21世紀の浄土真宗を考える会2010年02月

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2010/02/24(水)
『精読・仏教の言葉 親鸞』
(梯 實圓著 大法輪閣 ISBN4-8046-4102-5)より

 他力とは何もしないことではなくて、真剣に聞法し、念仏し、敬虔に礼拝していることを「如来われを動かしたまう不可思議の徳の現われ」と仰いでいることをいうのであった。念仏を励むことが自力なのではなくて、念仏しないことが自力のはからいに閉ざされていることなのである。また、たまわった念仏を自分が積んだ功徳と誤解していることを自力というのであって、念仏する身にしていただいていることを喜ぶのを他力というのである。それを親鸞は、「他力と申し候ふは、とかくのはからひなきを申し候ふなり」(聖典・七八三頁)といわれたのであった。

------引用はここまで

 この梯和上の本は分かりやすいですよ。
 上の文章などは素晴らしいですね。
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タグ : 梯實圓 他力

2010/02/23(火)
「法の深信」とは、「助かるに間違いなし」と阿弥陀仏の本願(法)に疑い晴れたことである。
と言う人がいます。
これが間違いなのです。
もし、こういう言い方をどうしてもしたいのならば、
助けるに間違いなし」
と書くべきなんですね。

助かるか助からないかを問題にする人がいます。
助かるか助からないかはこっちのことなのです。
「仏かねてしろしめして」おられるのです。
疑い無く助ける法を聞くのです。

ひっくり返っているのです。

タグ : 二種深信

2010/02/17(水)
歎異抄をひらく』は「永正本」をもとにしたと書かれていますが、『歎異抄をひらく』の「原文」と「永正本」にはいくつかの違いがありますので、気が付いたいくつかを指摘します。
(網羅しているわけではありません)

表記方法は
 左側:『歎異抄をひらく』の原文←右側:永正本の記述
とします。

漢字・仮名の違い、仮名遣いについては無視します。
また送り仮名も多少の違いは省略します。(例:「乱るる」と「乱る」など)
ただし、永正本に漢字で書かれているものと違った漢字が使われている場合は記します。

★印は、永正本どころか他の主だった古写本にも、『歎異抄をひらく』の「原文」のような記述がないものです。
歎異抄をひらく』独自の「原文」と思われます。
原文が違っていたら、解説にならないでしょう。
これでは「どちらが異端か」以前の問題です。


☆印は、比較的新しい写本(慧空本)や法要本、東本願寺仮名聖教にあって、永正本にはないものです。

中には意味が変わる場合もありますので、注意が必要です。

【序】
自見の覚←自見の覚

【第一章】
善なきゆえ←善なきゆえ

【第二章】
こころにくくおぼしめして~はんべら←こころにくくおぼしめして~はんべらんは
かのひとびとにも←かのひとにも☆
地獄におつべき←地獄におつべき★
自余の行←自余の行
愚身←愚身

【第三章】
生死をはなるることあるべからざるを←生死をはなるることあるべから

【第五章】
父母の孝養のためとて念仏一辺にても←父母の孝養のためとて一辺にても念仏☆(←★から☆に修正)

【第九章】
他力の悲願はかくのごときのわれら←他力の悲願はかくのごと われら☆

【別序】
聖人のおおせにあらざる←上人のおおせにあらざる

【後序】
ひとのくちをふさぎ相論をたたんために←ひとのくちをふさぎ相論のたゝかひかたんがために
故親鸞聖人のおおせごと←古親鸞のおおせごと

【流罪記録】
←幡
房←浄
←奏

修正
1.最初にあげたものに誤字・脱字がありましたので、少し修正しました。
  本質的には変わっておりません。

2.「総じて」・「惣じて」については、本によってかなり相異・混乱がありますので削除しました。

3.第五章については、調べた結果、東本願寺の仮名聖教(江戸時代の版本)の一種にこのような記述がありました。しかし、今日のほとんどの歎異抄解説書では、古写本にない「念仏一辺にても」は採用していません。

タグ : 歎異抄をひらく 歎異抄

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