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法然聖人

2009/12/12(土)
法然聖人一枚起請文を書かれたのは亡くなる2日前です。
いつもこのように仰っていたのでしょうね。
法然聖人の日頃のお言葉を、50年後に、しみじみとまるで目の前に法然聖人がおられるかのように語られる親鸞聖人もまた素晴らしい。

「浄土宗の人は愚者になりて往生す」
私はずっと、愚者になりたいと思っておりました。

法然聖人 一枚起請文】(註釈版聖典1429頁
 もろこし(中国)・わが朝に、もろもろの智者達の沙汰しまうさるる観念の念にもあらず。また、学文をして念の心を悟りて申す念仏にもあらず。ただ往生極楽のためには南無阿弥陀仏と申して、疑なく往生するぞと思ひとりて申すほかには別の子細候はず。ただし三心・四修と申すことの候ふは、みな決定して南無阿弥陀仏にて往生するぞと思ふうちに籠り候ふなり。
このほかにおくふかきことを存ぜば、二尊のあはれみにはづれ、本願にもれ候ふべし。念仏を信ぜん人は、たとひ一代の法をよくよく学すとも、一文不知の愚鈍の身になして、尼入道の無智のともがらにおなじくして、智者のふるまひをせずして、ただ一向に念仏すべし。
[浄土宗の安心・起行、この一紙に至極せり。源空が所存、このほかにまつたく別義を存ぜず。滅後の邪義をふせがんがために、所存を記しをはりぬ。]
  [建暦二年正月二十三日]

【親鸞聖人 御消息】(註釈版聖典771頁
 なによりも、去年・今年、老少男女おほくのひとびとの、死にあひて候ふらんことこそ、あはれに候へ。ただし生死無常のことわり、くはしく如来の説きおかせおはしまして候ふうへは、おどろきおぼしめすべからず候ふ。まづ善信(親鸞)が身には、臨終の善悪をば申さず、信心決定のひとは、疑なければ正定聚に住することにて候ふなり。さればこそ愚痴無智の人も、をはりもめでたく候へ。如来の御はからひにて往生するよし、ひとびとに申され候ひける、すこしもたがはず候ふなり。としごろおのおのに申し候ひしこと、たがはずこそ候へ、かまへて学生沙汰せさせたまひ候はで、往生をとげさせたまひ候ふべし。
 故法然聖人は、「浄土宗の人は愚者になりて往生す」と候ひしことを、たしかにうけたまはり候ひしうへに、ものもおぼえぬあさましきひとびとのまゐりたるを御覧じては、「往生必定すべし」とて、笑ませたまひしをみまゐらせ候ひき。文沙汰して、さかさかしきひとのまゐりたるをば、「往生はいかがあらんずらん」と、たしかにうけたまはりき。いまにいたるまでおもひあはせられ候ふなり。ひとびとにすかされさせたまはで、御信心たぢろかせたまはずして、おのおの御往生候ふべきなり。ただし、ひとにすかされさせたまひ候はずとも、信心の定まらぬ人は正定聚に住したまはずして、うかれたまひたる人なり。
 乗信房にかやうに申し候ふやうを、ひとびとにも申され候ふべし。あなかしこ、あなかしこ。
  文応元年十一月十三日        善信[八十八歳]
  乗信御房

歎異抄 第12章】(註釈版聖典839頁
 他力真実のむねをあかせるもろもろの正教は、本願を信じ念仏を申さば仏に成る、そのほかなにの学問かは往生の要なるべきや。まことに、このことわりに迷へらんひとは、いかにもいかにも学問して、本願のむねをしるべきなり。経釈をよみ学すといへども、聖教の本意をこころえざる条、もつとも不便のことなり。
一文不通にして、経釈の往く路もしらざらんひとの、となへやすからんための名号におはしますゆゑに、易行といふ。学問をむねとするは聖道門なり、難行となづく。あやまつて学問して名聞・利養のおもひに住するひと、順次の往生、いかがあらんずらんといふ証文も候ふべきや。
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タグ : 法然聖人 一枚起請文 御消息 歎異抄

2009/12/04(金)
加茂仰順師の『親鸞教学研究』より(若干変更)

第1項 法然聖人の事蹟
法然聖人は崇徳天皇の長承3年(1133年、源信僧都没後116年)
 美作国久米の稲岡に生まれる。
②9歳の時、父の横死に遭い、遺言により出家する。
 15歳の時、比叡山にのぼり、はじめ源光につき学び、(次いで皇円)、
 後黒谷の叡空の門に入る。
③黒谷の報恩蔵にて散善義の文により念仏往生の妙旨を体得し、余行を捨てて念仏一行に帰す。
 (43歳、親鸞聖人誕生後3年)
④後、東山の吉水にて有縁の人々に念仏の教えを説く。
 諸種の難題起こり、遂に念仏停止となり、四国に流される。
 4年を経て帰洛したが、翌年、順徳天皇の建暦2年(1212年)、
 東山大谷にて自寂す。年80。

第2項 著書
①西方指南抄
  法然上人の法語や行状を記す。27章より成る。
②漢語灯録 10巻
  望西樓了慧の編集
   大経釈
   観経釈
   小経釈
   選択集
   往生要集大綱
   往生要集略料簡
   往生要集詮要
③和語灯録 2巻
   三部経釈
   往生大要抄
   念仏往生要義
   七ヶ条の起請文
④一枚起請文
  勢観房源智の請によって臨末に書きのこされたといわれる一枚法語。
  一代仏教の本意を略述し、門弟への遺誡ともなる。
⑤選択本願念仏集
  選択本願の行である念仏について諸師の要文を集め、他力本願のみ心をあらわし、
  念仏一法が超勝であるという選択本願の念仏をあらわしたもので、立教開宗の要典である。
  この書は種々説があるが、建久9年(法然聖人66歳)、藤原兼実公の懇望によって、
  念仏の要文を撰集したものである。
  16章より成り、各章始めに経釈の文を挙げ、後に私釈を加う。
  (1)特に標宗の文 南无阿弥陀仏 往生之業 念仏為本
  (2)三選の文は本集の精髄にして、法然教学の骨目である。
  本集は法然聖人入滅の年(建暦2年)印行出版される。

第3項 教義の大要(以下項目のみ)
 1 浄土宗独立
 2 選択本願念仏
 3 信疑決判
 4 難易勝劣
 5 三選の文


タグ : 加茂仰順 法然聖人

2009/11/04(水)
それにしても昨日はいい月でした。
満月でしたね。
夜10時半ごろには月の下にオリオンが来てました。
月齢は15.9ですから、「十六夜に近い満月」ってところでしょうか。
(正確に言うと、11月1日が十五夜、2日が十六夜、3日は立待月なんだそうです。必ずしも十五夜=満月じゃないんですね。3日は満月です。)

昨日は所用で愛知県に行ったんですが、愛知県の月も満月でしたし、帰宅して見た月も満月でした。
(ん、当たり前か)

太陽は直接見ると目に悪いですが、月の光は優しくて眺められるからいいですね。

月かげのいたらぬさとはなけれども
 ながむるひとのこころにぞすむ

 (法然聖人のお歌、蓮如上人御一代記聞書にも出ています)

余談ですが、月を見ると「Thriller」や「ドラゴンボール」や「セーラームーン」を思い出す人は多いでしょうが、トッペイを思い出すのは歳でしょうか。
水谷豊もいい中年になりました。

タグ : 法然聖人 御一代記聞書

2009/10/15(木)
法然聖人のお言葉については、すでにコメントで出していますので、省略しました。
http://kondoutomofumi.blog121.fc2.com/blog-entry-183.html#comment300
選択本願念仏集の念仏付属章をお読み下さい。
註釈版聖典七祖篇 1262-1274頁

タグ : 法然聖人

2009/10/05(月)
蓮如上人御一代記聞書2より
【原文】
あさの御つとめに、「いつつの不思議をとくなかに」(高僧和讃・三三)より「尽十方の無礙光は 無明のやみをてらしつつ 一念歓喜するひとを かな らず滅度にいたらしむ」(高僧和讃・三八)と候ふ段のこころを御法談のとき、「光明遍照十方世界」(観経)の文のこころと、また「月かげのいたらぬさとはなけれども ながむるひとのこころにぞすむ」とある歌をひきよせ御法談候ふ。なかなかありがたさ申すばかりなく候ふ。上様(蓮如)御立ちの御あとにて、北殿様(実如)の仰せに、夜前の御法談、今夜の御法談とをひきあはせて仰せ候ふ、ありがたさありがたさ是非におよばずと御掟候ひて、御落涙の御こと、かぎりなき御ことに候ふ。
註釈版聖典 1231頁
【現代語訳】(浄土真宗聖典 現代語版より)
朝の勤行で、『高僧和讃』の「いつつの不思議をとくなかに」から「尽十方の無碍光は 無明のやみをてらしつつ 一念歓喜するひとを かならず滅度にいたらしむ」までの六首をおつとめになり、その夜、蓮如上人はこれらのご和讃のこころについてご法話をされたとき、『観無量寿経』の「光明はひろくすべての世界を照らす」という文と、法然上人の

 月かげのいたらぬさとはなけれども
     ながむるひとのこころにぞすむ
  月の光の届かないところは一つとしてないが、
  月はながめる人の心にこそやどる

という歌とを引きあわせてお話になりました。そのありがたさはとても言葉に表すことができません。蓮如上人が退出された後で、実如上人は、前夜のご法話と今夜のご法話とを重ねあわせてお味わいになり、「まったくいいようのないありがたいご法話であった」と仰せになり、上人の目からはとめどなく涙があふれ出たのでした。
【補足】
足元の自分の影ばかり見ている人がいますが、月を眺めましょう。
かみしめたいと思います。

タグ : 法然聖人 御一代記聞書

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