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村上速水

2010/06/03(木)
 村上師は末尾に「今後さらに親鸞教義を深く研究される場合には…」と書いておられますが、親鸞聖人の教えを理解する時に、曇鸞大師善導大師の教えられたことの学習は欠かせないと思います。
 以下、『親鸞教義とその背景』(村上速水著 永田文昌堂刊 昭和62年)からです。

第二節 七祖の教え
 序 七祖の選定

  七祖選定の基準
 (略)

  七祖の著作
 (略)

  七祖の発揮
 (途中まで略)
 また、昔の学者の講録などには、「終吉」という言葉が出てくることがありますが、これは善導大師と源空上人との教義が非常に類似しているところから、「終南」と「吉水」とを一連にして、簡略に呼んだものであります。

  曇鸞大師善導大師の地位
 以上、七祖に関する全体的な、そして基本的な事柄について述べてきましたが、次に親鸞教義における七祖の教学の位置づけを考えてみたいと思います。私の率直な気持ちを申しますと、親鸞教義の骨格を形成するものは、曇鸞大師善導大師の教義であるといってよいと思います。このことは『高僧和讃』において、曇鸞大師を讃えられる和讃は三十四首あって最も多く、次いで善導大師の二十六首であることに端的にあらわれていると思いますが、殊に『教行信証』において重要な解釈のところには、必ずといってよいほど曇鸞大師の『往生論註』、善導大師の『観経疏』が引用されているという事実、またその引用の回数が多いことによって論証することができると思います。
 『教行信証』は親鸞聖人における仏教概論であるといってもよい書物ですから、全体にわたって大乗仏教の原理が説き述べられています。しかもその原理を踏まえて、他宗とちがった浄土真宗独自の教義が説かれています。このように見る時、親鸞聖人は、仏教の原理的な面は主として曇鸞大師の『往生論註』によって説かれ、真宗独自の実践的な面を述べられるところは、善導大師の『観経疏』によっておられるといってもよいと思います。もしこれを喩えるならば、『往生論註』という縦糸と、『観経疏』という横糸とで織りなされた一反の織物が、『教行信証』であるということができましょう。そういう意味で、今後さらに親鸞教義を深く研究される場合には、『往生論註』と『観経疏』との研究が、特に重要であることを心得ていただいたらと思います。
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タグ : 村上速水 曇鸞大師 善導大師

2010/06/02(水)
村上速水師の本を読みました。
今後の指針となるような文がありましたので、書きとめておきます。

『親鸞読本』(村上速水著 百華苑刊 昭和43年)
一二 弟子一人ももたず
<親鸞の伝道方式>
 ところで彼の伝道の方式はどのようなものであったであろうか。彼の伝道は、地方の小堂や、あるいは民家を改造した程度の場所で行われた。またその布教の様式は、いわゆる談合という形で行われた。一見、平凡に見えるこの伝道布教の様式は、しかし、寺院という場所において、唱導という形式で行われた当時の伝道方式に対して、注意されなければならない。

 というのは、当時の寺院は特権階級の人々によって建立されたものが多く、貴族の手によって建てられた寺院の如きは、別荘の感を呈して特定の人に独占され、一般の民衆には閉ざされたものだったからである。そういう事情を思いあわせるならば、親鸞が寺を建てなかったということは、経済的な理由もあったかもしれないが、それ以上に重要な理由として、彼の非僧非俗の精神の現われとして理解されるのである。なぜならば、弥陀の本願はある特定の人に独占されるべきものではなく、広く一般大衆に宣布されなければならぬというのが、彼の本願に対する信仰であったと考えられるからである。

 のみならず、法然と弟子信空との次の問答を想起するならば、親鸞のこの伝道方式の中には、法然の精神が如実に継承されていることをよみとることができるように思われる。

 法蓮坊信空問う
  古来の先徳みなその遺蹟あり。しかるにいま精舎一宇も建立なし。
  御入滅の後、いづくをもてか御遺蹟とすべきや。
 上人(法然)答えていう
  あとを、一廟にとどむれば、遺法あまねからず。
  予が遺蹟は、諸州に遍満すべし。
  ゆへいかんとなれば、念仏の興行は愚老一期の勧化なり。
  されば念仏を修せんところは、貴賤を論ぜず、
  海人魚人がとまやまでも、みなこれ予が遺跡なるべし
(近藤註:「いとー日記」に説明がありますので、「いとー日記」のここも読んで下さい。いとーさん、勝手に借りますよ)

その長い生涯に一箇の寺院も建立しなかった親鸞の心情も、これと同じものがあったにちがいない。

 ところでこのことは、彼の布教が談合という形で行われたこととも無関係ではない。唱導という形をとらず、民衆とともに親しく仏法を語り合ったところに、彼の宗教の庶民性が見出される。いいかえれば、彼は伝道者、教化者としてではなく。同朋同行として民衆と接したのであった。

タグ : 村上速水

2009/11/01(日)
『わかりやすい名言名句 親鸞聖人のことば』より
村上速水内藤知康著 法蔵館刊 ISBN978-4-8318-2312-0 C0015)
※この本は簡単に手に入れることができます。税別1,456円です。

38 はからいなき世界 『末灯鈔』第2通(御消息6)

 まづ自力と申すことは、行者のおのおのの縁にしたがひて余の仏号を称念し、余の善根を修行してわが身をたのみ、わがはからひのこころをもつて身・口・意のみだれごころをつくろひ、めでたうしなして浄土へ往生せんとおもふを自力と申すなり。また他力と申すことは、弥陀如来の御ちかひのなかに、選択摂取したまへる第十八の念仏往生の本願を信楽するを他力と申すなり。如来の御ちかひなれば、「他力には義なきを義とす」と、聖人(法然)の仰せごとにてありき。義といふことは、はからふことばなり。行者のはからひは自力なれば義といふなり。他力は本願を信楽して往生必定なるゆゑに、さらに義なしとなり。


 「笠間の念仏者の疑ひとはれたること」と最初に示されてあり、この御消息は、親鸞聖人が関東で布教された頃の中心地である笠間(常陸の国、現在の茨城県笠間市)の門弟の疑問に答えられたものである。この御消息の書かれた建長7年(1255年)は聖人の長男の慈信房善鸞義絶の前年に当たり、笠間の門弟の疑問の背景には慈信房の異義があったと推測される。

 まず、最初に自力・他力についての説明がある。自力・他力は世間でもよく用いられる言葉であるが、どのような場で用いられる言葉なので阿あろうか。聖人はここで、自力・他力とは浄土往生という場で用いておられる。広く見ても、迷いから悟りへという場において自力・他力という言葉が用いられるのであって、これは聖人の他の箇所の解釈を見ても同様である。決して、この迷いの世界の中で自らの欲望を満足させる場で用いられるべき言葉ではない。

 ここで聖人は自力・他力を具体的にどのように理解すべきかについて、端的に示される。すなわち、自力とは、「わがはからひのこころをもつて身・口・意のみだれごころをつくろひ、めでたうしなして浄土へ往生せんとおもふ」ことをいうのであり。他力とは、「弥陀如来の御ちかひのなかに、選択摂取したまへる第十八の念仏往生の本願を信楽する」ことをいう。この迷いの世界から悟りの世界へ進むについて、自らの営みによって自らを立派に造り変えてゆくことを自力というのであるが、考え方としてはまことに立派なものであると言わねばならない。

 しかし、いくら考え方として立派なものであっても、その道を歩む自分自身がどのような存在であるかということが忘れ去られたならば、砂上の楼閣となってしまう。聖人が、「濁世の道俗、よくみづからおのれが能を思量せよ」(化身土文類)「今の時の道俗、おのれが分を思量せよ」(同)と再三誡めておられるように、まず、自らの能力に対する過信がないかという点を洗いなおさねばならないであろう。「七仏通誡の偈」に「諸の悪を作すこと莫れ、衆ての善を奉行せよ」とあるが、これはまた、「三歳の童児これを知ると雖も、八十の老翁これを行うこと難し」と言われるように、まことに実行困難な教えであると言わねばならない。

 仏教は単なる理念ではなく自らのすべてをかけての営みである。如来の光に照らし出されて、自らの行う善は雑毒の善であり、行は虚仮の行にすぎないと知らされたものにとっては、いくら高邁な哲理に基づく自力修行の道であっても、絵に描いた餅に過ぎない。そこに残された道は、一切の生きとし生けるものを必ず救うという阿弥陀如来の本願に信順する道のみであろう。

 聖人はまた、「行者のはからひ」を自力として示される。「はからひ」とはまた、我々の知性・感情・意志等すべてを含むものであろう。我々は、如来の本願を知性や感情や意志でとらえようと試みてはならない。「本願を信楽する」とは、知性で納得することでもなく、有り難いという感情でもなく、決して疑わないという決意でもない。そのようなものは浄土往生に何一つとして役に立たないと、一切をふりすてて、ただ阿弥陀如来の本願力に全託することこそが信楽である。そこで、聖人は、「他力には義(はからひ)なきを義とす」との法然聖人の言葉を引かれて、他力について懇切に説明されるのである。

タグ : 村上速水 内藤知康 御消息

2009/10/30(金)
先のエントリーの村上速水師の文の一部を説明します。

 方便とは古来暫用還廃(暫く用いて還って廃す)の意味といわれ、真実に対して誘引をあらわす言葉である。すなわち仏願(弥陀)仏教(釈尊)についていえば、阿弥陀仏が方便の願を設けられ、釈尊がこれを経典に開説されるのは、衆生の根機に応じて誘引される意趣に外ならない。しかし今、親鸞聖人がこれをあらわされるのは誘引のためではなく、仏の本意にあらざることを示してこれを廃捨させるためなのである。


方便については既に何度も書きましたように
 善巧方便
 権仮方便
の2つがあります。
「第19願、第20願は方便願である」とか「観無量寿経や阿弥陀経に説かれている方便」という時の「方便」は権仮方便なのです。
村上速水師の上の文章は、
阿弥陀仏の第19願・第20願、釈尊の観経・小経は「暫用還廃」(権用)の意味で説かれたが、親鸞聖人が化身土巻にこれを示されたのは、「権用」の意味、つまり「やりなさい」「やってみなさい」ということではなく、「簡非」の意味であり、「捨てなさい」ということなのだ。
というものです。

親鸞会は方便に関して
1.善巧方便権仮方便の混同
2.簡非であるべきところを権用として説いている
の2重の誤りを犯しております。

タグ : 村上速水 方便 権仮方便 善巧方便

2009/10/30(金)
『教行信証を学ぶ -親鸞教義の基本構造-』より
村上速水著 永田文昌堂 ISBN4-8162-5036-0 C1015)

化身土文類」の置かれる意味(P225-)
 「化身土文類」がここにおかれるのには二つの意味がある。第一には近く前の「真仏土文類」に対照する意味であり、第二には遠く「教文類」以下の真実五巻に対応する意味である。第一の意味というのは「真仏土文類」の終わりに「仮之仏土者、在下応知(仮の仏土とは、下にありて知るべし)」とあらかじめ示されたように、光寿無量の真仏に対してここでは方便の化身土をあらわすという意味である。第二の意味とは単に果についてのみならず、前五巻に説く四法(教・行・信・証)に対して、今は方便の行信因果をあらわすという意味である。すなわち真実の教義こそが浄土真宗の本質であるからこれを詳しく説かねばならないが、今は権仮方便の教義であるからこれを一巻にまとめて説かれるのである。そして方便の教義を示すのは、非なるものを簡びすてる意味(簡非)であって、これは阿弥陀仏の本意でないことをあらわして、いよいよ第十八願の真実なることを明らかにする意味である。あたかも白の白たることを説明するために、黒をもち来たって白をきわだたせるようなものである。だから親鸞聖人が方便の教義を示すといっても、これに誘引するためではなく、かえってこれに陥ることを誡められるのである。
 方便とは古来暫用還廃(暫く用いて還って廃す)の意味といわれ、真実に対して誘引をあらわす言葉である。すなわち仏願(弥陀)仏教(釈尊)についていえば、阿弥陀仏が方便の願を設けられ、釈尊がこれを経典に開説されるのは、衆生の根機に応じて誘引される意趣に外ならない。しかし今、親鸞聖人がこれをあらわされるのは誘引のためではなく、仏の本意にあらざることを示してこれを廃捨させるためなのである。このことは前の「真仏土文類」に対して真仮対弁の釈をおかれる意趣が、仮を捨てて真に入らしめんがためであったことでも知られるが、また本巻の内容がそうであって、要門釈の結びには
 此皆辺地胎宮懈慢界業因。故雖生極楽、不見三宝、仏心光明不照摂余雑業行者也
  これみな辺地・胎宮・懈慢界の業因なり。ゆゑに極楽に生ずといへども、
  三宝を見たてまつらず、仏心の光明、余の雑業の行者を照摂せざるなり
とあり、真門釈の結びに
 真知専修而雑心者、不獲大慶喜心。
  まことに知んぬ、専修にして雑心なるものは大慶喜心を獲ず。
とあり、「三宝を見たてまつらず」、「大慶喜心を獲ず」と、要門・真門の失を示されていることなどによって明らかである。
 つまり『教行信証』六巻は、前五巻では真実を直接あらわし(表顕)、第六巻では非なる方便を示すことによって真実をあらわす(遮顕)のであって、全六巻ただ真実をあらわすのみである。したがって坂東本の終わりには第六巻の尾題として「顕浄土真実教行証文類六」と、第六巻も顕真実の書であることを示しておられるのである。

著者紹介(発刊時)
 大正8年1月20日 岡山県生
 龍谷大学研究科(真宗学科)卒
 本願寺勧学 龍谷大学名誉教授

タグ : 村上速水 化身土文類

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