その古川さんが、はじめてここへ参ろうと思われたのが、また妙ですのや……。あの山田の駅を乗り降りする沢山の人の中に、大声でナムアミダブ、ナムアミダブと念仏を称えて、この河崎へ行きかえりする者が相当にある。それを他の伊勢参宮の人たちが、あざけり笑うたり、嫌うたりするけれども、一向平気でナムアミダブ、ナムアミダブとやっておる。それを駅長さんが始終見ていて、ああいう気持ちになれたら……ああ無我になることができたら……と思うて、ここへ訪ねて来られまして、
『どうぞ仏法をお聞かせ下さい』
『そんなら、もう駅をやめてからおいでなさい』
『それは…困りますが…』
『困るようなら、もうお帰りなさい。話は簡単ですのじゃ。ハハハハ……』
『それでも私が駅へ出なければ、家内や子供を養うて、働くことができぬようになります』
『そんな安っぽい仏法じゃごわせんわい! ナムアミダブ』
(和上しばらく瞑目、念仏相続の後)
それから十日くらいもたってから、また駅長さんがみえましてなあ……
『もう駅長をやめる決心をつけてきましたから、どうぞお聞かせください』
『さようか……それは結構、ナムアミダブ、ナムアミダブ……駅長さん、それではなァ、ここへ晩だけおいでなさい。それで、晩の六時頃までは、ここへ来るための時間を待つ、というつもりで、駅へでてよろしい……それなら駅長をやめんでもよろしいわなァ……やめた気持ちで時間を待つ……』
ナムアミダブ、ナム……(註・つぶやきの称名)そういうふうで、ここへこられるようになりましてなァ……それからだんだん昇進せられて、今では大阪の運輸局長とやらになってこのあいだも、高等官のピカピカでやってこられました。ナムアミダブ、ナム……」
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