カラーの強調は私によるものです。
『御文章』を排した“近代教学”
(浄土真宗親鸞会 顕正新聞 平成21年9月15日号)
『御文章』はいかにして書かれたか、『山科連署記』にはこう記されている。
「教行信証文類、六要抄、表紙のやぶれ候ほどご覧じ候て、その後御文を御作りなされ候、これ千のものを百にえり、百のものを十にえり、十のものを一にえりすぐりて、凡夫直入の金言をいかなるものも、聞き易く、やがて心得候うようにあそばし候」
蓮如上人は『教行信証』を表紙が破れるほど読み込まれ、その中の大事なこと、千の中から一つ選りすぐるようにして『御文章』をお書きくだされた。まさに凡夫往生の手鏡なのである。
(以下省略 大谷派のことについて書かれています)
*山科連署記……蓮如上人の法語や言行を記したもの
教学聖典に学ぶ
(浄土真宗親鸞会 顕真 平成21年9月号)
この聖人の教えを破ったわが子・存覚を、覚如上人は断固、勘当されている。
存覚は『報恩記』などに、「父母の死後は、追善供養を根本とする仏事を大切にして、親の恩に報いるつとめをはたすべし」「追善のつとめには、念仏第一なり」とまで言い切っている。
先祖の追善供養を徹底排除された親鸞聖人の教えを、明らかに破壊するものであり、破門されて当然だろう。
(『歎異抄をひらく』より)
蓮如上人は教行信証や六要鈔を表紙が破れるほどまでに読み込まれて、御文章を書かれたと記されています。
蓮如上人が、存覚上人に対してどのようなお気持ちであったかは、御一代記聞書にも何箇所か書かれています。
一 前々住上人(蓮如)、南殿にて、存覚御作分の聖教ちと不審なる所の候ふを、いかがとて、兼縁、前々住上人へ御目にかけられ候へば、仰せられ候ふ。名人のせられ候ふ物をばそのままにて置くことなり。これが名誉なりと仰せられ候ふなり。
(蓮如上人御一代記聞書158 註釈版聖典 1281頁)
一 存覚は大勢至の化身なりと[云々]。しかるに『六要鈔』には三心の字訓そのほか、「勘得せず」とあそばし、「聖人(親鸞)の宏才仰ぐべし」と候ふ。権化にて候へども、聖人の御作分をかくのごとくあそばし候ふ。まことに聖意はかりがたきむねをあらはし、自力をすてて他力を仰ぐ本意にも叶ひまうし候ふ物をや。かやうのことが名誉にて御入り候ふと[云々]。
(蓮如上人御一代記聞書304 註釈版聖典 1331頁)
一 存覚御辞世の御詠にいはく、「いまははや一夜の夢となりにけり 往来あまたのかりのやどやど」。この言を蓮如上人仰せられ候ふと[云々]。さては釈迦の化身なり、往来娑婆の心なりと[云々]。わが身にかけてこころえば、六道輪廻めぐりめぐりて、いま臨終の夕、さとりをひらくべしといふ心なりと[云々]。
(蓮如上人御一代記聞書306 註釈版聖典 1331頁)
ところが同時に一部の会員に渡される顕真には、『歎異抄をひらく』を引用して、存覚上人を「存覚」と呼び捨てにし、勘当されて当然だと言い切っています。
(御一代記の中で「存覚」と書かれているのとは意味が違います)
存覚上人の追善供養に対する考えについては、以前の記事で少言及しましたので、そこをご覧下さい。
それに、六要鈔を何度も読まれた蓮如上人が『報恩記』などを読んでおられなかったとは考えられませんよね。
蓮如上人が「勢至菩薩の化身」「釈尊の化身」「名人」とまで敬われた存覚上人を貶すとはどういうことなのか、理解に苦しみます。
とにかく
もし、このことを存覚上人や蓮如上人が聞かれたならば、お二人とも悲しまれ、怒られるのではないでしょうか。
『六要鈔』は存覚上人の著作です。
『六要鈔』全6巻(または10巻)は教行信証の最初の註釈書です。
これに、円爾師が教行信証の本文と合わせて作成したのが、
『六要鈔会本』全10巻です。
『六要鈔』は『真宗聖教全書 二 宗祖部』(大八木興文堂)に載っております。
また、現代語訳が『和訳 教行信証六要鈔』として国書刊行会から柳彰弘著で出ております。
深川倫雄師の『六要鈔ノート』(永田文昌堂)という本もありますが、入手は難しいようです。
(残念ながら私の手許にはありません)
『和訳 教行信証六要鈔』はこれです。(表紙の見開きの写真)↓

『円爾 六要鈔会本』はこれです。↓

なお、大谷派の西覚寺さんがHPにてテキストを載せておられます。
http://www.biwa.ne.jp/~takahara/shoka_0.htm
歎異抄第8章の言葉にも通じることがお分かりになると思います。
ここで、『観無量寿経』の「諸仏如来はこれ法界の身」の「諸仏如来」が=「阿弥陀如来」であると説明されています。
光明寺の和尚は「行者の信にあらず、行者の行にあらず、行者の善にあらず」とも釈したまへり。無碍の仏智は行者の心にいり行者の心は仏の光明におさめとられたてまつりて、行者のはからひちりばかりもあるべからず、これを『観経』には「諸仏如来はこれ法界の身なり、一切衆生の心想のうちにいりたまふ」とはときたまへり。諸仏如来といふは弥陀如来なり。諸仏は弥陀の分身なるがゆへに諸仏をば弥陀とこゝろうべしとおほせごとありき。
(存覚上人 浄土見聞集 真宗聖教全書3 379頁)
ところで、存覚上人については、一つのエントリーをさいて言及しましたが、蓮如上人がどのように思っておられたかを、御一代記聞書から示します。
引用方法はこれまでと同様です。
(158)
前々住上人(蓮如)、南殿にて、存覚御作分の聖教ちと不審なる所の候ふを、いかがとて、兼縁、前々住上人へ御目にかけられ候へば、仰せられ候ふ。名人のせられ候ふ物をばそのままにて置くことなり。これが名誉なりと仰せられ候ふなり。
(註釈版聖典 1281頁)
【意訳】
蓮如上人の御隠居場所である南殿へ、兼縁公がおうかがいして、存覚上人の御製作になった聖教にすこしばかり不審な箇所があるのを書きだして「これはどんなものでありましょうか」と蓮如上人へお見せしてお訪ねになったところ「名人のおつくりになったものは、不審なところがあっても深意のあることであろうから、そのままにしておくことである。そういうところのあるのが、却って名誉とされるところであろう」と上人は仰せられた。
兼縁公とは、蓮悟 蓮如上人の第16子・第7男 1468-1543 母は蓮祐
加賀若松本泉寺を開く
【解説】
蓮如上人の先徳に対する崇敬があらわれている。小賢しい批議をさしひかえて、謙ったこころもちから、先徳の功績を称陽される床しい風格が、うるわしく描き出されてある。
【私の補足】
北塔光昇師が論文「存覚上人における祖先崇拝と先祖供養」の末尾に次のように書いておられます。
以上、存覚上人の祖先崇拝、並びに先祖供養に対する立場を考察してきたが、それは作法等を世間に疑似させることはあっても、決して宗祖の立場を離れるものではないことがわかる。ただ、よほど注意をして上人の著作に接しないと、その真意を得ることができないばかりか、時として混乱に陥るものである。
歎異抄後序で唯円が「かまへてかまへて、聖教をみ、みだらせたまふまじく候ふ。」と書いているように、聖教はよくよく注意して拝読しなければならないと思います。
なお、この文の前には「おほよそ聖教には、真実・権仮ともにあひまじはり候ふなり。権をすてて実をとり、仮をさしおきて真をもちゐるこそ、聖人の御本意にて候へ。」とあります。
「方便」に関するコメントで「権仮方便」という言葉を初めて知られたという人もいましたが、御和讃などにもありますし、身近な歎異抄に、このように「真実・権仮」とペアで出ていますので、申し添えておきます。
歎異抄そのものとは関係ありませんが、知っておられたらいいでしょう。
(仏教を専門にしておられる方にとっては常識かもしれませんが、そうでない人もいるでしょうから)
存覚上人がどんな方かは各自お調べ下さい。
浄土真宗親鸞会(富山県射水市 代表 高森顕徹氏、以下 親鸞会)では都合によって「存覚上人」と言ったり、「存覚」と呼び捨てにしたりしています。
ちなみに親鸞会発行の教学聖典の中には存覚上人のお言葉が3ヶ所出てきます。
(漏れていたら済みません)
1-45 歎徳文
3-10 単に「存覚上人」とありますが、これは「浄土見聞集」です。
5-34 持名鈔
※この持名鈔のご文については既に別のブログにて指摘されていますので、今回は省略します。
ちなみに
8- 1 の「恩」についての設問の答えは、
「知恩者。是大悲之本開善業初門。人所愛敬名譽遠聞。死則生天終成佛道。不知恩人甚於畜生。」のボールド体部分の訓読みです。
親鸞会ではこの出典を「経典」としていますが、そうではなく、龍樹菩薩の「大智度論 巻49」です。
親鸞会の試験では根拠を間違えると×になるそうですよね。
この龍樹菩薩のお言葉を簡単にしたものが、存覚上人の浄土見聞集に書かれています。
〔補足〕
存覚上人の著作による設問で抜けていました。
2-38 浄土真要鈔 三毒の煩悩はしばしばおこれども
9-13 浄土真要鈔 善知識について
教学聖典では5箇所に存覚上人の文が出ていることになります。
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