特に、源左さんや才市さんの言葉に注目されるといいでしょう。
『蓮如への誤解の誤解』所収の論文
蓮如教学と『安心論題』 (五十嵐大策師述)より
周知の如く、むかし西本願寺の教団で三業惑乱(一七九七-一八〇六)が起こりました。本如上人の『御裁断申明書』『御裁断御書』(以上の二消息は、『原典版』『註釈版』所収)に示されてあります様に、希願請求の義はあやまりで無疑信順の義が正しいと説かれております。この事は、大衆伝道の場でも大きな影響をおよぼしました。日常親しんでおります『領解文』の「たのむ一念のとき」や『御文章』にたくさん出てきます“タノムタスケタマヘ”の領解が、こちらからの三業によるタノムの義なのか、あるいは本願招喚の勅命に信順し許諾(きょたくとも読む。先方の弥陀の救いを許し承諾するの意)するの義なのかに、ともするとわかれる事になるからであります。その点、妙好人の中に「こっちがたのむのぢゃござんせえで」(源左)、「三業は人(私註自力)の安心」(才市)等と言って、信楽帰命、無疑信順の領解が示してあります。
また、才市さんの言葉もつけ加えておきます。
「胸にさかせた信の花、弥陀にとられて今ははや、信心らしいものはさらになし、自力というても苦にゃならぬ、他力というてもわかりゃせぬ、親が知っていれば楽なものよ。」
「弥陀にとられて」というのが「弥陀をたのむ」ということです。
もちろん、三業惑乱が真宗学に及ぼした影響は甚大ですが、それによって宗学はますます発展したと言ってもいいのではないかと思います。
また、三業惑乱後に正しい教えが説かれなくなったのならば、妙好人が出るはずがありません。
教えが受け継がれてきたからこそ、これらの人達が出たのです。
【三業惑乱の経緯概略】
和暦の年号はややこしいので、西暦で書きます。
1762年 第6代能化 功存が『願生帰命辯』を刊行
これに道粋が序文を書く。
1763年 道粋が『疑問六章』で『願生帰命辯』を批判
1783年 越中善巧寺の明教院僧鎔師歿す ※空華轍の祖
1784年 大麟が『真宗安心正偽論』で『願生帰命辯』を批判
1786年 崇廓が『旁観記』で『願生帰命辯』を弁明
大麟が『正偽編後編』で論難
1787年 三河の善永が『興復記』で『願生帰命辯』を批判
1789年 讃岐の宝厳が『帰命本願訣』で『願生帰命辯』を批判
1796年 第7代能化に智洞が就任
1801年 安芸の大瀛が『横超直道金剛錍』を刊行
※真実院大瀛師は芿園轍の祖
尚、大瀛師の3歳年下の従弟が勝解院僧叡師で石泉轍の祖
智洞(新義派・三業派・学林派)と道隠(古義派・聞信派・在野派)を閉門
※道隠師は空華三師の一人。堺空華の祖
1802年 古義派の信徒が美濃で蜂起
1803年 京都所司代が関係者を取り調べ
1804年 幕府が智洞と大瀛・道隠を江戸に呼び出す。(1月)
大瀛歿す(5月)
幕府の裁定(寺社奉行は龍野藩主脇坂安董)
新義派を処罰(6月)
智洞歿す(7月)
本如上人『御裁断御書』を出す。
空華轍が今日の西本願寺の教学の中心。それと並ぶのが石泉轍。
轍とは学派ということ。
【三業惑乱後の妙好人】
庄松 1799年~1871年
お軽 1801年~1856年
吉兵衛 1803年~1880年
源左 1842年~1930年
才市 1850年~1932年
本如上人 1778年~1826年
広如上人 1798年~1871年
南渓 1790年~1873年
原口針水 1806年~1892年
利井鮮妙 1835年~1914年
真宗のかなめは、安心であります。安心とは何でしょうか。
安心とは、私が救われたことであります。助けられたことであります。
真宗では、そのことを「信心をとる」とか、「信心獲得」とか申されています。
「信心をとる」とは、計らいの心の捨ったことであります。「自力の心をすてて」、「弥陀をたのんだ」のであります。
そのことを一口で言えば、真宗は、間違いないお助けがえられたのであります。
如来に助けられたのです。
人はみな、親心を頂こうと思うて苦心しますが、それは方角違いです。頂くことに苦心するのではありません。苦心されている親心を聞かせて頂くのであります。
頂くというのは、物をもらうようなことではありません。聴聞のところに、親心の全体があらわれて下さったのであります。
なぜかと言えば、弥陀の正覚のそのままが、私を救うためであるからです。
弥陀の正覚のありったけが、私の救い(往生)であります。
つまり仏智のままが宿ったのが安心であります。その大悲の宿って出るのが念仏です。
大悲がいつも通って下さるから、それを味わって念仏するのであります。大悲のあらわれたのが念仏です。
如来に生かされている一杯が如来の名号であります。
名号を頂くのであると云うても、名号を私が所有するのではありません。
名号のはたらきに、わが身全体が生かされるのであります。
忘れて暮らす私に
ナモアミダブツが先に出て
思い出すときは
いつでもあとよ
わたしゃ つまらん あとばかり
わたしの心が先ならだめよ
親の慈悲が先にある
親の慈悲が先ばかり
わたしの返事はあとばかり
(才市)
『妙好人のことば』(梯 實圓著 法蔵館 ISBN978-4-8318-2313-7 C0015)
もいい本です。
さきに紹介した市原栄光堂の妙好人物語の梯師のもので、この本と同じ人物の場合は、梯師はこの本の文章を朗読している形を取っているのもあります。(全部ではないです)
ではCDはいらないではないかと思いもしますが、
本は目を開けていないと読めませんが、CDは目を閉じて聞けます。
(↑これは非常に大事。途中で目を開けていられなくなるのです)
本は一人でしか読めませんが、CDは多くの人と一緒に聞けます。
本はそれに集中しなければなりませんが、CDはこうやって原稿を書きながらでも聞けます。
CDを携帯プレイヤーに落とせば(やってませんけど)、どこででも聞けます。
など、CDの利点はあります。
持っていない人もおられるでしょうから、ちょっとだけ抜き書きします。
その頃の事情を、現道師の「日記」には、
「今日もおかるがたずねてきて、いろいろと話をしたが、お慈悲がわからんと、泣きながら帰っていった。私に力がないばっかりに、なっとくのいくように教えてやることができない、すまんことだ」
という意味のことが記されているそうです。「お慈悲がきこえません」と悲痛なさけびをあげて帰るおかるのうしろすがたに、合掌しながら自分の力なさをあやまっている住職の姿もまた、こよなく美しいものでございます。妙好人のうしろには、世間的には知られていなくても、尊い善知識がいたことを忘れてはなりません。
(六連島のおかる P58)
現道師みたいな人を「善知識」っていうんですね。