利他の信楽

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2009/07/29(水)
利他の信楽うるひとは
願に相応するゆゑに
教と仏語にしたがへば
外の雑縁さらになし
(高僧和讃 善導讃)

今日は、この御和讃を読みたいと思います。
善導大師の教えられたことについての御和讃です。
善導讃は26首ありますが、信心獲得するとどうなるかということについて教えられ、信心の徳を讃えておられる前後8首の御和讃の一つです。

「利他の信楽うるひとは」とは他力の信心を獲得した人はということ
「願に相応する」とは信心をうることは阿弥陀仏の本願の趣旨にかなっているということ
「教」とは釈迦の教え
「仏語」とは諸仏の言葉

まとめて言いますと、
他力の信心を獲得した人は、阿弥陀仏の本願の趣旨にかなうので、また、釈迦の教えと諸仏の言葉に違わないようになるから、外からのさまざまな妨げ(や煩悩)によって、信心を乱されることがない。(正念を失することがない)
となります。

1行目と4行目とはそれほど誤解がないようですが、2行目と3行目の誤解が多いようです。

読めば分かりますように、これは善導大師の往生礼讃のお言葉からです。
雑修の人の過失について「雑修の十三失」と教えられてもいます。
その1~4が
1.雑縁乱動して正念を失するによるがゆゑに
2.仏の本願と相応せざるがゆゑに
3.経と相違するがゆゑに
4.仏語に順ぜざるがゆゑに
です。
1は省略し、2~4の簡単な意味を記します。

[仏の本願と相応しない]
阿弥陀仏の本願(第十八願)の真意にかなわないということです。
阿弥陀仏の本願の真意とは、阿弥陀仏から回向せられた南無阿弥陀仏の名号を聞き、一念無疑の信心・信楽を獲得し、他力の念仏を称える人を、必ず極楽浄土に往生させるというものです。
それに対して、自力の念仏を称えている人(信心獲得していない人)は、阿弥陀仏の本願に相応していません。

[教と相違する]
釈尊の教示に相違するということです。
釈尊の教示は観無量寿経に教えられています。
では、観無量寿経に何が書かれているかといいますと、流通分に定散二善を付属されずに、「なんぢ、よくこの語を持て。この語を持てといふは、すなはちこれ無量寿仏の名を持てとなり」と教えられています。
定散二善によって表わされる諸善万行や五正行(この場合、もちろん自力です)をして、往生の因としようとしていることは、釈尊の教示=教に相違するのです。

[仏語に順ぜざる]
阿弥陀経に「少善根福徳の因縁をもつてかの国に生ずることを得べからず」と万行諸善を少善根福徳として廃し、念仏一行をもって往生の業と教えておられます。そのことを六方諸仏が間違いないとおっしゃっているのが、仏語です。その諸仏の言葉にしたがわないのが仏語に順ぜざるということです。

以上、この御和讃の2行目と3行目は、「雑修の十三失」の2~4がなくなったこと、つまり他力の信心を教えておられますので、上記をふまえて読まれたら、意味もお分かりになると思います。
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