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ひとひねり

2010/01/23(土)
今日の夕食は某カレーチェーン店で済ませました。
ビーフカレーを注文しました。
やがて持って来られたビーフカレーを食べようとしたところ、ビーフが入っていないのです。

私 「これビーフカレーですか」

店員Aが店員Bに「これビーフカレーだよね」(Bさんがこのカレーを作った人です)

店員Bが店員Aに「ハイ、ビーフカレーです」

私 「そう?僕はあちこちの○○(チェーン店の名前)でビーフカレー食べてるけど、ビーフの入っていないビーフカレーって無かったですよ」

店員Aが店員Bに「君、ビーフ入れた?」

店員Bが店員Aに「あっ!忘れました。すみません」

ということで私は何とか、ビーフカレーを食べることができました。
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2010/01/20(水)
センター試験の国語の第2問の問6は、
「この文章(問題になっている小説の文章)の叙述の説明として適当でないものを、次の①~⑥のうちから二つ選べ。ただし、解答の順序は問わない。」
というものでした。
 正解は③と④でしたので、①②⑤⑥は「適当な叙述」ということなのですが、このうち①は↓でした。

 本文では、「スゴイ学校は他にいくらでもあった」「スゲェナ」「サムイ」などをカタカナで表記することで、これらの表現に話し言葉らしさや若者言葉らしさを与えている。


 つまり「すごい」という言葉は「話し言葉」であり「若者言葉」だということなのです。
 歎異抄第1章の「摂取不捨の利益」を「凄い弥陀の救い」と表現している人がいますが、「スゴイ弥陀の救い」とした方が良かったかもしれません。
2010/01/20(水)
センター試験も終わりましたが、教養として古文の勉強でもしましょう。
徒然草236段は試験によく出るのではないかと思いますし、皆さんの中にも中学・高校時代に習った人もいるのではないでしょうか。

【原文】
丹波に出雲と云ふ所あり。大社を移して、めでたく造れり。しだの某とかやしる所なれば、秋の比、聖海上人、その他も人数多誘ひて、「いざ給へ、出雲拝みに。かいもちひ召させん」とて具しもて行きたるに、各々拝みて、ゆゝしく信起したり。
御前なる獅子・狛犬、背きて、後さまに立ちたりければ、上人、いみじく感じて、「あなめでたや。この獅子の立ち様、いとめづらし。深き故あらん」と涙ぐみて、「いかに殿原、殊勝の事は御覧じ咎めずや。無下なり」と言へば、各々怪しみて、「まことに他に異なりけり」、「都のつとに語らん」など言ふに、上人、なほゆかしがりて、おとなしく、物知りぬべき顔したる神官を呼びて、「この御社の獅子の立てられ様、定めて習ひある事に侍らん。ちと承らばや」と言はれければ、「その事に候ふ。さがなき童どもの仕りける、奇怪に候う事なり」とて、さし寄りて、据ゑ直して、往にければ、上人の感涙いたづらになりにけり。

【現代語訳】
 京都の丹波地方にも出雲というところがある。島根の出雲大社の流れをひく立派な社が造営されている。しだ某という者の領地で、ある年の秋、聖海上人など大勢の人を招待して「是非当地の出雲神社にお参り下さい。おはぎでもご馳走いたしましょう」と(しだ某が言ったので)連れだって出かけ、おのおの拝殿でお祈りをして、大いに信仰心を起した。
 拝殿の前の獅子と狛犬が反対に向いて背中合わせになっているのを、聖海上人が見て感心し、「おお、この獅子の立ち方はなんと素晴らしいことだ。きっと深いいわれがあるのだろう」と涙ぐみながら「皆さん方にはこのすばらしさがお分りにならんのですか。それではあんまりだ」と言ったので、他の者たちもみな不思議がって「そう言えば本当に変っていますな」とか、「これは都への土産話としましょう」とか言うと、上人は、もっとそのいわれを知りたいと思って、かなりの年配の、いかにもこの神社のことに詳しそうな神官を呼んで、「ちょっとお伺いしたいのですが。このお社のお獅子の立て具合にはきっと何かいわれがあるのでございましょうな」と言うと、「それなんですよ。あれはいたずらな子供たちの致しました事で、けしからんことでございます」と言いながら近寄って向き合うように置きかえて、去って行ったので、上人の感動の涙は無駄になってしまった。

【読後感想】
「深いみ心」といっても、こういうことがよくあります。
2009/12/07(月)
 ダイソンの掃除機がいいのは、サイクロン方式で吸引力が強く、衰えないということが売りなのですが、もう一つはゴミを吸っているのが「見える」という点です。
 最近は「サイクロン方式」「見える」とも、似たような掃除機も増えましたが、この点はダイソンがはしりではないかと思います。
 見えると、掃除が楽しくなりますし、きれいになっているということが実感できます。
 古い掃除機を使っていると、紙パックが一杯になっていなくても音だけ大きくて全然ゴミを吸っていなかったなんてこともありました。

 人間というのは変化(もちろん良くなる変化)が分かると安心するのかもしれません。
 でもすべてが目に見えるわけではありません。

「信仰のバロメーター」とか「求道のバロメーター」などという言葉を使う人がありますが、おかしな言葉です。
「信仰」や「求道」というものは計量・計測できるものではないでしょう。
(今は、浄土真宗でこれらの言葉をどのように使うかということはおいておきます)

 ちなみにグーグルで「信仰のバロメーター」「求道のバロメーター」を検索してみるといいでしょう。
 その場合“信仰のバロメーター”、“求道のバロメーター”と「“”」でくくって下さいね。
2009/12/07(月)
知っている人は知っているけれど、知っていない人は知っていない「緑色の赤ちゃん」
知らない人のために少し説明します。
(詳しい経緯は省略して、ポイントのみです)

この緑色の赤ちゃんに5m以内に近づいた場合、距離に反比例して自分の身体が小さくなるのです。
計算がややこしいので、5mを4mに変更して始めますと、
 4mで等身大
 2mで半分
 1mで4分の1
 50㎝で8分の1
 25㎝で16分の1(身長160センチの人ならば10センチになるということ)
以下同じ

ということでいつまでたっても赤ちゃんに触ることができないのです。
これはコミックの話ですが、似たような話があります。

 平生元気な時、救われます。
→5年や10年で救われるようなものではありません。
→20年や30年で獲信できるものではありません。(工工工エエェェ(゚Д゚)ェェエエ工工工)
→50年位聞いて合点できるようなものではありません。(ォィォィ!)
→人生の目的ではなく多生の目的なのです。臨終に完成すれば万々歳なのです。(臨終っていつだよ)

いやはや。
今日聞いて、今日救われるのが、阿弥陀仏の救いです。
2009/12/07(月)
 都会の大きな駅や地下街で人とすれ違う時、向こうからやってくる人を避けるために左によけると、向こうの人が右によけてぶつかりそうになります。それでこちらがさっと右にかわすと、相手も左にかわして、またぶつかりそうになります。
 ふつうは「あ、すみません」で終わりますが、こんなことをしている為に電車を1本乗りそこなって遅刻したら悔しいですね。
 先読みするのがいつでもいいってわけじゃないです。
2009/12/07(月)
暖房の季節になりました。
夏に使っていた扇風機を、エアサーキュレーターとして冬に使う人もいると思います。

扇風機には普通は羽根があります。
「普通は」と言ったのは、羽根の無い扇風機もあるからです。
まだ販売されていませんが、掃除機メーカーのDysonが「羽根の無い扇風機」を作り、話題になりました。
http://www.dyson.co.jp/store/fans.asp
ちなみに私は掃除機はDysonのものを使っています。

扇風機の羽根を止めているネジは「逆ネジ」になっています。
ちゃんと矢印で「しまる」「ゆるむ」と書いてあるのですが、それをよく見ないで一所懸命左に回しても、よけいきつく締まるだけで緩みません。
当たり前です。
一所懸命すればいいってものじゃなくて、方向が逆だとダメなんです。
これって大事なことです。
2009/12/03(木)
昔、高校に入学して1週間後の昼食時に急に吐き気をもよおして病院に行ったところ、診断は「虫垂炎」でした。
お腹は痛くもなんともなかったのですが、医者がそう言うのですから、そのまま入院して手術を受けました。
これまでの人生、入院したのはその時の1回だけです。
(生まれたばかりの時も、病院のベッドにいたことはいたので、2回目とも言えます)

手術の前に、自分で虫垂炎かどうかを調べたのではありません。
医者が診断したのです。
お腹が痛くないのに虫垂炎なのかぁとは思いましたが、お腹が痛くなければならないとは思いませんでした。
医者が虫垂炎と言ったのですから。
何しろ虫垂炎になったことがなかったので、虫垂炎とはどういうものか知らなかったのです。
(当たり前だろと言うなかれ)

その手術の後、一度も虫垂炎になっていません。
(アホかと言うなかれ)
他の医者に診てもらって、私に虫垂ついてますか?などと聞いたこともありません。
自分の腹を切ってみて、虫垂があるかどうか確かめたこともありません。

やっぱり、あの医者の言った通り、虫垂炎だったんだ。
今後も虫垂炎になることはないんだ。
虫垂がないのですから。
言うまでもないですね。

でも
やっぱり、あの医者の言った通り、虫垂炎だったんだ。
今後も虫垂炎になることはないんだ。
と、四六時中思っているのではないですよ。
虫垂炎の話題が出た時に思い出します。
お腹の手術の傷跡を見た時に思い出すこともあります。
(傷跡は毎日見てますけどね)

もう一度虫垂炎になってみたいとは思いませんが、なろうとしても無理ですよね。

今は虫垂炎での入院は短くなりましたが、当時はまだ長かったですので、入院中に大岡昇平の『俘虜記』と志賀直哉の『暗夜行路』を読みました。

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