信疑決判

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2009/12/15(火)
第六問

「高森親鸞会は、宿善として、自力諸善を積むように勧めているが、当流では、他力の信心を獲るために、まず、自力諸善を積まねばならない、などという説示はない」(回答書ⒶP・一四二)
「『破邪顕正や財施を修することが、獲信のための宿善となる』という文証があれば、示してもらいたい、と求めたのが一昨年の六月二十一日であるから、もう八百日以上が経過していることになるが、これについては、何の返答もないままである」(回答書ⒷP・一六)
同趣旨のことが、回答書ⒶⒷに、五、六回も強調されています。
それでは、おたずねいたします。
親鸞聖人の三願転入のみ教えと、獲信とは、無関係といわれるのか。
要約
⑪三願転入の教えと、獲信とは、無関係なのか。


【答え】
そもそも「三願転入の教え」という言葉は浄土真宗にはないと思います。
「三願転入の御文」ならあります。
そこは百歩譲りまして、答えますと、
三願転入の御文とは、獲信された親鸞聖人が振り返って阿弥陀仏の御恩を喜ばれたお言葉です。
そういう関係にあります。

では、三願転入の御文で何を教えられているのかというと、「従仮入真」と「信疑決判」です。
第19願、第20願は方便願であり、方便は廃捨すべきものであると教えておられます。
願海真仮ということをよく知って下さい)
以上です。
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タグ : 本願寺なぜ答えぬ 宿善 願海真仮 従仮入信 信疑決判

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