの御和讃に始まる10首ばかりは、大無量寿経の胎化段を受けて、信疑得失を表されたものです。
信疑得失とは、本願を信ずる者は報土往生し、疑う者は化土にとどまることを示し、仏智疑惑とその結果の化土往生を誡められたものです。
したがって、どう味わうかはともかく、まるで諸功徳や自力念仏を勧められたかのように解釈し、説明することには問題があります。
(味わいでしたらいくらでも自由になさって下さい)

〔語句の説明〕
・如来の諸智
  大経に説かれている
  仏智、不思議智、不可称智、大乗広智、無等無倫最上勝智の五智のこと
  なので「もろもろ」と言われました。
・罪福を信ずる
  罪悪(五逆十悪等)を造れば苦報があり、福徳(五戒十善等)を修めれば
  楽報があるという、仏教一般の善悪因果の道理を信ずる。
・善本
  自力の念仏
・すぐれたり
  多い

〔現代語訳〕
種々の本に解説され、現代語訳がされていますが、今は聖典セミナーの浅井成海師のものをあげます。

 如来のいろいろな智慧を疑って、他力の念仏を信じることができないまま、やはり善悪因果の道理のみを信じ、自力念仏がすぐれていると励んでいる者がいるのです。
(聖典セミナー 正像末和讃 浅井成海著)

※浅井師は「すぐれたり」を「すぐれている」と「励んでいる」の2つの意味にかけて訳しておられるようです。御和讃自体の意味は、基本的には変わりません。

この御和讃の説明を直接されているわけではありませんが、梯 實圓師が分かりやすく説明しておられます。
顕浄土方便化身土文類講讃(梯 實圓著 永田文昌堂 ISBN978-4-8162-3556-6 C3015)より引用します。
強調は私が加えました。

三願真仮の根拠 pp36-38
 こうして親鸞聖人は、三願は各別の往生の因果を誓った生因願であるとみとめつつ、第十九願第二十願第十八願へ調機誘引する方便願として位置づけられた。聖道の機を浄土門へ、諸行往生の機を真門自力念仏往生へ、さらに果遂の願功として弘願真実へ誘引するという暫用還廃の機能をはたしているとみられたからである。「大経和讃」に
 臨終現前の願により 釈迦は諸善をことごとく
 『観経』一部にあらはして 定散諸機をすすめけり
と聖道門から浄土門へと導く第十九願の願功をのべ、さらに
 定散自力の称名を 果遂のちかひに帰してこそ
 をしへざれども自然に 真如の門に転入する
といって、要門から真門に回入した機をさらに第十八願へと転入させる第二十願の願功をたたえられた所以である。
 ところで親鸞聖人が、三願に真仮を分判された根拠は、すでに幾たびも触れたように『大経』の胎化段の教説が重要な指南となっていた。そこには往生者には、胎生と化生の区別があり、胎生のものは、真実の智慧がなく、三宝を見たてまつらず、仏を供養することが出来ず、菩薩の方式としての利他行を知らず、大利を失うものとされている。それにひきかえ化生のものは勝れた智慧をもち、自利々他円満の利益を得るものとされている。その差異は、往生の因に、明信仏智と疑惑仏智の違いがあったからであるといわれている。明信仏智とは、不可思議の仏智の顕現である第十八願を信ずることをいい、疑惑仏智とは第十八願を疑うことをいう。しかし仏智を疑惑するが、罪福を信じ、諸功徳を修し、あるいは善本を修習して願生する善人は、第十九願力、第二十願力の方便願のはたらきによって、方便化土へ胎生するのである。罪福を信ずるとは、善因楽果、悪因苦果と言う因果応報の道理、廃悪修善の道理だけを信じて仏智不思議の本願を信じない者をいうのである。それは諸行往生を信じ、自力念仏往生を信ずるものに共通する自力心(定散心)をいう。善本を修習するとは、第二十願の植諸徳本と同じく自力念仏を意味すると宗祖は見られていた。こうして第十八願を信ずる明信仏智のものは化生往生の利益を得るが、第十八願を疑いながらも、罪福を信じて自力諸行を修する第十九願の機と、自力念仏を修する第二十願の機は胎生し、大利を失うと説かれていた。このようにして胎生して大利を失う自力疑心のものに対して、化生の利益を得る明信仏智の本願念仏を大利無上功徳の法として付属されたのが『大経』の付属流通分であった。この教説を根拠として第十八願と第十九願第二十願の間に真仮の別を見、それを六三法門といわれるような真実権仮の体系として展開されたのが『教行証文類』である。

この本は2年前に刊行されたものですので、まだ入手できると思います。
(1万円近くしますが)
三願転入について詳しく書かれていますので、関心のある方は読むことをお薦めします。

タグ : 梯實圓 疑心 三願真仮 第十八願 第十九願 第二十願

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