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大江淳誠和上

2010/08/30(月)
 善導大師が『観無量寿経』を解釈されました『四帖疏』の第四巻散善義に、『観経』の三心のうちの第二の深心の意を述べられたましたそのお釈の中に、

 「二には深心」と。 「深心」といふはすなはちこれ深く信ずる心なり。 また二種あり。 一には決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかたつねに没しつねに流転して、出離の縁あることなしと信ず。 二には決定して深く、かの阿弥陀仏の、四十八願は衆生を摂受したまふこと、疑なく慮りなくかの願力に乗じてさだめて往生を得と信ず。


とあるのご文が、この論題のよりどころであります。
 ところで宗祖聖人のお釈によりますと、『観無量寿経』には顕説と隠彰の両様の意味があるといわれます。その顕説というのは経文の上に顕著に示されてある側の法義であって、第十九願の要門の義であり、隠彰というのは経文の上ではさかんに説かれてなく隠微に示されてあるが、それは第十八願の法義であるとされてあります。したがって三心の意義もこの隠顕の両方の義にわたってくるのであります。そこで深心も両様にうかがわれるのでありますが、いまこの二種深信という場合はその隠彰の義すなわち第十八願の法義に限るものとするのであります。
 『散善義』の釈文の初めに、まず、

「深心」といふはすなはちこれ深く信ずる心なり。


とあるのは、『大無量寿経』の第十八願成就の文に「聞其名号信心歓喜」とあるその信心の語をもって『観経』の深心を解釈されるのであって、深心の本義は第十八願の意にありとされる意味であります。
 そこで次に「また二種あり」といわれる「二種」は第十八願の信心すなわち純粋なる他力の信心を両方に開いて示されるのであって、二種とあっても別のものでないことがわかるのであります。
 その「二種あり」といわれるうちの初めはいわゆる「機の深信」というのであって、お名号の至りとどいた人すなわち信心を得た人にあっては自分の本来のすがたを知らされた側をあらわすのであります。自分本来のすがたというのは無始よりこのかた生死の境界をめぐって来て、今日只今も妄念の心しばらくも止むことなく貪欲・瞋恚の思いがいつも起こっており、したがって未来永劫迷いをでることのできぬのが自分の実情であると知らされるのであります。知らされるというのは「聞其名号信心歓喜」の「信心」の内容であってみれば、名号の到り届いたところにあらわれるものでありますから、機の深信といっても自分が知るのではなくして知らしめられるのであります。過去・現在・未来にかけて三界生死を離れることのできぬ自分ということを知らしめられることを機の深信とするのであります。その三世にわたって生死を出られぬと知らしめられた心の内容というのは、自分では生死を出られるような行のできぬこと、すなわち自分の力の役に立たぬことを知らされることであり、自力の心を全く離れること、自力心のすたったことをいうのであります。
 次に法の深信というのは如来の法のありのままを知らしめられることであります。その如来の法というのは名号のいわれであり、名号は本願の成就した果号であります。いまのご文では「阿弥陀仏の、四十八願は衆生を摂受したまふこと」と示されるのであります。「四十八願」とありましても実は第十八願のことであります。深心釈のうち宗祖の申される第七深信の文に「一心にもつぱら弥陀の名号を念じて」などと申されるところに「かの仏の願に順ずるがゆゑなり」とある仏願と同じでありますから第十八願のことであります。その「法」は我ら衆生を摂めとってくださる願力の独用、名号のはたらきで往生させてくださることを「衆生を摂受したまふこと」といいます。「疑なく慮りなく」というのは「かの願力に乗じて」という乗の意味でありまして如来の願力に対していささかの疑いもなく慮りもなくうちまかせた心ぶりを「疑なく慮りなく」といいます。「かの願力に乗じて」の「乗」の意味は『行文類』に「駕なり」「登なり」とお示しなされてありまして、駕に乗れば駕にまかせ、船に載せられたら船の運びにまかせるごとく、何ら気がかりもなくうちもたれた心ぶりをいうのであります。
 そこで信機・信法二つになっていましても一つの信相を示されるのであります。自己の本来の相を知らしめられたところに己の力を用いんとする心がすたり、本願のありのままを知らしめられるから願力にうちもたれるのであります。そこで己の功を用いんとする心のすたったままが願力にうちまかせたのであり、願力にうちまかせたままが自力心のすたったのであります。これを「捨機託法」といいます。「捨機」とは機の功を用いんとする自力の心のすたったことをいうのであり、「託法」というのは法に乗託する、すなわちうちまかせた心でありますから、この二つは願力を仰ぐ喜びの心を両方から述べたことであります。
 また願力の法というものは三世にわたって出離の縁のない機のために成就されたもので、『信文類』に聞其名号の「聞」の意味を解釈されて、

「聞」といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。


と述べられてあります。その生起本末という「生起」とは本願の起こらねばならぬ「もと」ということでありまして、その「もと」とは生死輪廻のはてなき我ら衆生のことであります。「本末」というのは法蔵因位の願と行とを「本」とし、十劫の正覚の成就を「末」とします。そこで「生起」は機であり、「本末」は法のことになります。したがって法は機のためにあるので、機を離れた法はないことになります。このように機と法とは離れられぬ一具のものでありますから、信機・信法の二種も一具ということになります。捨機託法といえば捨機即託法であり、信機・信法といえば二種一具ということになります。いずれの言い方にしましても二種深信は他力の信心、第十八願の信楽のすがたをあらわされたものにほかならぬのであります。
 『往生礼讃』の前序の文にまた三心のご解釈がありまして、その第二の深心の釈が二種となっております。その文というのは、

二には深心。すなはちこれ真実の信心なり。自身はこれ煩悩を具足する凡夫、善根薄少にして三界に流転して火宅を出でずと信知し、いま弥陀の本弘誓願は、名号を称すること下十声・一声等に至るに及ぶまで、さだめて往生を得と信知して、すなはち一念に至るまで疑心あることなし。ゆゑに深心と名づく。


とあります。初めに「深心すなはちこれ真実の信心なり」とあるのは『散善義』の釈と同じく本願成就文の信心をもって『観経』の深心を解釈されて深心の本義は第十八願の義にありとされるのであり、そこでそれを開いて信機・信法の二種とされるのであります。「信知」という語が二度置かれてあるのは、その意であります。
 その初めの機の深信の文において、「自身はこれ煩悩を具足する凡夫、善根薄少にして三界に流転して火宅を出でず」とあって『散善義』の方に「現にこれ罪悪生死の凡夫」などとあるのと文の相が少し異なるように見えますが、その意は同一であります。「出離の縁あることなし」というのも「三界に流転して火宅を出でず」というのも同一のことであります。『礼讃』の方には「善根薄少」といい、『散善義』の方に「罪悪生死」とあるのは、ただこれ言葉の緩急の別だけであります。その法の深信の文にあっても『礼讃』の方には「本弘誓願は、名号を称すること下十声」などといって称名を出してあるが、『散善義』では後の方にある、いわゆる第七深信のうちの就行立信の文に「一心にもつぱら弥陀の名号を念じて」などといって称名をあげ、次に「これを正定の業と名づく、かの仏の願に順ずるがゆゑなり」と第十八願に順ずるの行としてあるのと何ら異なるところはありません。『散善義』は『観経』の文を釈せられるものであるから深心についても広く解釈せられ、『礼讃』は序文の中であるから簡単に示され、『散善義』のいわゆる第七深信の「順彼仏願」の称名を第二の深信の中に摂めて示されるのであります。
 次に、この二種深信は第十八願の信心についてのみいわれるので、方便の願である第十九の願や第二十願の信にはいわれません。『二巻鈔』の下巻に宗祖聖人は初めに二種深信の文のみをあげて、

いまこの深信は他力至極の金剛心、一乗無上の真実信海なり。


と示され、その後に「文意を按ずるに」などといって、七深信をあげられてあります。それで信機・信法の二種深信は弘願の信に限るとされるのであります。
 次にこの二種深信は勿論初起・後続に通ずるのであって一生涯にわたって相続する心相であります。かの二河白道の解釈において貪瞋煩悩は一生涯にわたって続いているのであり、白道の信心ももとより一生相続の信とされてあります。白道の行者となった他力信心の人でも、その性得の根性は一生涯にわたって同じことであって地獄一定のものであります。あたかも石の重さが、その陸上にあるとき百貫のものは、船の上に載せてからでも同じく百貫の石であります。すなわち石でそれ自体は水に沈むのがその性質であります。その船上に載せて沈まぬのは沈む石の重さより浮き上がらしめる船の力が勝るからであります。それがごとく行者の自性は生死の海に沈むべきものでありますが、阿弥陀仏の大願業力の押し上げる力が勝るものであるから地獄一定の性得の凡夫が彼岸の浄土に到るのであります。
 このように性得の機の無功であって、ただ願力の法のみによるの意義は初起も後続も一貫して変わりがないのであります。
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タグ : 大江淳誠 安心論題 二種深信

2010/08/26(木)
(強調は私がほどこしました)以下引用

 『最要鈔』に、

信心歓喜乃至一念のとき即得往生の義治定ののちの称名は仏恩報謝のためなり。さらに機のかたより往生の正行とつのるべきにあらず。


とあり、『口伝鈔』には、

されば平生のとき、一念往生治定のうへの仏恩報謝の多念の称名とならふところ、文証・道理顕然なり。


と示され、そのほか蓮如上人の『御一代記聞書』『御文章』などにしばしば述べられてあります。
 「称名」とは第十八願の上に「乃至十念」とある相続の行のことであって、本願の行者が信心を得たる後に口に南無阿弥陀仏と称える声のことであり、「報恩」とはこれを称える心もちはその称名の功を往生の因とするのではなく、ただ広大な仏恩を喜ぶ心のほかなきことをいうのであります。
 信心正因の義より称名報恩の義が出てくるのであるから、称名報恩ということはいよいよ信心正因を明らかにするのであります。
 したがってこれは第十九願に「発菩提心修諸功徳」といい、第二十願に「係念我国植諸徳本」という方便両願の行とは、本質的に異なることをあらわすのであります。
 本願成就文の「乃至一念」の語が信心正因の義を決定するのであるから、称名報恩の義もまたこの文より来るのであります。成就文の「乃至一念」の一念は、「即得往生」の即と照応して信の一念に往生の定まることをあらわすのであります。したがって信後の称名は往生の因に関係なく、ただ仏恩報謝の行業なることがあらわれてくるのであります。
 本願の「乃至十念」の称名と成就文の「即得往生」の即の義とを対映すると、信因称報(信心正因称名報恩)の義が出てくるのでありますが、これを七高僧のお釈の上で見られるのが龍樹菩薩の『易行品』弥陀章の釈意であります。かの弥陀章の文のはじめ長行においては第十八願の意を述べて、

阿弥陀仏の本願はかくのごとし、「もし人われを念じ名を称してみづから帰すれば、すなはち必定に入りて阿耨多羅三藐三菩提を得」


とあって、信心と称名とを出されてあるが、次の偈頌には信心のみをあげて称名を出さずに、

人よくこの仏の無量力威徳を念ずれば、即時に必定に入る。このゆゑにわれつねに念じたてまつる。


とあります。この「即時に必定に入る」という文には信心をもって正因とし、称名はその後の感恩の行事ということがあらわれています。そこで宗祖聖人は正信偈に、

憶念弥陀仏本願 自然即時入必定 唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩


とのべられるのであります。
 第十九願に「修諸功徳」とある諸行も、第二十願に「植諸徳本」とある念仏も、諸行と念仏との別はあっても、いずれも己の行功を往生の因にあてがう自力の願生であります。故にそのつとめる行業には報恩の義はありません。このゆえに知恩報徳は第十八願の行者の上にのみ語り、しかもこれを現生の利益とするのであります。
 『信文類』に第十八願の行者について、現生十種の益を示されてあります。その第八が知恩報徳の益であります。これに対して方便両願の行者には知恩報徳の義のないことをのべて、『真仏土文類』の終りには、

真仮を知らざるによりて、如来広大の恩徳を迷失す。


といい、また『化身土文類』に第二十願の行者の過失をあげて、

まことに知んぬ、専修にして雑心なるものは大慶喜心を獲ず。ゆゑに宗師(善導)は、「かの仏恩を念報することなし。…中略…」といへり。


とあります。『和讃』の中にも第二十願真門の自力念仏の行者を誡めて、

仏智の不思議をうたがひて
自力の称念このむゆゑ
辺地懈慢にとどまりて
仏恩報ずるこころなし


とも示されてあります。
 ところで報恩ということはただ称名ばかりに限るのではなく、信心決定後の所作は、すべて知恩報徳の行事であります。『化身土文類』に、

ここに久しく願海に入りて、深く仏恩を知れり。至徳を報謝せんがために、真宗の簡要を摭うて、恒常に不可思議の徳海を称念す。


とあり、『和讃』には、

仏慧功徳をほめしめて
十方の有縁にきかしめん
信心すでにえんひとは
つねに仏恩報ずべし


とあるごとき、著書弘伝などみな報恩のこころより為すことが示されてあります。すなわち身・口・意の三業の所作すべて報恩の為なりとされるのであります。かくのごとく身業の礼拝、口業の讃嘆、意業の憶念、みな信後報恩となるのでありますが、殊にいまこれを口業の称名において語るのは称名をもって代表するからであります。
 ところで称名をもって代表するというのは、本願の「乃至十念」にもとづくのであります。本願の乃至十念を称名において語って信後相続の行とすることは、さきにあげた『易行品』の文以下に明らかであります。
 乃至十念の念仏は、あるいは正定業と談じ、または報恩の称名といいます。正定業というのは行者の口より出てくる称名は、広大な如来の慈悲すなわち名号が煩悩心の中に満入し、それが声に現れてくるのでありますから、称名の当体が名号であります。そこでその体徳の上から正定業というので、『行文類』に「称名はすなはちこれ最勝真妙の正業なり」とあるのがその意であります。
 そうしていまこれを「報恩」というのは行者の称うる心持からいうのであります。さきにいうように、称えてこれを往生の因にあてがうのでなく、ただこれ仏恩報謝のおもいよりほかにないからであります。蓮如上人の『御一代記聞書』に、

弥陀をしかと御たすけ候へとたのみまゐらすれば、やがて仏の御たすけにあづかるを南無阿弥陀仏と申すなり。しかれば、御たすけにあづかりたることのありがたさよありがたさよと、こころにおもひまゐらするを、口に出して南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と申すを、仏恩を報ずるとは申すことなりと仰せ候ひき。


とあり、また、

蓮如上人仰せられ候ふ。信のうへは、たふとく思ひて申す念仏も、またふと申す念仏も仏恩にそなはるなり。他宗には親のため、またなにのためなんどとて念仏をつかふなり。聖人(親鸞)の御一流には弥陀をたのむが念仏なり。そのうへの称名は、なにともあれ仏恩になるものなりと仰せられ候ふ[云々]。


と示されてあります。
 乃至十念の称名は仏恩報謝の経営なりというのは法義の性質上、往生の業因決定の後の作業であり、行者の称える心もちよりいうのであって、如来が本願に、信心のほかに乃至十念の称名を誓われたわけは、すでに「十念誓意」の題のところで述べたように、信心はつとめ易く、行じ易い称名として相続せしめることを誓われたのであって、仏が報恩を求められたものではありません。『法事讃』に諸仏世尊の徳を讃嘆する文に、

長劫に勤々として疲労の苦痛を忍びたまふ。 また生のために苦行すといへども、小恩を覓めず、


とのべられてある。阿弥陀仏如来も、もとより本願に報恩を誓われるはずはないのであります。

タグ : 大江淳誠 安心論題 称名報恩

2010/08/15(日)
※説明は別の記事でします。今回は引用のみです。以下引用。

 第十八願のご文には「至心信楽欲生我国」と仰せられる三心のほかに、さらに「乃至十念」というお言葉を置かれてあります。これが仏の慈悲が我らの上にいただかれたすがたを、ここに示されたのであります。
 ところで真宗のご法義におきましては信心正因といって、三心が涅槃の真因であるということになっております。しかもそれは阿弥陀様のお誓いであるというので、大経の『和讃』に、

至心・信楽・欲生と
十方諸有をすすめてぞ
不思議の誓願あらはして
真実報土の因とする

と述べられてあります。あれが第十八願のこころをおよみなったのです。そうすると、阿弥陀様ご自身が、信心をもって涅槃の真因とするとお誓いなされたということになっております。
 さらに親鸞聖人は、『信文類』の信楽の解釈のところに、

この心はすなはち如来の大悲心なるがゆゑに、かならず報土の正定の因となる。

とおっしゃってありますし、後の本願成就の文のご解釈には、

一心はすなはち清浄報土の真因なり。


と、こういうふうに示されてあります。また『正信偈』の中には「至心信楽願為因」とおっしゃってある。そういうふうに窺いますと、往生の因法、報土に往生する正因は、三心すなわち信心であるということになります。
 しかるに本願の上にはさらに「乃至十念」をお誓いなされてあります。どういう思召しで信心のほかにさらに「乃至十念」をお誓いあらわされたのであるかということをうかがうのであります。すなわち阿弥陀様の誓願の上について、これを窺うのがこの題目の意味なのであります。
 ところで、この乃至十念について、まずその「乃至」と「十念」の意味をうかごうてゆかねばなりません。これも七高僧や祖師聖人のお釈に基づいて、これをうかがうのであります。
 まずその十念の「念」ということでありますが、これは念仏であります。ところが、この念仏が七高僧のお酌の上におきましては、或は観念というふうに解釈をなされ、称念というふうに解釈をなされる場合もあります。
 それは『往生論註』には五念門をお示しになってありまして、その五念門の中の観察であります。それから讃嘆、これは称名であります。それでこの両方に通じておっしゃるようにうかがわれる。また道綽禅師も『安楽集』の中に、念仏の語を観念と称念の両方に通じて仰せられてありますし、また後の恵心僧都の『往生要集』には正修念仏の念仏のご解釈を五念門としてあり、しかも『往生要集』の場合には、観が中心になっているようにみえるのであります。
 ところが今の念仏というのは称名念仏であります。これはもと龍樹菩薩の『易行品』の中に第十八願をお出しなされて、

阿弥陀仏の本願はかくのごとし、「もし人われを念じ名を称して、…


などと仰せられて、三心十念を「念我称名」と示されてあります。すなわち「念我」とは三心に当たり、「称名」とは十念にあたります。こういうわけで、すでに龍樹菩薩の上に十念と称名とをご覧になって、これを難行に対する易行の法としてお示しになったのであります。
 それで、この『易行品』の易行の釈を承けて『論註』の初めにお出しになってあります。その易行道というのが阿弥陀様の第十八願であります。これをやはり曇鸞大師の思召しでは、『論註』上巻の終りの問答の解釈に『観無量寿経』の下下品をお出しなされて、十念念仏の法を示されてあります。さらに『論註』には氷上燃火の釈の中に、この下品下生の念仏をお出しなさるのに何れも称名としてお出しなされてあり、また讃嘆門の破闇満願のお釈も称名でいわれてあります。
 道綽禅師も『安楽集』の念仏の解釈にはいよいよのところになりますと称名といたされます。すなわち聖道門と浄土門という名をお出しになられてあるところに浄土門の法を出されるのに、第十八願の文と『観経』の下品下生との意を合わせてお出しなされて、そこにやはり「称我名字」という言葉が出ているのであります。
 次に善導大師は明らかに称名で示されて、称名正定業とおっしゃる。法然上人は、それをお承けになって、称名をもって念仏といたされてあります。そうして御開山はその法然上人をお承けになったのでありますから、今の場合の念仏は称名のことなのでありまして、口に弥陀の名号を称えることを「念仏」というのであります。これでまず念仏のものがらがきまってくるわけであります。
 次に「十」という文字の意味でありますが、この「十」というのは、道綽禅師の『安楽集』のお釈からうかがいますと、

十念相続といふは、これ聖者の一の数の名なるのみ。


とおっしゃってある。これはどういうことかといいますと、本願の文に「十念」とあるが、数字をあらわす
文字が沢山ある中で、その一つをそこにお出しになされたのであって、十でもよし百でもよし、また三でも五でもいいが、ともかくも一つのまとまった数の名をとって十という字をおかれたのであると、こういうご解釈になっております。ところでこの十念の「十」の意味を伺いますのには、さらにその上につけてある「乃至」という文字のことをうかごうてゆかなければなりません。
 そこで「乃至」の意味でありますが、大体この「乃至」という言葉は、一般的な用い方からいいますと、初めのものと後のものを出して、まん中のものを略する場合にこの文字を使うのであります。それで祖師聖人は、『文類聚鈔』の中に「上下を兼ねて中を略するの言なり」といわれてあって、これを昔から「兼両略中の釈」といっております。
 ところで、その初と後とを出して、まん中を略するというのに、さらに二つの場合があります。一つには多い方をさきに出して、後に少いのを出す、すなわち多い方から少い方に向かうのを昔から従多向少といいます。次には少い方から多い方へ向かう用い方で、これを従少向多というのであります。お経の中にも「一宝二宝乃至七宝」というような場合、あの文は少い方から多い方に向かっての使い方であります。
 もしいま本願の「乃至十念」というのをこの二つの場合に当てはめますと、信心から十念の称名に及ぶということになれば少い方から多い方へ向かうという従少向多の意味になります。
 善導大師が『礼讃』の初めの序のところに、

しかるに弥陀世尊、本深重の誓願を発して、光明・名号をもつて十方を摂化したまふ。


といい、次に、

上一形を尽し下十声・一声等に至るまで、


などとおっしゃってあります、初めに「上一形を尽す」というのは一生涯の念仏ということになり、この身体がなくなるまでという、すなわち長い時間の相続のことであります。それがだんだん少なくなって、「下十声・一声等に至るまで」ということになっております。
 御開山は『礼讃』のこのご文を『行文類』にご引用なされてあり、そうして本願の「乃至」の語と善導大師の「下至十声・一声」の下至の語とを合わせて、

『経』(大経)に「乃至」といひ、釈(散善義)に「下至」といへり。乃下その言異なりといへども、その意これ一つなり。


と解釈なされてあります。そこでこのお指図からいただくと、延びゆけば一生涯の念仏であるが、つづまったところで言えば、わずかに十声、さらに一声というようにつづまってくることになりまして、これは従多向少の義になってくるのであります。それで『文類聚鈔』の中に示されてある「上下を兼ねてまん中を略する」という兼両略中という解釈と、次に「乃至と下至とはその意これ一つなり」という乃下合釈との二つ、これが「乃至」という文字そのものの上をご解釈くだされたいわゆる文釈であります。
 そうして次に、何故に「乃至」という文字を「十念」の上に置かれたかという意味をうかがわねばなりません。その「乃至」という言葉が、本願には「十念」の上につけてあり、成就の文や下輩の文、あるいは最後の付属流通のご文などには「一念」の上におかれて「乃至一念」とありあまして、たびたび「乃至」という言葉を置かれてあります。これらは、いずれも本願の念仏のことでありますが、なにゆえこの「乃至」という言葉をおかせられたかと、うかがいますと、これは『行文類』の行の一念の解釈のところに『大経』の流通分の「乃至一念」の文を出され、その乃至を解釈されまして、

乃至とは一多包容の言なり。


と示されてある。すなわち一でよし、多でよし、一も多もみな包むのが「乃至」という言葉を置かれた意味だと、おっしゃってあります。
 これと同じようなことが『信文類』信の一念のご解釈の後に本願成就文のご文の中の五つの語をあげて解釈をなされてあります。すなわち聞其名号の「聞」、信心歓喜の「信心」と「歓喜」、次には「乃至」と「一念」、この五つの語を解釈される。その乃至のご解釈のところに、

「乃至」といふは、多少を摂するの言なり。


とこうおっしゃってある。これは多くてよし、少なくてよし、多いのも少いのもみな摂めるのが「乃至」という言葉だと述べられてあるのである。これはさきの『行文類』の行の一念のところの解釈と同じことでありまして、長いこと相続しようと短かろうと、すなわち称名の数が多かろうと少かろうと、数の多少にかかわらぬ。また相続の時節の長短にはかかわらぬという意味なのであります。
 これは「乃至」をおかれた意味を示されるのですから、そのまま信心をあらわすことになります。どうあらわすかというと、それは他力ということなのです。一声・二声・十声・百声・千声と数の多少にこだわるような念仏ではない。千万無量と続いたから功徳が多く、一声・二声だから少いというのではない。一声も無上大利、十声・百声いずれの一声もみな無上大利なのであります。一多の数には優劣がないのです。長生きすれば、一生ながく称えて楽しむがよかろうし、命が短かければわずかな称名であろうけれども、一も多も同じくみな往生する。こういうことになると、一多の優劣といって、多いからまさる、少いから劣っておるという一多の優劣というものをいささかも見ないのが今の念仏なのです。このように数の多少にはこだわらぬ念仏ということになれば、称える人の心持ただ晴れ晴れと喜んで称えるお念仏だから、一切の自力がはなれ切った朗らかな他力の念仏ということをあらわすのが、この「乃至」という言葉をおかれた意味だと、こうなるのです。
 それで御開山の上では乃至が四つの解釈になる。前に申しました「上下を兼ねて中を略する」という『略文類』のご解釈、次に行一念のところにある「『経』(大経)に「乃至」といひ、釈(散善義)に「下至」といへり。乃下その言異なりといへども、その意これ一つなり」というこの二つは文字の解釈なのであって、これを文釈といいます。
 次に『行文類』の「一多を包容する言葉なり」というのや、『信文類』の「多少を摂むるの言葉なり」というこの二つは、乃至ということをおかれた宗義をあらわされるもの、すなわち宗釈であります。この宗釈は真宗の念仏は他力の念仏であって、己の功を認めて数の多少にかかわるようなそんな心で称えるのではない、願力まかせの味わいの中から溢れ出てくる喜びの声という意味を乃至であらわすのです。これで「念仏」と「十」と「乃至」との三つの意味を一応お話したことになるのであります。
 次にはいよいよその誓意、すなわち本願に十念を誓われた意をうかがうのでありますが、安心論題の中には念仏に関することが幾つもあります。「念仏為本」というのがあり、また「称名報恩」というのもある。また正定業の解釈のところには「称名正定業」という意味もあります。いずれもその称名についてのご法義をあらわす論題でありますが、いまの場合は、本願に何故お誓いになったかということをうかがうのです。
 弥陀の誓願は信心正因であるのに、何故さらに十念をお誓いになったかということを窺うのであります。これはいわゆる信心は一生涯相続する、信心というものは中途に切れて無くなったりするものじゃない、命のあらん限り相続する、その相続のあり方はきわめて凡夫に適当した易行易修のものであることをあらわすのであります。すなわち行住坐臥にかかわらず、時処諸縁をきらわず、男女老少にかかわらず、数にもこだわらず、一生涯のあいだ渡世稼業をしながら、人生の様々なつらさを味わう生活の中にあって、とり出しては一生涯相続をする凡夫に最も持ち易い相続の行をあらわすというのが、本願に十念を誓われた意味なのであります。これを「信相続の易行をあらわす」と昔から言うので、信心相続のいともやすいことをあらわすのです。これを御開山聖人の『一念多念文意』の中に、

本願の文に、「乃至十念」と誓ひたまへり。すでに十念と誓ひたまへるにてしるべし、一念にかぎらずといふことを。いはんや乃至と誓ひたまへり、称名の遍数さだまらずといふことを。この誓願はすなはち易往易行のみちをあらはし、大慈大悲のきはまりなきことをしめしたまふなり。


とおっしゃってあります。そうすると遍数はきまっておらない、もっと丁寧にいったら、さっき申しましたように時処諸縁をきらわず、行住坐臥をえらびません。これがもし窮屈な作法があり、数がきまっておると、凡夫には難しいことになるけれども、そういうことを一切、時処諸縁、行住坐臥、数をえらばぬということになれば、我ら凡夫にはこれほど持ち易い相続はないのであります。
 本願に「乃至十念」とお誓いなされたということは、易行易修、凡夫相応、心にいただいた信は、かくのごとく一生を通して喜びながら相続できるものだということをあらわしなされたということに窺うのが十念の誓意であります。
 これと同じことがやはりこの『銘文』の中にご解釈なされて、

「乃至十念」と申すは、如来のちかひの名号をとなへんことをすすめたまふに、遍数の定まりなきほどをあらはし、時節を定めざることを衆生にしらせんとおぼしめして、乃至のみことを十念のみなにそへて誓ひたまへるなり。如来より御ちかひをたまはりぬるには、尋常の時節をとりて臨終の称念をまつべからず、ただ如来の至心信楽をふかくたのむべしとなり。


と、こうあります。だから阿弥陀様のお誓い、思召しがこうだということをやはり言っておいでになるのが十念の誓意ということになるのであります。
 次に、易行という言葉をみますと、元来この易行という言葉は、龍樹菩薩の『易行品』の中に仰せられたことでありまして、これはやはりその難行道というのに対して易行道と仰せられたのであります。『易行品』の場合は「菩薩が阿毘跋致、すなわち初地の位を得るについて難行道あり、易行道あり」といって、その易行道の法を念仏としてあるのです。
 曇鸞大師は、この龍樹菩薩の難行・易行の判釈を承けられまして、『往生論註』の最初のところに、その難行道の意味を五つの内容に分けて詳しくされ、それに対して阿弥陀仏の本願の法が易行道であると、こういうふうにいたされているのであります。すなわち自力の法が難行道であり、他力の法を易行道とお分けになったのです。
 道綽禅師もまた、この龍樹菩薩と曇鸞大師の難行・易行、自力・他力という言葉をお承けになりまして、『安楽集』の中に、難行道を聖道門、易行道を浄土門と分けられてあります。
 わが御開山も、もとよりこれをお承けになりまして『化身土文類』に、お釈迦様の説かれた一代の仏教をお分けなさるところに、これらの判釈をお出しあらせられて「凡そ一代の教において、此界において仏果を求めるという法は難行道であり聖道門である。これに対して安養の浄刹においてさとりをうるという法は易行道であり、浄土門である」と仰せになってあります。すなわち親鸞聖人も、仏教の分け方として難行道に対して易行道という言葉を出されてあります。いずれも出離解脱の因法、仏になるところの因行の法という意味で「易行」という言葉を出されたのであります。
 ところが、今この十念誓意の場合に、易行易修と申しますことは、これは信心の相続について易行易修ということをいわれるのであります。すなわちいとも行じ易い、修め易いところの法という意味で「信相続の易行」というのであります。
 そうすると、いわゆる聖道門と浄土門の分け方で、一方を難行道というのに対して、念仏を易行道という言い方と、そこはどう関係をするのか、こういうことをうかがいますと、『易行品』からあと『論註』『安楽集』などは、もとよりこれは出離解脱の因法としておっしゃるところの易行道であります。すなわち聖道・浄土の二門を分けて、難行に対する易行というのであります。
 ところが更にこの浄土門の中で、やはり行業の分け方に難易ということを分けられるのもある。それは善導大師の『礼讃』前序のご文の中に、「衆生は障りが重いので、観察の行はなかなか成就し難いが、専ら名号を称えるということは、それは易い。そこでこの称名の法を本願に誓われてあるんだ」というようになっております。
 また源信和尚の『往生要集』になりますと、念仏を観察と称名といたされまして、その観察すなわち相好を観察することが到底不可能なものは「帰命の想に依り、引摂の想に依り、往生の想に依って一心に称念すべし」というふうにおっしゃってあるわけなのです。
 さらに御開山聖人の直接のお師匠であらせられる法然上人の『選択集』のごときは、その第三本願章におかれまして、阿弥陀様が本願をたてられて選択なされたところの行は何かということについて「それは称名である、念仏である」と、こうされます。なぜ阿弥陀如来は法蔵因位の時に、二百一十億の諸仏の浄土の法の中から念仏一行を選択なされたのかということにつきまして、いわゆる難易対・勝劣対ということをおっしゃってある。すなわち、六度万行のようなものは難行であり、称名の行は易行である、しかもその称名が勝れて、万行は劣っているというお釈をいたされまして、だから法蔵菩薩は難行であり劣っている諸行を選び捨て、易行で勝れている念仏をば選び取りなされたのであるとおっしゃってあります。
 そこで今の言い方と考えてみますと、その言い方が変わっております。今は解脱の因法としてということ、往生の因法としてということを申されたのではなくして、信心は一生涯にわたって我らの生活の上に続いている、そうしてその続くすがたが、まことに凡夫につとめ易く、修め易い、これを阿弥陀様がお誓い下されたのであるということです。一生涯信心相続の上に、誰でもが時節の長い短いをいわず、数の多少をいわず、また行住坐臥を簡ばぬ。すなわち歩こうと、立とうと、座ろうと横になろうと差しつかえがない。また時処諸縁をいわぬ、朝でよし晩でよし、夢さめて夜中に出るようなこともあろうし、処といえば、我が家でよし外でよし、海でよし山でよし、また涙の流れる葬式の席でもよし、喜びの婚礼の席でもいい、一切そういうことに関係なく、どこでも何時でも、どうしていても修め易いところのものがお念仏であります。
 そうすると凡夫が一生涯の間相続して何処でも楽しまれる、また何時でも喜ばれる、悲しい時にもなおこの念仏をもって心をほぐしてもらうという、まことに結構な相続の易行易修の法で、これを本願にお誓いくだされたのが「乃至十念」である、こういうふうにうかがうのが今の論題であります。
 いま御開山のおっしゃる『銘文』や『一念多念文意』のご文は、まことにそういうふうに窺われるのでありますが、七高僧のお釈はみな往生の因行としておっしゃっていあって、むしろ聖道の行に対して易行である、浄土門の中においても、観察に対して称名は易行であるというふうに言われる。御開山と七高僧のお釈とが違うのかと、こう申しますと、そうでない。御開山の上にありましても、やはりお念仏をば往生の因行として易行の法とおっしゃってあります。
 それは『行文類』に称名破満の釈というのがある。すなわち本願の文、お経の文、『悲華経』のご文までをお引きなされた後の結びに、称名破満ということが出ております。他力の称名、本願の称名は、その称名に一切の無明を断破し一切の志願を満足するという解釈をおかれて、その次に「称名は最勝真妙の正業である」とおっしゃってある。
 このことは『行文類』にはたびたび出ておりますので、殊に「易行」という言葉をお出しあらせられるのが、行の一念の解釈であります。行の一念の解釈は、「行の一念」という論題で詳しく語るのでありますが、あそこの文に、

行の一念といふは、いはく、称名の遍数について選択易行の至極を顕開す。


という釈が出ている。そうすると、あそこに、御開山は明らかに念仏をば「選択易行の至極」という言葉を使っておられますし、またその後には称名破満の釈と同じように「正業」という言葉も出されてあります。
 さらにそれを全部まとめて顕わされるのが、『行文類』の終りの方にある一乗海というお釈でありますが、あそこには、この念仏と諸善とを比較してあります。諸善というのは、聖道門の行、浄土の要門の行が、みな入ってしまいます。それに対して念仏を出して、「念仏諸善比校対論」とおっしゃいます。そこに、昔は教法について四十八対、機については十一対といったのでありますが、御真本には四十七対になっております。その場の諸行と称名との比校対論は、全く往生成仏の因法としておっしゃるので、そこに難易対・頓漸対というのがあります。難行・易行という七高僧のお釈をば御開山は処処に出されてあるが、一乗海のお釈においても、今いうように難易対というのをちゃんと出しておいでになるのであります。そうすると、御開山も因法として語られる場合は、聖道門や要門に対して、念仏は最勝の法である、また易行の法である、こういう言い方を示されてあるのであります。
 ところでこの場合、因法としていう場合の易行、すなわちことに御開山が「易行の至極を顕わす」というようなおっしゃり方は、どういうことかというと、体徳からこれをいうのであります。称名となって出てくるもとの名号について言われるのです。真宗で大行という場合は、法体の名号を指していいます。『行文類』に念仏は出ているけれども、念仏として生き生きとして動いてくださるお名号ということをおっしゃったので、行というものがらはあくまでも法体名号なのです。念仏のところで易行とおっしゃっても、易行と言いなさる場合は、称名となってあらわれているところの本体であるお名号のことをおっしゃっています。衆生にはいささかも造作をかけぬのです。称名でいえば一声ももとではさせぬのです。我々の合掌・礼拝・称名のどれもこれもが、いささかも我々の方から往生の因行として添えるものはない、全く名号のおはたらき一つということになれば、これ以上の易行はない。何もいらぬほど易行はありゃしない。我々の方からは何も要せぬということが、法体の独りばたらきということになるものだから、これを「易行の至極」と、こういうことになるのであります。
 次に称名につきましては、報恩という場合があります。これは三代目の覚如上人から八代目の蓮如上人の『御文章』・『お領解文』の真宗の御定教としてうかがう場合に、「信心正因・称名報恩」という言葉があって、称名は報恩であるということがきまりでありますが、これと今の信相続の易行というのとは、どう関係するかといいますと、称名報恩といいます場合は、信心をもって涅槃の因法としていいます。
 前に申しましたように、「一心すなはち清浄報土の真因なり」といわれる。また「涅槃の真因は唯信心を以てす」といい、また『御和讃』にも、

至心・信楽・欲生と
十方諸有をすすめてぞ
不思議の誓願あらはして
真実報土の因とする


とある。そうなってくると、信心のところに因の全部が成就してしまう。報土の因というものは、信のところにもはや終わってしまう。したがって我々の信後になすことはすべて報恩のほかはない。こういう意味で称名は報恩の行事であるというのが、覚如上人・蓮如上人のおっしゃるところであります。御開山もまた『化身土文類』の三願転入の釈が終りました後に、

至徳を報謝せんがために、真宗の簡要を摭うて、恒常に不可思議の徳海を称念す。


と、あそこに「報謝」という言葉をおっしゃる。報謝のために経釈の中からご文を集めてこの六巻を造った、また報謝のために、御恩を思いつつお念仏をする、こういうことになっているから、やはりこの称名報恩という意味が出ておる。これは称名正因という異義で、称名を修することによって往生をうるという、我が称える称名の功を募る異義があるものだから、それに対して他力の意味を明らかにするために、称名は皆これ報恩だということをおっしゃるのであります。これは信心正因という法義の必然からそういうことになってくるのである。信心のところに往生の因が成就してしもうたのならば、あとはもう報恩の他にはないから、信後の行事はすべて報恩、そうして信後の行を代表するのが称名とするのであります。
 いま『銘文』や『一念多念文意』の思召しは、先にも申しましたように、信心が一生涯にわたって相続して念仏となり、私たちの生活の上に喜びを与え、私たちの心に力を与えて下さるという意味であります。阿弥陀如来は、現世における相続の相まで本願の上にお誓い下されてあって、念仏を一生涯相続させて下さる。すなわちそれが我々の心の支えとなり、人間生活の力になってくださる。それが阿弥陀様が「乃至十念」を本願の上にお誓いなされた思召しであるとうかがうのであります。
 それで報恩ということは、勿論法義の自然でありますけれども、阿弥陀様は報恩せよといってお誓いくだされたのではない。それはその仏様は恩を報いよということはおっしゃらんので、これはお釈迦様のことについてですが、『法事讃』のうちに、

生のために苦行すといへども、小恩を覓めず、


という言葉があります。それでもとより阿弥陀様が衆生に恩を報いよとおっしゃることはないのです。
 それで「称名正定業」とか「念仏為本」とかいう場合は、称名を大行と示されたと同じように、体徳についておっしゃったのであり、「称名報恩」という場合は、法義の自然がそうなるのであります。「称名報恩」というのは称名正因に簡んで言い、いま「信相続の易行」という場合は阿弥陀如来が信心の上にさらに念仏まで本願に誓われたその誓意をたずねるのであります。阿弥陀様のお心をうかがうのだから、その場合には一生涯我々の生活を支え、私の人間生活の上に大きな法悦をつづけさせるために乃至十念をお誓いあらせられたと、こういうふうにうかがうのであります。

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