21世紀の浄土真宗を考える会2009年01月

--/--/--(--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2009/01/29(木)
3日間を京都で過ごした後、一旦、富山に戻り、28日には石川県金沢に行って来ました。
金沢には4年ほど暮らしたことがあり、懐かしく思いました。
(文章がワンパターン化しております。すみません。)

5日間の旅を終えて、29日の朝、東京に帰ってまいりました。

金沢で思い出すのが松本清張の「ゼロの焦点」です。
(思い出すのは私だけかもしれませんが…)
松本清張の初期の長編推理小説で、私は中学校の頃に読んだ記憶があります。
水上勉の「飢餓海峡」や同じ松本清張の「砂の器」などと同じように、隠しておきたい過去を知る人が突然目の間に現れたことによる殺人事件の話です。

それはさておき
今日は「ゼロの焦点」そのもののお話ではありません。
最近いろいろな方とお話しする機会がありますが、長年仏法を聞いておられても「焦点」が定まっていない人が多いように感じます。
「メンバーその1」さんはマクロ的な「切り口」を考え、寄稿してくださっていますが、これまでお会いした何人かの方には、求道・求信の「切り口」「角度」を変え、これまで聞いてきたことを「整理」して、「焦点」を定めることをお話ししています。
このブログでの短い文章ではなかなか理解して頂けないかもしれませんが、皆様におすすめします。
スポンサーサイト
2009/01/26(月)
24日から京都へ来ております。
ブログの原稿は旅館のパソコンを使って書いていますので、このようにアップできますが、頂いたメールへの返信は滞っており、失礼をしております。
申し訳ございません。

さて、「所用」って何だ!
と思っている人もおられるようですが、私が○○さんと会ったとか○○へ行ったなどということは、私の都合だけではなく、相手の方のご都合もあることですので、すべてをここで明らかにできないことをご了承下さい。
(私は大統領でも首相でもありませんので)

大学2年生の長男とは会って、食事をしながら6時間くらい話をしていましたよ。
(このように誰にも迷惑のかからないことはいくらでも言えます)

しかし、皆様に余計な時間をとらせないために、一言申し上げておきます。
私が「○○」(某有名図書)を読んで獲信した。といううわさもあるようですが、これは間違いです。
読んだことはあります。
それはこのブログを開いてからです。
そもそも「××」を読んで獲信したとか「△△会」で獲信したなどと言うものではありません。
弥陀の救いですので。

「小問答 その1」にも書きましたように、「◇◇」(宗教施設)へ行ったことが、イコール「◇◇」の信者・会員になったことにはならないのは容易にお分かりになると思います。

私個人の言動、人格などにつきましては「問題あり」と思われましたら、どうぞおっしゃって下さい。
反省し、改め、またご迷惑をおかけしましたならば謝罪し、向上してゆきたいと思います。

また、以前からお願いしておりますように、教学的な誤りもご指摘、ご教示下さい。
これは「言動・人格」よりもはるかに重要なことです。

ですが、「真実信心」とか「信心決定」とか「獲信」など(同じようなことですが)について言及される時には、できる限り慎重になって頂きたいと願うものです。
(どう言われても、私の信心がどうこうなるというわけではありませんが)
※最後の文章は少々分かりにくいかと思いますが、疑問などございましたら、直接お尋ね下さい。
2009/01/23(金)
今週末から来週にかけて(24日~26日)、所用で京都に出かけます。
メールのご返事などが遅くなるかもしれません。
ご了承下さい。
京都は大学時代を含めて4年半すごした街で、懐かしいですね。

ほな、ごやくたいをおかけしまっけど、行ってきまんねん。
2009/01/22(木)
世阿弥の「初心忘るべからず」という言葉はあまりにも有名です。
同時に、意味を間違って受け取られている言葉としても有名です。
「スタートした時の新鮮な気持ち、決意を忘れず進みなさい」といった意味は間違いであり、
「常に未熟な己を凝視し、反省し、向上しなさい」といった意味になります。
(実際はこんなおおざっぱ説明ではいけないかもしれません。詳しくは専門書を調べて下さい)
大学1年生の時にはじめて知って、目からウロコが落ちた思いをしました。

【世阿弥「花鏡」の最後のところ】
「奥の段」
しかれば、当流に万能一徳の一句あり。
 初心不可忘。(しょしんわするべからず)
この句、三ヶ条の口伝あり。
 是非初心不可忘。
 時々初心不可忘。
 老後初心不可忘。
この三つ、よくよく口伝すべし。
一、是非初心を忘るべからずとは、若年の初心を忘れずして身に持ちてあれば、老後にさまざまの徳あり。「前々の非を知るを、後々の是とす」と言へり。
一、時々の初心を忘るべからずとは、これは、初心より、年盛りの頃、老後に至るまで、その自分自分の芸曲の、似合ひたる風体をたしなみしは、時々の初心なり。されば、その時々の風儀をし捨てし捨て忘るれば、今の当体の風儀をならでは身に持たず。過ぎし方の一体一体を、今当芸にみな一能曲に持てば、十体にわたりて、能数尽きず。その時々にありし風体は、時々の初心なり。
それを当芸に一度に持つは、時々の初心を忘れぬにてはなしや。
一、老後の初心を忘るべからずとは、命には終りあり、能には果てあるべからず

http://kuzukiria.blog114.fc2.com/blog-entry-23.html
http://www.geocities.jp/michio_nozawa/episode38.html
などを参照しました。
(この中にウィキペディアの「世阿弥」も参照されています)

さて、誰にでもスタートがあります。
ちなみに、この会は1月5日にスタートしました。
多くの「激励」や「叱咤」を頂戴しました。
お言葉を頂くたびに、たとえどんなに立派な「理念」「理想」などを掲げていても、己の未熟さを忘れ、自惚れてはいけないと、自戒しています。

10年ほど前に買って、いまだに手元に置いている本に「上、三年にして下を知り 下、三日にして上を知る リーダーは自分の器量に責任を持て」(吉田貞雄著 ダイヤモンド社)というビジネス書があります。
この中の一節を引用させて頂きます。(p30)

恐ろしいのは、過去の栄光に酔い、昔のことしか頭になく、まったく先が見えなくなる”経営硬化症”である。
転換期の経営の要になるのは、一にも二にもリーダーである。「死にかかった魚は頭から腐っていく」である。

私の好きな本としてご紹介してもよかったのですが、浄土真宗はビジネスではありませんし、私も「リーダー」ではなく、単に「代表」(今のところ数人の)ですので、いたずらに誤解されてもいやですから、ここで簡単に推薦しておきます。

「初心忘るべからず」

本当に忘れてはならないと思っております。

そこで例によって岡林信康です。
「わたしを断罪せよ」は岡林信康の最初のアルバムで1969年に出ました。
一番最後に収録曲を紹介しておきますが、皆さんも聞いたことのある曲も多いと思います。
(聞いたことのない人は、一度は聞いてみて下さい)
この中の「それで自由になったのかい」の説明として彼が書いている文章を引用します。
(歌詞ではないですよ)

これは組合活動家に対する批判の歌ではない。資本主義否定という場合、そこには資本主義に育てられた、一番資本主義的な自己に対する否定のない反体制運動は、知らないうちに体制奉仕にすり変わると思う。自分自身の中にそういう危険性を僕は感じる。一部の自称左翼的組合活動家を通して、自分自身に対する警告としてこの歌を創った。(強調は近藤によるものです)

また、難しくなってしまいました。
すみません。
今回の記事は、自分自身への言葉ですので、お許し下さい。

「わたしを断罪せよ」
岡林信康フォーク・アルバム第1集
SIDE1
1.今日をこえて
2.ランブリング・ボーイ
3.モズが枯木で
4.お父帰れや
5.山谷ブルース
SIDE2
1.カム・トゥ・マイ・ベッド・サイド
2.手紙
3.戦争の親玉
4.それで自由になったのかい
5.友よ
2009/01/20(火)
過日、とある駅の待合室でテレビを見ていました。
作家の宮城谷昌光氏が語っていました。
後で調べたところ、NHK教育テレビで2008年10月、11月に放送された「NHK 知るを楽しむ 歴史に好奇心 『孟嘗君と戦国時代』」の再放送だったようです。
その時の話は、番組名の孟嘗君のことではなく、宮城谷昌光氏が感動した中国古典のことでした。
氏は「孟子」の「井戸を掘る」「木に縁って魚を求む」のふたつの言葉について説明しておられました。
このうち「井戸を掘る」は福田康夫前首相が明治時代の篤農家であり「聖農」と言われた石川理紀之助の言葉を引用したことで有名ですが、そのさらにルーツは孟子にあります。このことについては、また縁がありましたら後日語るかもしれません。
今日は「木に縁って魚を求む」のお話。
この「縁って」というのは「近づいて」という意味ではなく、「登って」という意味ととる方が適当でしょう。

ある男が一生懸命、木に登っています。どんどん、どんどん登って高い所まで行きました。下にいる友達に
「おーい、ここまで登ったぞぉ」
と叫びます。友達は
「すごいねぇ。ところで君はなぜ木に登っているのかい?」
と尋ねました。すると彼は
「ああ、魚を捕ろうと思っているんだよ。でもなかなか捕れないなぁ。もっと高く登ったら捕れるかもしれないから、もっと登るよ。まあ見ててくれ。」
と言いました。
「……」
(こんな話が「孟子」に出ているわけではありませんよ。分かりやすく言うとこうなるということです。)

創元社の「ことわざ・名言辞典」には「魚をとりたいと思えば、河や海に行くべきであるのに、木によってとろうとするということから、自分の欲することを達し得ない手段をとって、そのことが成功しないことをたとえた句」とあります。
もっと簡単に言うと「方法・手段が間違っていると目的は果たせない」ということですね。

ここまではある意味当たり前の話です。

では「目的が果たせない」のは「方法・手段が間違っている」からだけでしょうか。
実は「目的が間違っているから、(本来の)目的が果たせない」場合もあるのです。
最近直接お話したり、例の「安心問答」を見ていると
「真剣になることが目的」
「真面目になることが目的」
「求道することが目的」
「立派な求道者と言われることが目的」
「まずは後生に驚き立つことが目的」
エトセトラ、エトセトラ、エトセトラ
といった人達に気が付きます。
「それでいいんじゃないの?」
と思う人もおられるかもしれませんが、「違います!」
信心決定・信心獲得・雑行を棄てて、本願に帰すことが目的」なのですから。
ここを間違えていますと、1000年求めても信心決定はできません。
よーく考えてみて下さいね。
そして聞き抜いて下さい。
(ん?「コペルニクス的転回のすすめ」ってのはどこへ行ったのかですって?まあ、これは愛嬌ということで。)

【訂正】
敢えて苦言を呈する様のご指摘がありましたので、元記事を検討致しました。
敢えて苦言を呈する様の思っておられるところと違うかもしれませんが、下記のように訂正致します。
またお気づきの点がございましたら、ご指摘下さい。

信心決定・信心獲得・雑行を棄てて、本願に帰すことが目的」なのですから。

信心決定が目的」なのですから。

2009/01/18(日)
☆笠木透さんのCDジャケットの言葉

なんという人生だろう
七〇歳で
また挫折するなんて
やっとの思いで立ち
また歩き出す
小さなものや
弱いものが
泣くことのない時代に
向かって
口笛を風にのせながら
2009/01/18(日)
中津川フォークジャンボリー

一昨日、知人が歌を口ずさみました。
「生きている鳥達が、生きて飛び回る空を♪…」
「あれ、その歌どうして知ってるの?」
「えっ?どうしてって?知ってるから知ってるんですよ。曲名も歌手の名前も知らないけど…」
実はこの歌は私が中学2年生の時に出会った歌でした。
作詞・作曲は笠木透さん。
題名は「私の子供達へ」と言います。
岐阜県恵那市出身のフォークシンガーです。
中学の音楽教師の縁で、私と数人の友達は岐阜県恵那郡坂下町で行われたフォークソングの集まりにも参加したことがありました。
宿泊も旅館ではなく、民家のコタツに足を突っ込んでそのまま寝ました。
その坂下町は、知る人ぞ知る「中津川フォークジャンボリー」の開催地です。
1969年から71年にかけて3回、湖のほとりの野外会場に全国の有名無名のフォークシンガーが集まりました。
「山谷ブルース」「友よ」で有名な岡林信康は3回とも参加していますし、高田渡やあがた森魚、はっぴぃえんどや高石ともや、かまやつひろしや吉田拓郎も参加しました。(歌手なので笠木さん以外は敬称略)
笠木さんはフォークジャンボリーの実行委員として活躍された人です。
「私の子供達へ」「わが大地のうた」「私に人生と言えるものがあるなら」とともに笠木さんの代表作で、マスメディアには一切乗らず、ライブコンサートと口コミだけで広まりました。
そんなマイナーな歌が生まれも育ちも違う法友の口から流れ出たことは、考えてみれば不思議ではないかもしれませんが、いいものは静かに伝播し、人の心に残るのだと改めて知らされる出来事でした。
さっきの「友よ」も昨日知り合った大学3年生の人も知っていると聞き、40年近く前の情景が浮かび上がりました。
笠木さんは70歳を越えた今も、現役フォークシンガーとしてコンサートをしておられます。
そんな笠木さんたちを教えてくれた先生が、一昨年60歳少しで心筋梗塞で既に亡くなっていたことを知り、世の無常を感じた一昨日でもありました。
2009/01/17(土)
 昨日の「小問答 その1」がわりと読まれたんだなぁと思い、喜んでおります。
 あいつは「浄土真宗」を掲げながら、本や映画やドラマの話しかしないのかと思っていた人も、少なからずおられたようなので、少し書きました。(もちろん今後も書きますけど)

ただ、以前の記事にも書きましたように、浄土真宗の教えについては、個別にお話したいと思いますので、もしご質問などありましたら、電話・メール・スカイプなど何でも結構ですから、ご連絡下さい。実名であろうが、匿名であろうがかまいません。


 昨日の記事でも、種々のご意見が飛び交ったようです。
 短い会話文で表現したために、説明不足になったことは反省しておりますが、あれはあの通りです。
 蓮如上人が「たのむ一念のところ肝要なり」とおっしゃった「一念」であり、真宗学でも古来問題になってきた論題ですので、論文ならいざ知らず、このようなブログで簡単に説明することは困難です。
その点、ご理解下さいますよう、お願い致します。
2009/01/16(金)
ありそうで、なさそうで
でも、やっぱりありそうな会話。

X:近藤、お前信心決定したそうだな。
私:はい、信心決定しましたよ。
Y:いつしたの?
私:はぁぁぁぁぁ?今何を聞かれたんですかぁ?
  何を聞いたか分ってるんですかぁ?
  親鸞聖人や蓮如上人もそんなことどこにも
  おっしゃっていないでしょ。
  そういうことを聞きたがるのを迷っているって
  言うんですよ。
  難しく言うと、一念覚知の異安心って言うん
  です。
Z:そんなに簡単に信心決定できるのか?
私:いつ簡単に信心決定できるなんて言いましたか?
  泣き泣き求めた人に、信心決定したということが
  あるんですよ。
  泣き泣き求めた「から」ではないですよ。
  分っておられるでしょうけど。
Z:どうすれば、信心決定できるの?
私:これこれこういうことをしたら信心決定できる
  ということは間違い。
  信心決定するには信心決定しなければなりま
  せん。
  日本語になっていないですけど、自力は一切間に
  合いませんので、こういう言い方になります。
  自力を捨てて他力に入るということですね。
X:なんかお前が言っていることを聞くと、やっぱり
  例の「安心問答」を読んで信心決定したとかなん
  とかという噂があるけど、どうなんだ。
  (文法めちゃくちゃだけど、会話ですので勘弁)
私:(えらく、Xさん高圧的だけど、そんなに信心決
  定したことが悪いことなのかなぁ。まぁいいや)
  えっとですね。
  さっきも言いましたように、○○を読んでとか
  □□で(所属や場所)とかじゃないんですよ。
  阿弥陀仏に救い摂られるんですよ。
  ただ、それだけですよ。
  でも「安心問答」はいいブログですから、Xさん
  こっそり読んで下さい。
 (「こっそり」って本当は必要ないんだけどなぁ)
  匿名ですから質問してもいいんじゃないですか。
X:分った。それはもういい。
  それで、お前、例の京都のなんとか会と関係ある
  のか?
私:えっ?
  そりゃ、同じ日本に住んでますし、平成の時代に
  生きてますし、浄土真宗って看板掲げてますし…
X:そういうことじゃない!
私:ん?
  だ・か・らぁー
  関係無いといえば無いし、有るといえば有る。
  私とXさんだって関係無いといえば無いし、
  有るといえば有るでしょ?
  (本当は関係持ちたくないんだけど…)
   ↑これ煩悩ね
X:なんとか会に行っているかどうか聞いてるんだ。
私:ああ、そういうことね。
  それならそうと初めから言って下さいよ。

  大事なことは最初に言わないと…
  後出しはだめですよー

  では、お答えします。(あらたまって)
  今までは一度も行ったことはありません。
  でも今後も行かないとは言えません。
X:んん?どういうことだ。
私:たとえばね、Xさん。あなただって、昔
  京都の本願寺に何度も行ったことあるでしょ?
  キリスト教の教会にも行ったことあるでしょ?
  奈良の大仏だって観光で行ったことあるでしょ?
  浅草の東本願寺にも行ったことあるでしょ?
  (まてよ、もしかしてないかも?まぁいいや)
  「行く」ってそういうことで、真実信心を求めて
  とは限らないでしょ?
  私も以前、取材で天理教の本山へ行ったことあり
  ますよ。
  そういう指示をされましたので。
X:……

To be continued

なお、この会話は完全なフィクションとは言えず、
実在の人物・団体・事件と関係あるかどうかは、
読者のご想像にお任せします。
著作権、人格権、名誉毀損については以下を参照
http://q.hatena.ne.jp/1143815271

2009/01/15(木)
恐竜家族(米)

(Dinosaurs)

えっ!そんなドラマは知らないですって!
ちゃんとウィキペディアにも書かれているんですけど。
私もあっという間に48年近い人生を過ごしてしまいましたが、これまで見たドラマの中では、最高傑作の一つと思っているのが、この「恐竜家族」です。
「恐竜家族」で検索してもすぐ出るんですけど、一応便宜の為に参考になるURLを書いておきますね。
http://www.tora-2.com/DINO.HTM
このドラマは、日本でもNHK教育で放送されていました。
私はアメリカでも日本でも見ていました。
(全部を見ていたわけではないですが…)
ウィキペディアの記事や、上のサイトの記事とも重複しますが、ここでも書きます。
このドラマは一見子供向けのようですが、内容はかなり突っ込んだもので、種々の社会問題、政治問題、環境問題、戦争、宗教などを風刺しており、ウィットに富んだ脚本で、100%大人向けです。
(子供が見ても意味が分らないでしょう)
そして問題の最終回は
http://members.jcom.home.ne.jp/enjoy_english/f-dino.html
↑ここを見れば書いてあります。(英語の勉強にもなりますよ)
読めば分るのですが、途中ののせりふを少しアレンジして転記しますね。
「名案が浮かびました。我々のしてることに何の疑いももたず、ひたすら信じてる男を探すんです。わたしらの代わりに喜んでポピー問題の責任をしょってくれますよ。そりゃ、そういう騙されやすい男はなかなかいるもんじゃないんですが、しかし…。(中略)ぴったりの男を見つけました。ハ~アハハハ!」
非常に示唆に満ちた言葉です。
他人事ではないと思います。

2009/01/15(木)
カッコーの巣の上で

(1975年 米)

(One flew over the cuckoo's nest)

いつになったら、浄土真宗の話を始めるのだろう?と思っている人もおられるかもしれませんが、そういう話は、個別にしております。
すみません。
さて、今度は映画の話です。
とは言ってはみたものの、実は映画の話をするほど多くは見ていないので、どこまで続くかは分りません。
この「カッコーの巣の上で」は高校1年生の時に先輩と一緒に見に行きました。
いい映画です。
私はレビューを書くわけではありません。映画なのですから、実際に皆さんが見られるのがよいでしょう。
そう時間もない人は、ウィキペディアなどにも分かりやすくまとめられていますのでご覧下さい。
ちなみに私は原作のペーパーバックも持っていますので、読みたい人にはお貸ししてもいいですよ。
(でも人に本を貸すと、なかなか返って来ないんですよね。まあ、その時はその時ということで…)
いちいち探すのが面倒な人の為に、URLを貼っておきます。改行の関係でクリックしても飛びません。
(これはウィキペディア以外のものです)
http://www.kirikoclub.jp/movie/kakko/kakko-bottom.html
ここで問題なのは
「One flew over the cuckoo's nest」

「One」になれるかどうかってことでしょうね。
原作者(ケン・キージー)や監督(ミロシュ・フォアマン)のメッセージはそこにあると思います。

2009/01/14(水)
泣いた赤おに(浜田廣介・広介)
 また子供向けなのか!しかも今度はもっと低学年向けで…
 あいつは「子供がえり」か「退行現象」かと思われるかもしれませんが、お任せします。
 この作品については、いまさら語るまでもないでしょう。「友情」「犠牲」をテーマにしたものとしては高学年向けの「走れメロス」(太宰治)とともに有名ですね。あまりにも理想論すぎるという批判もないわけではありません。しかし、現実から逃避して理想のみを語るのも良くないですが、理想を無視して目先のことばかりにとらわれるのも良くないと思います。本性は我利我利亡者の私です。しかし、もっとも自分を後回しにされたのが、阿弥陀仏であり、その阿弥陀仏の救いに生かされている者ならば、できうる限り己のことを後回しにして、弥陀の本願をお伝えしたいと思うのです。
(『「所信表明」のようなもの』の中で河島英吾の「時代おくれ」が好きだと言ったのもそういうことです)

私とこれまでご縁のあった皆様へ
「ボクハ イツデモ キミヲ ワスレマスマイ。
 ドコカデ マタモ アウ 日ガ
 アルカモ シレマセン。 サヨウナラ、
 キミ カラダヲ ダイジニ シテクダサイ。
 ドコマデモ キミノ トモダチ
                 コンドウ」

ああ、かっこつけすぎぃ!でかっこ悪い!と言うなんてかっこ良すぎ!!って書くからかっこ悪!!!
以下∞ループ。
わけがわからん。
2009/01/14(水)
The Great Stone Face
(ナサニエル・ホ-ソーン)

 子供向けの本ばかりでないか!と言われるかもしれませんが、子供のころに読んで感銘を受けた話はずっと心の中に残っているものなんですね。
 「The Great Stone Face」は緋文字(ひもんじ、The Scarlet Letter)の作者のとして有名な、ナサニエル・ホーソーン(1804年7月4日~1864年5月19日、アメリカの小説家)の短編です。私の小学校時代の国語の教科書に出ていました。ホーソーンの作品はアメリカではすでに古典の部類に入ります。アメリカ国内でも、「The Great Stone Face」はホーソーンの短編中、比較的知られているもののようです。日本語訳はいろいろあります。「大きな石の顔」「いわおの顔」etc.
 アマゾンのあらすじを転記しますと、「人間の顔に似た巨大な岩。この巨岩をのぞむ渓谷には、岩にまつわる伝説が語り継がれていた。いつの日かこの渓谷で生まれた子が、すばらしい偉人となり戻ってくる。そしてその顔は岩とそっくりだというのだ。その男は誰なのか、いつ来るのか。伝説を信じ、偉人が現れるのを待ち望むアーネスト。そこに渓谷で生まれ、名をなした3人の男たちが戻ってくる。彼らは伝説の偉人なのだろうか。」
 少年は岩の顔にそっくりの「伝説の偉人」をひたすら待ち続けます。
 真に「偉大である」とはどういうことか?
 人間の価は何で決まるのか?
 原文で読んでも、元々が子供向けの本ですので、ある程度の英語力のある人ならば理解できると思います。是非読んでみて下さい。
2009/01/14(水)
君たちはどう生きるか(吉野源三郎)

 コペル君というあだ名の少年(旧制中学2年生の本田潤一君、話の中心は1年生の時のこと)の心の成長物語です。
 1937年(昭和12年)7月、日本少国民文庫の最後の配本として世に出た作品です。
 この年は盧溝橋事件が起き、日本はいよいよ泥沼の日中戦争、そして太平洋戦争へと突入していきます。戦前の本であるにもかかわらず、現代にも通用する、いや、現代人なら尚更読むべき本だと思いました。実は恥ずかしながら私はこの本を知りませんでした。最近知人に紹介されて読んだのですが、たいへん良い本で、是非皆さんにも読んでもらいたいと思い、紹介します。
 すでに読んだことのある方も多いと思いますが、何度読んでもいい本はいい本です。
(押し付けるつもりはありませんよ)
 釈尊は華厳経に人間に生まれ難いこと、仏教を聞き難いことを説かれ、源信僧都も横川法語であらわされ、親鸞聖人も又「五趣八難の道を超え…」と述懐なさっています。なぜ人間に生まれたことが尊いのか。それは人間に生まれなければ仏教を聞くことができなかったし、仏教を聞けなければ、阿弥陀仏の本願に救い摂られることもなかったからです。
 決して他人をさげすんだり、上から目線で見るということではないのですが、人間の姿形はしていても、人間の心を失ってしまっては、やはり仏教は聞けないと思います。ましてや、機械やロボットが仏教を聞けるはずもありません。
 この本は、忘れていた人間の心を思い起こさせてくれるに違いありません。
2009/01/13(火)
つづき
 さっきの記事は一見すると仏教と関係ないように思われるかもしれませんが、無理矢理こじつけます。
 KT法で注目すべきは、問題分析の前に、状況把握があることです。「なぜこうなったのか?」の前に、「今何が起きているのか、どんな状態なのか?」を知る必要があるということですね。
 不幸はどうして起きるのか?いろいろな説明はできますが、一つにはこの「状況把握」が正確にできていないからとも言えます。
 シェークスピアの4大悲劇を見てもそうですね。
「マクベス」は魔女の言葉で惑い、悪妻の言葉にかどわかされて、スコットランド王になったものの、最後滅ぼされます。(黒澤明監督の蜘蛛巣城のもと)
「ハムレット」は確かな証拠もないのに、叔父が父親を殺したと思い込んで、周りの人々を苦しめ、そして自滅します。
「オセロ」は奸臣の言葉にだまされて、妻が浮気をしていると思い込み、悲劇を生みます。
「リア王」は都合の良い言葉を言う長女や次女の言葉を信じ、本当に自分のことを思っている三女を放逐しやがて、荒野で死んでゆきます。(黒澤明監督の乱のもと)
 彼らは、現在自分の周りで何が起きているのかを、正しく見ることができなかったのです。仏教の言葉では正見できなかったということですね。
 政治、経済、文学など、これはどの分野でも言えるでしょう。
 口で言うほど簡単なことではないです。(かくいう私ができていない。汗;)
 でも、とても大切なことと思います。
2009/01/13(火)
 昨日(12日)、名古屋へ行ってきました。岐阜県生まれのくせに、なかなか行く機会もありませんでしたので、新鮮な感じでした。駅構内にもいろいろな店もあり、せっかく名古屋に来たのだからと、朝食にきしめんを食べてから、知人と会って話をしました。
 往復の電車の中で、本を読もうと思って持って行ったのですが、疲れてしまったので、読めずじまいで、無駄なことをしたと反省。
 今読んでいる本は、「新・管理者の判断力 ラショナル・マネージャー」(C.H.ケプナー、B.B.トリゴー著 上野一郎監訳 産業能率大学出版部刊)です。
 別に管理者になろうというわけではないのですが、KT法のラショナル・プロセス(状況把握、問題分析、決定分析、潜在的問題分析)に関心があったのでこの機会に読もうと思ったのです。
 矢沢栄吉やゲーテのファウストじゃないですが、「時間が止まって」いたせいか、シナプスがかなり減少していて、昔のように本を読めないことに愕然とします。
 ただいまリハビリ中です。
 人に分りやすく話をすることが大切と思い、「考える技術・書く技術」(バーバラ・ミント著 山崎康司訳 ダイヤモンド社)も最近読みました。
 もちろん仏教の勉強も少しずつしていますが、こういったことも大切だとつくづく思うこの頃です。
2009/01/11(日)
「所信表明」をしてもらいたいとのご意見がありました。
私は一国の大統領や首相ではありませんので「所信
表明」をするなどおこがましいと思いまして「所信
表明のようなもの」を少し述べます。

ご存知の方も多いかと思いますが、私は、昭和54年
5月、大学入学後に浄土真宗親鸞会に入会いたしま
した。そして、大学卒業後、昭和58年に親鸞会講師
部の道へ進みました。
ここに約25年在籍し、事情により昨年平成20年
10月退部し、さらに本年平成21年1月3日付で
親鸞会を除名になりました。

除名の経緯・理由につきましては、巷間では種々言
われているようですが、人によってまちまちで、正式
な発表はないのではないかと想像しています。
私自身も聞かされておりませんし、国家ならば裁判・
通常の組織ですと事情聴取なども受けておりません。

この度の「21世紀の浄土真宗を考える会(仮称)」
の立ち上げは、確かにこの「親鸞会除名」を受けて
のことです。
除名にならなければこのようなことはしませんでした。

しかし、私はこの集まりを「浄土真宗親鸞会」に対抗
するものと考えてはおりません。
おいおい、会則・定款なども整えてゆきたいと思いま
すが、私の「立場」は建前では「代表」ですが、
「スタンス」は「お使い」です。

「お使い」ってどういうことだ?
と思われるかもしれませんが、
「阿弥陀仏のお使い」ということです。
親鸞聖人は阿弥陀仏に救い摂られ、生涯「弥陀の
救い」を教え説いていかれた方なのであり、
それが浄土真宗なのです。
救われるのは阿弥陀仏なのですから。
親鸞聖人のようなことはとてもできるはずもありま
せんが、先に救われた者が、いまだ救われていな
い方々にお伝えするのは当然のことなのです。

私の行動の原点は
「弥陀の本願まこと」
であり、
「一向専念 無量寿仏」
の布教以外にありません。

---------------------------------------
2ちゃんねるなどの掲示板では親鸞会に関連して、
よく「アンチ」「シンパ」という言葉が使われます。
また、関係する人も
 現在も親鸞会会員。講師その他
 ここ数年の間に親鸞会をやめた人
 ずっと昔にやめた人
 見ているだけの人(ウォッチ、ヲチの人)
 肉親、知人が親鸞会とかかわっている人
  etc.
など「親鸞会」と一口で言いましても、かかわり方
はそれぞれでしょう。

私も含めまして、今一度考え直さなければならない
かと思います。

スティーヴン・R・コヴィー氏の「7つの習慣」から
少し言葉を拝借するならば、「『親鸞会』中心」の
思考・行動になっていないか。

私たちが求めるべきは、
「弥陀の救い」であり
「信心決定」
なのですから。
-------------------------------------

十分な準備期間を経て立ち上がった会ではありません。
そもそもこのブログが「準備」のためなのです。
今後の方針なども、私や法友の中で検討している段階
です。

私はゴミのような人間であり、カスのような人間であり、
クズのような人間です。
(自虐的な意味ではないですよ。そのままなのですから)
しかし、そんな私が声を大にして言えることは

信心決定はできます。
私の仕事ではない。
人間の仕事ではない。
阿弥陀仏のお仕事なのですから。
どうか聞き抜いて下さい。

なのです。

---------------------------------------------
最後に少し息抜きをしますね。

ぜんぜん仏教、浄土真宗と関係ないですけど、
私の好きな歌(詞)を書いておきます。
著作権の問題もありますので、詞そのものは
載せません。
各自お調べ下さい。

日本のものは、お二人の作詞者はいずれも故人と
なられましたが、いずれも日本を代表する作詞家で、
知らない人はいないのではと思います。

自惚れるなぁ!かっこつけるなぁぁぁ!
とお叱りを頂戴するかもしれません。
はい
自惚れの塊でございます。
失礼しました。
--------------------------------------------
【時代おくれ】
作詞   :阿久 悠
作曲   :森田公一
編曲   :宮本光雄
歌    :河島英吾

【月光仮面は誰でしょう】
作詞   :川内康範
作曲、編曲:三沢郷
歌    :ボニー・ジャックス、ひばり児童合唱団

【月光仮面の歌】
作詞   :川内康範
作曲、編曲:三沢 郷
歌    :ボニー・ジャックス、ひばり児童合唱団)

【『明日に架ける橋( Bridge Over Troubled Water)』】
サイモンとガーファンクル

【You've Got a Friend】
キャロル・キング
(トイ・ストーリーに出てくる歌です)

【スタンド・バイ・ミー】
ベン・E・キング
(映画もいいですね)

2009/01/05(月)
初めまして、近藤智史(こんどうともふみ)と申します。

私は、浄土真宗、親鸞聖人の教えを信じ、より多くの人に聞いていただきたいと考えています。ですが、現状の浄土真宗は、高齢化、過疎化、寺院の後継者不足に加えて、浄土真宗そのものに対する一般の認知度は低下していく一方です。

そこで、21世紀の浄土真宗をかんがえる上で、新たな活動を始めようと考えています。
「21世紀の浄土真宗を考える会(仮称)」名前は、また正式なものを考えていきますが、仮称ということで、ブログを作成し、一般に告知いたします。

もし、このエントリーをみて興味のある方は、以下の連絡先に気軽にお問い合わせください。

注:下記住所等はこのブログ開始時のものです。変更になっておりますので、ご了承下さい。

代表:近藤智史
郵便番号:170-0005
住所:東京都豊島区南大塚2-17-8 イワセビル301号
電話番号
080-5089-0396(au)
090-9445-0837(softbank)
070-5551-1589(willcom)
E-mail:konchan@jf7.so-net.ne.jp


 | Copyright © 21世紀の浄土真宗を考える会 All rights reserved. | 

 / Template by パソコン 初心者ガイド
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。