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21世紀の浄土真宗を考える会2009年03月25日

2009/03/25(水)
「御文章の読み方」などというものはありませんが、ある一つの言葉に注目して読まれてもよろしいですね。
「信心」「一念」「雑行」などなど

たとえば、「なにのやうもなく」「やうもなく」という言葉が80通の内、どの御文に出てくるかといいますと、

1帖目第7通  弥生なかば
2帖目第7通  五戒・易往
2帖目第8通  本師本仏
2帖目第9通  忠臣貞女・外典
2帖目第13通 御袖
2帖目第14通 秘事法門
3帖目第1通  摂取と光明
3帖目第2通  如説修行・成仏
3帖目第3通  川尻性光
3帖目第10通 神明六か条
5帖目第3通  在家の尼入道
5帖目第11通 御正忌
5帖目第12通 御袖すがり
5帖目第15通 それ弥陀如来
5帖目第17通 それ一切の女人
5帖目第18通 当流聖人
5帖目第21通 当流安心・経釈明文
5帖目第22通 当流勧化

2箇所書かれている御文もありますが、全部で20箇所(18通)あります。
(数え間違いをしているかもしれませんがご了承下さい)
かなり多いですね。
この「なにのやうもなく」「やうもなく」の意味はどういう意味でしょうね?
考えてみて下さい。

このうち2帖目第9通「忠臣貞女・外典」などはよく読まれると思いますが、一部ではなく全部をきちんと読んでみましょう。
通常、あまり読まれないと思われる部分を逆に太字にしてみました。

御文章2帖目第9通 忠臣貞女・外典
 そもそも、阿弥陀如来をたのみたてまつるについて、自余の万善万行をば、すでに雑行となづけてきらへるそのこころはいかんぞなれば、それ弥陀仏の誓ひましますやうは、一心一向にわれをたのまん衆生をば、いかなる罪ふかき機なりとも、すくひたまはんといへる大願なり。
 しかれば一心一向といふは、阿弥陀仏において、二仏をならべざるこころなり。このゆゑに人間においても、まづ主をばひとりならではたのまぬ道理なり。
 されば外典のことばにいはく、「忠臣は二君につかへず、貞女は二夫をならべず」といへり。
 阿弥陀如来は三世諸仏のためには本師師匠なれば、その師匠の仏をたのまんには、いかでか弟子の諸仏のこれをよろこびたまはざるべきや。このいはれをもつてよくよくこころうべし。
 さて南無阿弥陀仏といへる行体には、一切の諸神・諸仏・菩薩も、そのほか万善万行も、ことごとくみなこもれるがゆゑに、なにの不足ありてか、諸行諸善にこころをとどむべきや。
 すでに南無阿弥陀仏といへる名号は、万善万行の総体なれば、いよいよたのもしきなり。
 これによりて、その阿弥陀如来をば、なにとたのみ、なにと信じて、かの極楽往生をとぐべきぞなれば、なにのやうもなく、ただわが身は極悪深重のあさましきものなれば、地獄ならではおもむくべきかたもなき身なるを、かたじけなくも弥陀如来ひとりたすけんといふ誓願をおこしたまへりとふかく信じて、一念帰命の信心をおこせば、まことに宿善の開発にもよほされて、仏智より他力の信心をあたへたまふがゆゑに、仏心と凡心とひとつになるところをさして、信心獲得の行者とはいふなり。
 このうへには「ただねてもおきてもへだてなく念仏をとなへて、大悲弘誓の御恩をふかく報謝すべきばかりなり」とこころうべきものなり。
 あなかしこ、あなかしこ。
 ○文明六歳三月十七日これを書く。

※太字にしなかったところを読むなとか、読まない方がいいという意味ではありませんので、勘違いしないで下さいね。
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