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天岸浄圓

2010/07/29(木)
知人に勧められて
天岸浄圓司教の『浄土真宗のキイ・ワード ナンマンダブツの26章』
を買ってきました。
(探究社刊 平成4年初版発行 ISBN4-88483-298-1 定価525円)
目次は最後に書きますが、御縁があったら皆さんも買われたらよろしいですよ。
最初の1,2頁から吹いてしまいましたので、その部分を紹介します。
(決して悪い意味ではないですよ)

最初のキイ・ワードは「阿弥陀仏」です。

阿弥陀仏
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南無阿弥陀仏の名号とは
如来さまの救いの事実をあらわすみことば

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如来さまの大悲のこころが
 ご承知のように浄土真宗のご本尊は、形式上から名号・絵像・木像の三つに分けることができます。
 親鸞聖人がご本尊と敬信ご依用になられたのは“帰命尽十方無碍光如来”の十字名号であって、現在、浄土真宗が絵像・木像を安置していることは誤っていると、本尊の問題を中心にはげしく行動したグループがあったことは皆さんの記憶に新しいことでありましょう。
 この人たちは、私の寺にもたずねてきました。「ご本尊さまにおまいりさせていただきます」と本堂にまいり、やがて庫裏へきて、「こちらのお寺のご本尊は木像であって、お名号ではありませんね、親鸞聖人のみ教えと違っているのではありませんか」・・・・はじまったな、しかし私にしてみれば“なにいうてんねんこのご本尊がお名号といただかれへんのか、顔でも洗って出なおして来い!”の心境でした。
 “名号”とは単なる仏さまの名前ではなく、また文字でさえあればよいというものではありません。南無阿弥陀仏の名号とは、如来さまの救いの事実をあらわすみことばであります。故にこそ親鸞聖人は敬信の対象といただかれたのでしょう。
 逆にいうと、尊号であっても、尊形であっても如来さまの大悲のこころが領解されることがなければ、いずれにしても意味がないというべきです。
 さて、立像の阿弥陀仏像は行動する如来さまをあらわしているのです。すなわち、今日苦悩の中に生きる私を救わんがために立ちあがり、私といのちをともにして、精いっぱいはたらいてくださる如来さまのお姿なのです。
 ちなみに、浄土宗も立っておられる阿弥陀さまをご安置されますが、このときは臨終に念仏者を浄土から迎えにこられる臨終来迎のお姿をあらわしているといわれています。ならば平生の私たちは何をよりどころとすればいいのだろうかと思われます。
 これに対して浄土真宗の如来さまは平生摂取のお姿といわれ、私の今の問題と正面きって対応してくださっているのです。
(以下略)



では、「もくじ」を紹介して、この記事は終わります。
 阿弥陀仏
 学仏大悲心
 タノム・タスケタマヘ
 仏語
 聖教を読む
 正信偈
 恩徳讃
 聞く
 極楽浄土
 浄土往生
 法蔵菩薩
 五劫思惟
 南無・帰命
 お念仏
 ただ念仏して
 仏さまに遇う
 妙好人
 教信沙弥
 独生独死、独去独来
 無常
 無知
 本願
 誓願不思議
 無量寿
 摂取不捨
 舎利弗
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タグ : 天岸浄圓 本尊

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