蓮如上人

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2010/07/27(火)
蓮如上人の最後の御文章は帖内の4帖目第15通「大阪建立」だと思っている人がいるかもしれませんが、そうではありません。
年月日の分かるもので最後の御文章は明応7年12月15日、上人84歳の時のものです。
(真宗聖教全書5ー439頁)

「大阪建立」の御文は明応7年11月21日ですね。

ちなみに、御筆はじめの御文章は寛正2年3月、上人47歳の時のものです。
(真宗聖教全書5ー287頁)

これはインターネットで検索すればどこにでも書かれているでしょう。
ここでは故千葉乗隆教授のお寺である「千葉山安楽寺」のHPの該当箇所を紹介しておきます。
http://www.anrakuji.net/bukken/bukken299.html
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タグ : 蓮如上人 御文章 帖外御文 千葉乗隆

2009/09/23(水)
「法界身」のところで、存覚上人の言葉を引用しましたが、もう一度あげます。
歎異抄第8章の言葉にも通じることがお分かりになると思います。
ここで、『観無量寿経』の「諸仏如来はこれ法界の身」の「諸仏如来」が=「阿弥陀如来」であると説明されています。

光明寺の和尚は「行者の信にあらず、行者の行にあらず、行者の善にあらず」とも釈したまへり。無碍の仏智は行者の心にいり行者の心は仏の光明におさめとられたてまつりて、行者のはからひちりばかりもあるべからず、これを『観経』には「諸仏如来はこれ法界の身なり、一切衆生の心想のうちにいりたまふ」とはときたまへり。諸仏如来といふは弥陀如来なり。諸仏は弥陀の分身なるがゆへに諸仏をば弥陀とこゝろうべしとおほせごとありき。
存覚上人 浄土見聞集 真宗聖教全書3 379頁)

ところで、存覚上人については、一つのエントリーをさいて言及しましたが、蓮如上人がどのように思っておられたかを、御一代記聞書から示します。
引用方法はこれまでと同様です。

(158)
 前々住上人(蓮如)、南殿にて、存覚御作分の聖教ちと不審なる所の候ふを、いかがとて、兼縁、前々住上人へ御目にかけられ候へば、仰せられ候ふ。名人のせられ候ふ物をばそのままにて置くことなり。これが名誉なりと仰せられ候ふなり。

(註釈版聖典 1281頁)

【意訳】
 蓮如上人の御隠居場所である南殿へ、兼縁公がおうかがいして、存覚上人の御製作になった聖教にすこしばかり不審な箇所があるのを書きだして「これはどんなものでありましょうか」と蓮如上人へお見せしてお訪ねになったところ「名人のおつくりになったものは、不審なところがあっても深意のあることであろうから、そのままにしておくことである。そういうところのあるのが、却って名誉とされるところであろう」と上人は仰せられた。


兼縁公とは、蓮悟 蓮如上人の第16子・第7男 1468-1543 母は蓮祐
加賀若松本泉寺を開く

【解説】
 蓮如上人の先徳に対する崇敬があらわれている。小賢しい批議をさしひかえて、謙ったこころもちから、先徳の功績を称陽される床しい風格が、うるわしく描き出されてある。


【私の補足】
北塔光昇師が論文「存覚上人における祖先崇拝と先祖供養」の末尾に次のように書いておられます。

 以上、存覚上人の祖先崇拝、並びに先祖供養に対する立場を考察してきたが、それは作法等を世間に疑似させることはあっても、決して宗祖の立場を離れるものではないことがわかる。ただ、よほど注意をして上人の著作に接しないと、その真意を得ることができないばかりか、時として混乱に陥るものである。

歎異抄後序で唯円が「かまへてかまへて、聖教をみ、みだらせたまふまじく候ふ。」と書いているように、聖教はよくよく注意して拝読しなければならないと思います。
なお、この文の前には「おほよそ聖教には、真実・権仮ともにあひまじはり候ふなり。権をすてて実をとり、仮をさしおきて真をもちゐるこそ、聖人の御本意にて候へ。」とあります。
「方便」に関するコメントで「権仮方便」という言葉を初めて知られたという人もいましたが、御和讃などにもありますし、身近な歎異抄に、このように「真実・権仮」とペアで出ていますので、申し添えておきます。

タグ : 存覚上人 蓮如上人

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