(項目を表す漢数字をアラビア数字にするなど記号を変えています)
第3項 三願の真仮
1.三願の大要
なお、真宗の法義として三願の窺い方が大切であるから、これをまとめておくことにする。
1 三願各生
三願ともに因法果益共に誓うもの、これ各生の所以である。
法事讃には三往生を明かすものを以て配釈する。
2 三願各生を誓うものは、随自随他の意に依る。
仏意
法体独用を以て一切衆生を平等に救うにありー随自意
被救済者に一分修行を要求するものー随他意
3 三願相違点
①行信前後の異
②三心の異(信楽の有無)
③行業の異(乃至と積集の異)
4 信前行後は絶対他力を誓われてある。
①衆生の行業の無い前に信のあるのは、名号の独用を示す。
②三信既に信楽を誓うのは、往生に就いて疑心のない証である。
③乃至十念は一多不定の故に、行功を認めない証である。
5 行前信後は自力自摂の法であることを示す。
①行功の如何によって、信の成否強弱を知る。
②発願と言い、廻向という所に行功が主要となってある。
③修諸功徳、植諸徳本というところにおいて、行功の積累を要す。
方便願というても、機の受行に就けば、信前行後である。
観経上々品にまず三心を明かし、次に三種行を出す。
しかし、法義に就く時は主たる行を先にする。
これは修入は必ず行に依ることを示すからである。
2.三願真仮のまとめ
要するに
1 信前行後と誓い、信楽の信、乃至の行を以てする所に於いて、第18願の往生は法体独用であることを知り、随自意の誓願であることが分かる。
2 第19願は、行前信後の誓いであり、しかもその行業は諸行であり、聖道成仏法の善根である。
故に漸く発願の力によって浄土の行とする。
これ聖道不堪を知りながら、一面他力に直入し難く、かえって自己所修の善根をたのむ自力行者を浄土門に誘引せんとする願であることが知られる。
また、第20願の如きは、行前信後にして、しかもその行体は名号である。
独立の名号を持ちながら、如実に達せないから名号の用を失うて、称の功を立てんとするのである。
不廻向の行を持ちながら、廻向を要する行とする。
故に廻向心を出し、その失を示すのである。
3 このようなわけで第19、第20の二願は共に自力行者をして、自力をすてて、他力に帰入せしめんがための随他方便の願としてのものである。
真仮はここに決するのである。
3.三経の意義
尚、釈尊開説の三経について窺うと、
1 大経は顕露彰灼の経であって、廻向を語る。
2 観経は、隠顕があって、余法を以て弘願を隠し、経末に於いて廃権立実す。
3 小経もまた隠顕があり、六方の諸仏は他力法を証誠されてある。
化土巻はこの意を釈され、しかも二願の意と二経の意を述べてある。
即ち顕彰隠密の釈をされているのである。