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この「同一性」について理解を深めるために、山内得立氏の説明を紹介します。
第二 ロゴスの展開
(略)
同一性の判断は、事物がそれ自らをそれ自らとして、それ自らに於いて断定することである。事物は時々刻々に変化してやまぬものであるが、それにも拘らずそれ自らを維持し、それ自らとして有らんとする。この自己同一性なしには事物は存在し得ぬ。事物が有るというのは或るものとして自らを保持することであり、変化の中に不変なるものを失わぬことによってそれ自らであり得る。自己同一的であり、自同性を保つことによってそれ自らとしてあり、決して他でないものとして有りうるのである。しかしそれと同時に自己が自己でありうるのは他と区別することによってであり、自他を分別することなしには自己を堅持することができない。自己とは他者に非ざるものであり、他者は自己ならざるものである。自他の分別なきところに他者はなく、自己もまたあり得ない。自が自であるのはそれが他でないことによってであり、他が他でありうるのはそれが自に非ざる故にである。有るものを或るものとして決定するのはそれ故に却って否定の上に立っている。omnis determinatio est negatioということは茲に於いて妥当するが、我々にとっては、ロゴスが単に肯定ではなく常に否定を伴って初めて、その機能を完うするということが大切である。ロゴス的であるというのは否定すべきものを否定し、肯定せらるべきものが肯定せられるということであった。その執れが先であり、根本的であるかということよりも、肯定は否定なしには、否定は肯定なくしては共に成立しないということがより肝要なのである。それはロゴスが先ず肯定と否定とに分別せられ、この分別なしにはロゴスは論理として働くことができない。論理とは正しい判断であり、判断は肯定か否定かの執れかでなければならなかった。(以下略)
『ロゴスとレンマ』(山内得立著 27頁)
omnis determinatio est negatioはスピノザの言葉で、「すべての規定は、否定である」という意味です。