所帰人法

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2010/01/10(日)
『やさしい 安心論題の話』(灘本愛慈著)⑾所帰人法 より
 真宗にあっては、その所帰・所信は仏体でも名号でも示されていることは、すでにうかがった通りであります。それならば、仏体を所帰とする場合の帰命には、仏の仰せを受けて、私の方から仏に向かってお助けくださいとお願いする心相がある、という領解は正しいのでしょうか。
 このような領解を「雨だれ安心」だというのを聞いたことがあります。雨だれは上から落ちてきて、地面に当たってはね返ります。「必ず助けるぞよ」という如来のおよび声を受けて、「それではどうかお助けくださいませ」と、如来に向かってお願いするというのは、ちょうど雨だれの「はね返り」に似ているということでしょう。
 このような領解は誤っています。願いを求めるということは、まだ現に得ていない将来のこと(往生成仏の果)についていわれるもので、それは欲生・願生の意味であります。いま現に与えられている仏の勅命に対しては、仰せの通り信受して喜ばせていただくほかはありません。その心相を示すのが帰命であります。
 たとえば、空腹のとき、眼の前に食事を出されて、「さあ、おあがりなさい」といわれたならば、「有難うございます」と喜んで頂戴するばかりであります。その場合、「それでは、どうか食事をだしてくださいますようお願いします」という応答のしかたはありません。
 このことは、⑶「信願交際」における信と願との関係、⑽「タノム・タスケタマヘ」における「たのむ」と「ねがう」との相異について、すでにうかがった通りであります。
 宗祖は『尊号真像銘文』に、『浄土論』の「帰命……願生安楽国」を解釈されて(真聖全二―五六四)、

「帰命」ともうすは、如来の勅命にしたがいたてまつるなり。……
「願生安楽国」というは、世親菩薩、かの无㝵光仏の願行を信じて(信楽・帰命)、安楽国に生まれんとねがいたまえるなり。(欲生・願生)。

と示され、同じく『銘文』に『玄義分』の六字釈の「即是帰命」と「亦是発願廻向之義」を解釈されるところ(真聖全二―五六七)にも、右と同様の解釈が示されています。
 以上の通り、帰命は仏勅に信順する心相を示すものであって、名号を信楽する心相と全く変わるところはありません。したがって、仏体を所帰とする場合の帰命には、私の方から仏の方に向かってお願いする心相があるという説は、誤りであるといわねばなりません。

[くさい補足]
 「http://labo.wikidharma.org/」からのコピペではないかと思われ人もあるかもしれませんが、「http://labo.wikidharma.org/」の『やさしい 安心論題の話』灘本愛慈著)の25論題中、⑵「三心一心」⑸「二種深信」⒁「五重義相」以外の22論題は、私が入力したものですから、手を抜いているわけではありません。
 なお、この本の著作権は切れてはいませんので、その点はお忘れにならないようお願いします。
 できれば、購入されたらよろしいかと思います。
 【ISBN】978-4-89416-413-0 【定価】\1,050(本体\1,000+税)
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