21世紀の浄土真宗を考える会2010年04月

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2010/04/01(木)
SNSにはすでに同じ内容の文をあげておりますが、日記ではなくコミュニティのトピック内の為、SNSに参加しないと読めませんので、あらためてここに書きます。
一部、聖典セミナーなどの内容と同じですね。

救いということ とくに現生正定聚をめぐって
 梯實圓師(永田文昌堂『仏と人』39~43)←まだ買えます

一、歓喜と慶喜
 「浄土真宗の救い」を、一言で表した言葉に「現生正定聚、当来滅度」という言葉があります。阿弥陀如来の本願を疑いなく受け容れる信心が初めて起こった信の一念に、現生(この世)において、浄土に往生し仏になることに決定した正定聚の位に入り、そして当来、この世の「いのち」が終わったときには、お浄土に生まれてさとりを開かせて頂くことであるというのです。確かにそのとおりですが、ただ、その内容が問題です。言葉がわかっていることと、事柄がわかっていることとは別ですし、言葉を知っているというだけでは、絵に描いた餅みたいになってしまいます。そういう意味で、一体、現生正定聚ということがどういうことなのか、あるいは浄土に往生してさとりを開くということが、どんなことを意味しているのか、ということを確認していくことが大事だと思います。
 そこでまず、その現生において正定聚に入るということを中心にお話をしたいと思います。実は、煩悩具足の凡夫が、凡夫であるままで、現生において正定聚の位にはいるというようなことを仰ったのは親鸞聖人だけで、法然聖人といえども言い得なかったことをズバリと言い切られたわけですが、それには学問だけでなく、親鸞聖人の深い宗教体験が裏打ちされていました。
 それを窺うについて、親鸞聖人が、如来のお救いにあずかった「よろこび」を表現されるとき、言葉を微妙に使い分けられていることを手がかりにしていきたいと思います。日本語で申しますと、「よろこぶ」ということなんですが、それを漢字で表記することで、「よろこび」の内容の違いを表現しようとされているわけです。具体的に申しますと「慶喜」とか「慶哉」とかいうように「慶」という字で「よろこび」を表現する場合と、「歓喜」という言葉を使って「よろこび」を表現する場合で「よろこび」の内容を違えていらっしゃるのです。「歓」といっても、「慶」といっても、語源の違いから来る文字の意味に少しの違いはありますが、同じように「よろこび」を表していて、特に使い分けるということはありません。経論などの用例でも「慶喜」であっても「歓喜」であっても別に変りはなく、「よろこぶ」という意味で使ってあるようです。ただ、親鸞聖人はこの二つの言葉を使い分けられるわけです。
 まず、「慶喜」の「慶」について、「慶はうべきことをえてのちによろこぶこころなり」(『一念多念文意』)とか、あるいは「慶喜といふは信をえてのちによろこぶこころをいふなり」(『尊号真像銘文』)というふうに言われております。従って、この場合は、「お救いを頂いて有難うございます」と、現在すでに救われている状況を喜んでおられるわけです。
 それに引き替え、「歓喜」というときは、「歓喜はうべきことをえてんずと、さきだちてかねてよろこぶこころなり」(『一念多念文意』)といわれています。「うべきことをえてんず」ですから、まだ得ていません、得てはいないけれども、得るべきことを必ず得るであろうと、かねて先立って喜ぶというのですから、「よろこび」を未来形(将来形)で語る場合であって、このときは「歓喜」という言葉を使うというのです。
 『教行証文類』には、沢山のお経の言葉、あるいは論・釈の言葉を引用されます。その引用文の中に「歓喜」や「慶喜」が沢山出ていますが、両者を特に使い分けられているわけではありません。しかし、親鸞聖人はこのように「よろこび」を表す言葉を厳しく使い分けられたわけです。それは浄土真宗の教えでは、現生で獲る利益と、当来(将来)に浄土において実現する利益との違いがあったからです。それを現生では正定聚、当来には滅度と言い習わしているわけです。
 ところで『教行証文類』を拝読していますと、聖人が御自身の「よろこび」を述べられるときは、必ず「慶喜」あるいは「慶哉」という言葉を使われていて、「歓喜」という言葉を使われていないと言うことがわかります。これは大きな特徴でございます。つまり、得べきことを得て後に「よろこぶ」、あるいは信を得て後に「よろこぶ」という現在完了形で御自身の喜びがいつも表現されているということです。すなわちすでに実現している救いを喜ばれているわけです。『教行証文類』「総序」には、

 ああ、弘誓の強縁、多生にも値ひがたく、真実の浄信、億劫にも獲がたし。たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。もしまたこのたび疑網に覆蔽せられば、かへつてまた曠劫を経歴せん。誠なるかな、摂取不捨の真言、超世希有の正法聞思して遅慮することなかれ。ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしいかな、西蕃・月支の聖典、東夏・日域の師釈に、遇ひがたくしていま遇ふことを得たり、聞きがたくしてすでに聞くことを得たり。真宗の教行証を敬信して、ことに如来の恩徳の深きことを知んぬ。ここをもつて聞くところを慶び、獲るところを嘆ずるなりと。


 こういうふうに具体的に仰せられています。
「ああ、このような力強い本願力には、いくたびも生を重ねても値いたてまつることは難く、清らかな真実の信心は、無量劫を経ても、獲る機会はなかった。思いがけなくも、いま行信を獲、本願を信じ、念仏をもうす身になったものは、遠い過去世からの阿弥陀仏のお育てのご縁に思いを致して慶べ。もしまた、このたびも疑いの網に覆い隠されて本願の法をいただかないようなことがあれば、ふたたびまた永劫の迷いを続けねばなりません。
 誠なる仰せではありませんか。私たちを摂め取って捨てぬとの真実の言葉、世にたぐいなき正法は。この真実の教えを、はからいなく聞き受けて、決して疑いためらってはなりません。
 ここに愚禿釈の親鸞は、まことに慶ばしいことに、遇いがたい印度・西域の聖典をはじめ、中国・日本の祖師たちの御釈にいま遇わせていただくことができ、聞きがたい教えをすでに聞かせていただくことができました。これによって浄土真宗の教行証のおみのりを敬い信じ、ことに如来の恩徳の深いことを知らせていただきました。そこで、聞かせていただいたおみのりを心から慶び、わが身に獲させていただいている教えをたたえさせていただくために、この書を著すのです」と仰せられているのです。
 この短い文章の中に「慶」という字が三回も使われています。もし私どもが親鸞聖人に「あなたにとって、よろこびとすべきことは何ですか」と尋ねたら、きっと「遇うべき人に遇わせて頂いた、聞くべきみ教えはすでに聞かせて頂いた、そして現に本願を信じ、お念仏申す身にすでにして頂いている。そのことが私の無上の慶びです」とお答えになるに違いありません。そこではすでに慶ぶべき事柄がご自身の上に実現しています。「この世に生きてある限り、さまざまな苦難は襲いかかりますけれども、しかし何事があろうと、この世に生まれさせていただき、この法縁を恵まれ、本願を聞き念仏して、浄土を一定と期する身にしていただいたことは、何にもまして有り難いことでございます」と、自分の人生に合掌して終わっていけるような境地に安住しておられることがわかります。
 『教行証文類』の「後序」にも、源空聖人に出遇って、「雑行を棄てて、本願に帰す」る身となったことを感謝して、

 慶ばしいかな、心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法海に流す。深く如来の矜哀を知りて、まことに師教の恩厚を仰ぐ。慶喜いよいよ至り、至孝いよいよ重し。


 と述懐されています。ここでも「慶ばしいかな」という字はやはり「慶」であり、「慶喜」という字が使ってあります。遇うべきものには遇った、聞くべきものは聞いた、信じなければならない如来の本願を信ずる身にしていただいた。そして浄土を願生するものとしての正しい生き方として如来から恵まれた念仏は称えさせていただいている。その意味では、この世に生まれてきた所詮はあったと、はっきりと確認しておられます。
 「歓喜」の方は、「うべきことをえてんずと、さきだちてかねてよろこぶこころなり」というのですから、まだ実現していない、実現していないけれども、そのことが実現することにすでに決まっている。それを、かねて先立って「よろこぶ」というのですから、これは浄土に往生することです。これはまだ実現しておりません。この娑婆でまだ煩悩を燃やし続け、それゆえに凡夫としての苦難を受け続けております。けれどもこの凡夫としての生涯が終わったならば、必ず浄土に生まれる身にしていただいています。そのことを有り難いと思う「よろこび」のことです。ですから未来形(将来形)の喜びです。
 もっともそれは未来というよりも将来、もしくは当来と言った方が適切かも知れません。未来という言葉は「未だ来らざるもの」と読むように、まだ存在していないものと言う否定的な意味が強く出ますが、将来とか当来と言うときには、「まさに来るべきもの」と言うことになり、今まさに実現しようとする状態を表すことになり、現実を転換していくものとして、来るべき事柄を肯定的に表すような響きがあります。浄土を願生するものにとって、浄土は、現実よりも強い実在性を持っていて、まさに来たるべき事柄として受け取っていきますから、未来というよりも、将来という方がより正確に事態を表しているといえます。『歎異抄』の中序に「信をひとつにして心を当来の報土にかけしともがら」といわれた表現が一番しっくりするように感じます。
 さて浄土に往生するということは、仏陀のさとりの領域である安らかな涅槃に生まれることですから、迷いの根源である無明・煩悩が完全に浄化されて、智慧と慈悲を完成した仏陀になることを意味していました。それを「当来には滅度(涅槃)の証果を得る」といわれているわけです。ところで親鸞聖人は、その証果の内容を大悲還相として表されていました。還相(穢国に還来するありさま)とは、往相(浄土へ往生するありさま)に対する言葉で、本願を信じて、浄土に往生してさとりの智慧を極めたものは、その往相の究極におして大慈悲心を起こして、一切の衆生を救うために、煩悩の渦巻く迷いの世界(穢国)へ還ってきて、迷える人々を救うはたらきを限りなくなさしめられることを還相というのです。私どもが浄土に往生することも、浄土に在るままで迷える人々のところへ還って来て、人々の苦難に寄り添い、まことの救いを恵み与えていくことも、すべて阿弥陀仏が、本願力をもって回向し施してくださった事柄であるというので、親鸞聖人は、往相も還相も如来が回向してくださった賜物であるといわれています。
 浄土に往生し、さとりを完成するというと、それが究極の目的のように見えますが、実はそうではありません。浄土に往生し、大智、大悲を完成した仏陀になるのは、生きとし生けるすべての者を救い続けることができる身にしていただくことを意味していたからです。この世ではどうしてあげることができなかった人々を、思いのままに救うことのできる身にしていただくことが有り難い。すべての人々の悲しみに寄り添って、「苦難は私が引き受けるから、あなたはどうぞ幸せになって下さい」と、本気で言えるような智慧と能力を完成していただくことを、「歓喜はうべきことをえてんずと、さきだちてかねてよろこぶこころなり」と、聖人は仰せられたのでした。


 さて、親鸞聖人の教説の特徴の一つは、本願を信じるものは、即座に正定聚の位に入るといわれたことでした。実は永い浄土教の歴史のなかでも、現生(この世)において正定聚に入るということをはっきり言い切ったのは親鸞聖人だけなんです。大変なことを聖人はおっしゃっているわけです。しかし「正定聚」というのは一体何なんだろうかということについてお話をしておきたいと思います。
 仏教では正定聚、不定聚、邪定聚という三定聚ということが言われまして、仏道修行者の階位をあらわしていました。修行が進展していく過程を三つの部類に分けてあらわしたものです。部派仏教(小乗仏教)に属する論書の、『阿毘達磨倶舎論』では、邪定聚というのは、邪悪(よこしま)な行いをして悪道に堕ちることに決定しているもののことです。それに対して、修行に励んで煩悩を断ちきることのできる智慧(無漏智)を開いて、苦諦(凡夫の現実は苦であるという真理)、集諦(苦の原因は煩悩であるという真理)、滅諦(煩悩を起こさなくなれば、すべての苦は滅して安らかな涅槃と呼ばれる状態になれるという真理)、道諦(煩悩を起こさなくらるために実行しなければならない正しい生き方についての真理)という四諦(迷いとさとりの因と果を明らかに説き表された四種の真理)をはっきりと確認することによって、まず後天的な悪条件によって起こって来ていた分別起(見惑)という煩悩を断ち切って、もはや悪道には決して退転しない預流果と言われる地位に入ります。預流果とは凡夫の仲間を超え出て、聖者の流れ(仲間)に入ったということです。このような真理をさとる智慧(正智・無漏智)を開いている人は必ずさとりを完成することが決定していますから、正定聚というのです。この人はさらに修行を積んで、生まれつき持っている根強い倶生起の煩悩(修惑)を一つ一つ断ち切っていき、預流果から、一来果、不還果というふうに進んで、最終的には完全に煩悩の絆を断ち切って阿羅漢という究極のさとりに到達していきます。
 こうして無間地獄に落ちるような悪業を作っている邪定聚と、真理をさとる智慧を開いて、さとりを完成することに決定している正定聚と以外の修行者のことを不定聚というといわれています。たゆみなく修行していけば正定聚の位に入ることが出来ますが、修行を止めて悪業を積めば邪定聚に堕ちてしまいます。進めば正定聚ですが、退けば邪定聚に堕ちるという不安定な状態にある修行者のことを不定聚というのです。
 大乗仏教になりますと、色々な経典や論疏の中にさまざまに三定聚が説かれていますが、『釈摩訶衍論』には、三定聚を菩薩の階位に寄せて三種類の説にまとめております。菩薩の修行の階位にもいろいろな説がありますが、一番一般的な説は、十信、十住、十行、十回向、十地、等覚、妙覚という五十二段の階位で表しています。煩悩具足の凡夫から十信の位までを外凡といい、十住、十行、十回向の三十位を内凡といいます。外凡とは、心がまだ仏法の中に安住していなくて、煩悩が盛んに起こっているような状態の人をいいます。内凡とは心が仏法に安住していて、煩悩はまだありますが、よく制御されていて外へは漏れてでないような状態になっている人です。この三十位の菩薩を三賢の位の菩薩といい賢者といいます。
 次の十地位の最初を初地といいますが、初めて般若、無分別智と呼ばれる智慧が起こって無明の一分を破って真如(あるがままの真実)を悟るようになります。もはや凡夫や、小乗の聖者のような境地に退転することはなくなり、確実に仏陀になることが決定します。そこでこの位を不退転地とも呼びますが、その時菩薩の心には大きな喜びが湧いてきますから、この位を歓喜地ともいいます。この初地以上の菩薩は真如を悟る智慧を獲得していますから大乗の聖者といいます。そこで三賢に対して十地の菩薩を十聖といいならわしています。こうして初地の菩薩は、聖者にはなりましたが、まだまだ完全な悟りではありませんし、特に一切の衆生を救済するという大悲利他の活動が未完成でして、さらに長い間の修行を続けなければなりません。
 等覚とは菩薩の最高位であって、ほとんど仏陀と同じ徳を実現していますから正覚者に等しいというので等覚と呼んでいます。ここでは等(ほとんど同じ)と同(全く同じ)とを使い分けをしていることに注意をしておく必要があります。後に親鸞聖人が信心の行者を「如来と等しい」といわれた場合は、この等覚の意味でして、「如来と同じ」ではありませんので注意しなければなりません。菩薩はこの等覚の位においてさらに長時にわたる修行を積んで自利と利他を円満し、智慧と慈悲を完成し、最後に迷いの根源である元品の無明を断じて妙覚位に登るといわれています。
 さて『釈摩訶衍論』の三定聚説の第一説は、十信中の初信の位にも至らない全くの凡夫を邪定聚といい、十信位の菩薩を不定聚と言い、三賢と十聖と等覚の菩薩を正定聚という説です。第二説は、凡夫から十信の最後までを邪定聚といい、十住から等覚までを不定聚といい、仏を正定聚という説です。第三説は、十信以前の凡夫を邪定聚といい、十信、十住、十行、十回向の四十位を不定聚といい、初地以上の十地と等覚の菩薩までを正定聚というとする説です。
 浄土真宗の電灯の祖師方の中で正定聚という言葉を使われたのは曇鸞大師でした。大師が正邪定聚、不定聚をどのように見られていたかはわかりませんが、ただ正定聚を初地以上の菩薩のことと見られていたことはわかります。したがってそれ以下を不定聚、邪定聚に配当されていたとしなければなりません。その意味で『釈摩訶衍論』の三説のなかでは第三説が一番よく似ているようです。曇鸞大師のいわれる初地は、龍樹菩薩の『十住毘婆沙論』に説かれている初地であり、歓喜地とも、必定とも、不退転ともいわれていました。また『浄土論』でいえば五功徳門の中の近門と大會衆門に当たります。しかし初地の菩薩ということになりますと煩悩を断じ、無明を断じて、真如の理を体得した聖者を指していました。『浄土論』の近門と大會衆門も浄土の果報として説かれていましたから、『論註』の文面では浄土に往生すれば正定聚に住するといって、正定聚は浄土で得る利益と見られていました。『論註』の序題に、『十住毘婆沙論』に説かれた易行道の利益である阿毘跋致(不退転地)を釈して、

 「易行道」とは、いはく、ただ信仏の因縁をもつて浄土に生ぜんと願ずれば、仏願力に乗じて、すなはちかの清浄の土に往生を得、仏力住持して、すなはち大乗正定の聚に入る。正定はすなはちこれ阿毘跋致なり。たとへば水路に船に乗ずればすなはち楽しきがごとし。(『註釈版聖典』七祖篇四七頁)


といわれているとおりです。


 ところで親鸞聖人は、正定聚と不定聚と邪定聚を第十八願、第十九願、第二十願の三願に配当して領解されていました。それは『大経』の下巻の始めに説かれた第十一願成就文に、

 それ衆生あつて、かの国に生れんとするものは、みなことごとく正定の聚に住す。ゆゑはいかんとなれば、かの仏国のうちには、もろもろの邪聚および不定聚はなければなり。(『一念多念文意』六八〇頁の読み方)


 といわれた文意によって解釈されたものです。ここで正定聚というのは第十八願の法義を疑いなく受け入れた人のことでした。すなわち真実の信心を獲た人は、即座に摂取不捨の利益に預かって、確実に真実報土に往生し成仏する身に定まっていますから、「正定の聚に住す」といわれたと領解されたのです。そのことを『親鸞聖人御消息』の第一条には、「真実信心の行人は、摂取不捨のゆゑに正定聚の位に住す。このゆゑに臨終まつことなし、来迎たのむことなし。信心の定まるとき往生また定まるなり」といわれています。
 それにひきかえ真実の報土に生まれることの出来ない者として挙げられた邪定聚と不定聚とは、方便化土しか生まれることのできない第十九願と第二十願の機であると読み取っていかれたのでした。これは親鸞聖人以外誰も言ったことのない説でした。
 では、なぜ第十八願の機を正定聚というのか。また第十九願の機を邪定聚、第二十願の機をなぜ不定聚と言うのかということが問題になってきます。正定聚とは、曇鸞大師が仰せられているように、迷いの根源である無明の一分を破る正智を獲て真如をさとり、成仏することに決定している聖者の仲間にはいることでした。そのように正智を獲た人ですから聖者といわれる訳です。第十八願の信楽(信心)は、その本体は大智大悲の仏心であるから、よく往生成仏の因となる徳を持っています。ですから有漏の穢身が消滅する臨終の一念に真実報土に往生し、即座に成仏することに定まっていますから、その信心の徳からいって正定聚といわれる道理がある訳です。さらにまた先に述べたように摂取不捨の利益にあずかって、不退転の位につけしめられていますから正定聚の数に入るということができるからでした。すなわち信心の内徳からいえば無漏の仏智を頂いているからであり、光明摂取の外縁からいえば不退転の位に住せしめられているから現生において正定聚の機といえるというのです。
 第十九願の機を邪定聚というのは、この願に誓われているような自力の行信、すなわち雑行に心が定まっているような行者であるからです。雑行とは、如来によって選捨された非往生行を往生行としているのですから、それは正当な往生行(正行)に対すれば、邪(よこしま)な行ですので邪雑の行といわれています。その邪雑の行に心が定まっているから邪定聚といわれるのです。
 第二十願の自力念仏の機を不定聚というのは、自力念仏の構造からそのようにいわれる訳です。自力の念仏とは「機は頓にして、根は漸機なり」といわれているように、称えられている教法(南無阿弥陀仏)からいえば如来の成就された選択回向の名号ですが、それを受け取る人の心(根)が自力心を離れられないでいるから、速やかにさとるはずの法(頓教)を見失って回り道をする漸教に陥ってしまっています。すなわち法の真実からいえば、正定聚であるべきなのに、機の誤りから邪定聚の人の定散自力心と同じ状況になっています。ですから機執を離れて法に向かえば正定聚に入るし、法に背いて定散心をつのれば、邪定聚の機に落在するという中間的な存在であるから不定聚と呼ぶのにふさわしいと見られたのでした。
 それにしても第十八願の信心の行者がどうして聖者の位であるような正定聚に入ると言えるのかが問題になります。といいますのは、信心の行者であるといっても、この世に生きてある限りは煩悩を起こし続け、縁に触れたならば、どんな悪業を犯すか知れない危険な凡夫であって、決して聖者といえるような立派な人にはなれないからです。
 親鸞聖人も『一念多念文意』に、「凡夫といふは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと、水火二河のたとへにあらはれたり」とおっしゃっています。死ぬまで煩悩を燃やし続け、罪業を造り続けるものが、どうして正定聚の聖者といわれるのでしょうか。


 そこでまず第十八願の信心とは何であるかということを知ることが大事になってきます。『一念多念文意』には、「信心は如来の御ちかひをききて疑うこころのなきなり」と定義されています。信心というのは、仏様の本願を疑いをまじえずに聞き受けて仰せの通りに受け入れている状態を言うのです。同じことを「信文類」では、「疑蓋間雑あることなし。ゆゑに信楽と名づく」と言われております。疑いという蓋を間にまじえない状態なんだというのです。たとえばコップの中に水を注ごうとしたときに、コップに蓋をしていますと水は一滴も入ってきません。ちょうどそれと同じように、自分の心に疑いの蓋をして、心を閉じてしまったならば、仏様のみ教えは決して入ってきません。実はその疑いといういのは、普通に、何か物事の道理がよく解らなくて疑うということではありません。かえって、人間が持ち前の知識を働かせて、阿弥陀仏の本願の救いを推し量って解ったと思っていることを疑いといわれているのです。人間の持ち前の知識で、仏陀の大智大悲の領域を量り知ろうとすることを、親鸞聖人は、「自力のはからい」と呼び、それを本願疑惑と呼ばれているのです。
 したがって、信心とは何かということを知るためには、その反対の言葉である「人間のはからい」とは何であるかということを知っておかねばなりません。その自力のはからいとは、先程も申しましたように、「分別」を基本的な性格としています。私どもは、生と死を別物としか考えられませんから、生に執着して、死を拒絶したり、生に絶望して死を願ったりして苦しんでいます。また私どもは、自分と他者とをはっきりと分け隔てすることによって自己を確立し、その自己を中心にして自他を画然と分け隔てします。そして自分に都合のいい人は愛し、都合の悪い者は憎むという愛憎のしがらみをつくり出し、悩みもだえながら生きていかねばなりません。それに引き替え仏陀は、生死を分け隔てし、自分と他者とを画然と分け隔てすることを虚妄なる憎と親愛は、どちらも煩悩がどちらも煩悩が描いた虚構であるとさとって、愛憎を超えた安らかな涅槃の境地に到達された方でした。そして、生死に迷って苦悩している私どもを目覚めさせるために、み教えを説いて導いてくださっているのです。
 しかし、虚妄分別の中に閉ざされている私どもが、分別的な知識を超えた「無分別智」を本体としている如来の教えを受け容れることは至難の業です。それはわかろうとしていることが、かえってわからなくしてしまうことになるような性格を持っているからです。人間の持ち前である物事を対象的に識別して判断する能力(分別)で、識別してわかったと思っていることは、実はわかったのではなくて、分別を超えているものの真実の有り様をただ誤解をしていることに過ぎないのです。じゃあ、一体どうしたらいいのかというと、如来は無分別智をもって確認されたさとりの領域を言葉で表現して、私どもに伝達しようとされていますから、そのお言葉(教説)を、仰せの通りにスーッと受け入れることです。如来の言葉を受け容れたならば、受け容れた言葉が私に如来を知らせ、浄土というさとりの領域のあることを知らせてくださるわけです。
 これは簡単なようですが、しかしもともと人間の能力を超えた出来事ですから、易いようで恐ろしく難しいことなのです。だから『大無量寿経』でも『阿弥陀経』でも本願のみ教えを信じることは人間の能力では不可能なことであるというので、「難信の法」とも、「極難信」ともいわれているのです。
 蓮如上人は、『御一代記聞書』(第一九三条)に

 「至りてかたきは石なり、至りてやはらかなるは水なり、水よく石を穿つ、心源もし徹しなば菩提の覚道なにごとか成ぜざらん」といへる古き詞あり。いかに不信なりとも、聴聞を心に入れまうさば、御慈悲にて候ふあひだ、信をうべきなり。ただ仏法は聴聞にきはまることなりと[云々]。


といわれています。柔らかな水が硬い岩を穿ち貫徹していくように、己を空しくして如来の仰せを聞き続けている人は、如来のお慈悲のはたらきによって、本願のお言葉を、素直に受け容れられるようにお育てくださるから、「仏法は聴聞にきはまる」といい切られています。
 その阿弥陀如来の第十八願には、「至心に信楽して我が国に生まれようと欲え」と誓われています。至心というのは、如来の本願が真実であることをいい、信楽とは疑いをまじえないことであり、欲生とは必ず浄土へ生まれることができると期待することであるというのが親鸞聖人の領解でした。すなわち「嘘も偽りもない本願のお言葉を(至心)、はからいをまじえずに疑いなく受け入れて(信楽)、私の国に生まれようとおもいなさい(欲生我国)」とおっしゃっているというのです。「信文類」には、「欲生といふは、すなはちこれ如来、諸有の群生を招喚したまふの勅命なり」といわれています。「諸有の群生」とは迷いの境界に閉じこもって、迷い続けているものというのですから、私どものことです。私どもは、仰せの通りに疑いなく、お浄土へ生まれさせていただくのだと思えばいいわけです。しかし「私の国に生まれようと思いなさい」というこの本願のお言葉がそんなに簡単に受け容れられますかね。私たちの考えとは全く違っているからです。
 私どもの考えでは、先ほどもちょっと申し上げましたが、まず生と死とは真反対の言葉で、決して両立はしません。生きているけれども死んでいるとか、死んでいるけれども生きてているとは決して考えられないことだからです。私の人生の最後は死であるとしか思えません。私たちは「生まれてきて死んで行くもの」という枠組みで自分の存在をとらえていますから、そういう存在なんだといえばよくわかるんですが、死ぬのではなくて生まれるものなんだよといわれたら、これはわかりませんね。死ぬことが生まれることならば、生きていると言うことは何なのでしょう。
 お釈迦様というのは「生まれたものは死ぬもんだよ」と教えられたといいますが、それだけならばわざわざお釈迦様に言うてもらわんでも分かっているんじゃないかな。実はお釈迦様が言おうとされたことは、そうじゃなくて、必ず死ぬ生を有り難く受け容れ、生の滅びと考えている死を、生と全く同じように有り難きこととして受け容れることができるような境地に到達しなさいといいたかったのでしょう。生と死を超えて、生と死を一望の下に見通すことのできるような精神の領域を開いた方ですから、「お前が考えているような生も、お前が考えているような死も、その言葉に対応するような実体は存在しませんよ」と教えたかったのでしょうね。「生と死ちうような言葉で捉えている生死は本来、空であって、お前がとらわれるような生も死も実在しないんだよ」と言われているのでしょう。
 しかし、わたしどもはそんなお釈迦様のお言葉を受け入れることはできません。「私は今確実に生きています。しかしそのうちに死ぬ時が来るだろうが、死が何なのか全くわかりません。死んだらどうなるのか、なにもわかりません。わからないから、死を考えると恐ろしいし、虚しい虚無感に襲われます。しかし生と死に的確に対応できる力も智慧も持っていません。どうしようもないまま、むなしく死に飲み込まれていくしかない」というのが私ども人間の現実の姿ではないでしょうか。
 それに対して、阿弥陀如来は、「死ぬんじゃなくて私の国に生まれてくるんだよ、そなたを浄土へ生まれさせる智慧と力を私は完成しているから、私にまかせなさい」とおっしゃるわけです。しかしその言葉を受け入れるほど素直ではありませんから、私たちはそれに反発しながら、戸惑っているわけです。


 この生死の超え方に聖道門の超え方と浄土門の超え方とがあるわけです。聖道門では端的に「生死本来空」と知れといます。例えば禅宗などの場合は、生は不生であり死は不死であると知れといわれます。むかし中国の禅僧で道固禅師という方がいました。葬式に行った時、連れていった弟子の漸現が葬式の最中に棺桶の中の遺骸を指して、導師の道固に「これ死か、これ生か」と尋ねたそうです。それに対して道固が「生ともいわじ、死ともいわじ」と応えたことは有名です。これが解れば生死を超えるわけです。また日本の盤珪国師はいつも「不生」という一言ですべてを言い尽していたそうです。これは盤珪の不生禅といって、大変有名でございます。ある人が、「禅師、あなたは不生で聞き、不生で歩き、不生で日暮しをせよと仰っていますが、不生の人が死んだらどうなるんですか」と尋ねたら、禅師は「不生のものには死はない」と言われたそうです。
 しかし、阿弥陀様はそんなことはおっしゃいません。ひたすら「我が国に生まれんと欲え」と願っていてくださいます。しかしこれはさきに申しましたように無分別智によって確認された生死一如、自他一如という、言葉を超え、思いを超えた領域から、私どもを呼び覚まして、生死を超え、自他の隔てを超えたさとりの領域へと導くために設けられた仏語であるという事を忘れてはなりません。このような知識を超え、言葉を超えた領域を開く言葉は、分別して理解しようとした途端にわからなくなってしまいます。ただ仰せの通りに受け容れるしかないのです。浄土があることがわかったら信じるとか、如来がわかったら受け容れますとか言っていたら千年経っても受け容れられるものではありません。それが解らないから迷っているのですから、仏語はただ仰せのとおりに受け容れるしかないのです。
 「わたしには如来さまも、お浄土もわかりませんが、あなたの仰せには嘘も偽りもないとお聞かせいただきましたので、あなたの仰せのままに浄土に生まれるのだと受け取らせていただきます」と仏語を受け容れればいいのです。このように本願のお言葉をスーッと受け入れることを信心というのです。すると受け容れた本願の言葉が、如来を知らせ、浄土をはっきりと知らせてくださるのです。そして自分が浄土へ生まれさせていただく身であることもはっきりと知らせてくれます。すべては本願の言葉を受け容れたところから始まるのです。だから「信心をもって本とせられ候」というのです。このように本願の言葉は私に生死を超え、愛憎を超えた浄土という永遠な「いのち」の領域を開いてくださるのです。それが本当に「いのち」の言葉であり、生きた言葉なんです。このような「いのち」の言葉に触れたとき、私の「いのち」が永遠の「いのち」に連なっていることが味わえるようになるんです。それを聖人は、「至心信楽のこころをもって安楽浄土に生まれんとおもへとなり」と仰せられたのでした。如来の真実なるみ言葉を真実と受け入れて、仰せのままにお浄土へ参らせて頂くんだと思いとらせて頂いた、その瞬間に生と死の壁を打ち破って大悲本願の世界が開けてきます。
 そういうことですから、仏様の前にお座りになって、「如来様、あなたは私をお浄土へ生まれさせてくださるのだそうですね」といってごらんなさい。そしたら如来様は、「そうだよ」と言って下さいますよ。「それはまことにありがとうございます」と申しますと、如来さまは「私の切なる願いを聞き入れ、私の心をわかってくれたのだから、お前は今日から私どもの仲間だよ」といってくださいます。こうして信心の行者は、阿弥陀如来の眷族にして頂き、凡夫のままでまさしく仏に成ることに決定している聖者の仲間入りをさせて頂きます。これを親鸞聖人は正定聚に入るとおっしゃったわけです。
 如来さまのお言葉を受け容れないで、自分の理解力をたよりに如来、浄土を知ろうとしますと、どうしても自分の理解能力に応じた如来を描き出し、浄土を描き出すことになります。それは自分の心の影であって、本当の如来でも浄土でもありません。まことの如来は、教えの言葉となって私に届いて知らせてくださるのです。月は、月の光で見せてもらうんだし、太陽は太陽の光が見せてくれるのです。夜になって「月が出ているかどうか見て来い」と言われて、懐中電灯で空を照らして「月は出ているか、どうか」といってさがす人はいないでしょう。月を見るのに懐中電灯はいらないのです。懐中電灯の光は私どもの足元は照らしますが、お月さんまで届かないからです。月を見る光は月からくるんです。太陽を見る光は太陽から来るんです。太陽の光が太陽を知らせ、月の光が月を知らせる。如来・浄土を知らせるのは、如来の智慧の光である教説なのです。仏様の言葉が仏様を知らせる。この言葉を離れて如来を知ることはできません。
 自分の理解能力や禅定力で如来・浄土を捉えたと考えている人は、自分が描いた心の影を見ているだけです。このような人を邪定聚といわれたのです。またせっかくお念仏を申しているが、それは如来が南無阿弥陀仏という言葉となって私を呼び覚ましておられると気づかずに、念仏して功徳を積み重ねて如来に近づき、浄土に往生しようとはからっている人がいます。それを不定聚の機といわれたのでした。こうして親鸞聖人は、第十八願の人を正定聚、第十九願の人を邪定聚、第二十願の自力念仏の人を不定聚というふうに分類されたのでした。
 正定聚という言葉はまさしく仏になることに決定している仲間ということですが、それは、仏になる因が具わっている人と言うことになります。仏になる因は本質的に仏と同質のものでなければなりません。米の種は米であり、大図の種は大豆なのです。大豆を蒔いても米は取れません。仏になる因種は如来さまから与えられた仏心であるような信心がまさにそれなのです。昨年の秋の収穫の果である籾を今年の初夏の泥田に蒔けば。今年のお米の収穫の因になるように、如来の成就された智慧と慈悲が本願力によって回向されて凡夫の私に届いて、私の仏になる因となってくださっているのが信心なのです。信心は私の心に開けていますが、私の妄念の心ではなくて、その本体は仏心なのです。そのことを親鸞聖人は信心正因といわれたのでした。


 親鸞聖人は、『入出二門偈』の一番最後のところに、

煩悩を具足せる凡夫人、仏願力によりて信を獲得す。
この人はすなはち凡数の摂にあらず、これは人中の分陀利華なり。
この信は最勝希有人なり、この信は妙好上上人なり。
安楽土に到れば、かならず自然に、すなはち法性の常楽を証せしむとのたまへり。


といわれています。煩悩具足の凡夫であるけれども、仏の本願力によって、信心を頂戴したものは「凡数の摂にあらず」、凡夫の数に入らないと言われているのです。凡夫の数に入らないのならば何になるのでしょう。仏教では生き物を大きく二つに分けると凡夫と聖者の二種類になるといいます。ですから、凡夫でなければ聖者の数に入るということになります。もっとも聖者の中にも、未完成の聖者である菩薩と、完全な聖者である仏陀とがあります。私どもが完全な聖者である仏陀になるのは浄土に往生してからのことですから、いまはまだ仏陀にはなっていない聖者である菩薩ということになります。
 実はこの「凡数の摂にあらず」という言葉は、善導大師の『観経疏』の「序分義」の一番最後に出てくる言葉なんです。『観経』の序分によりますと、お釈迦さまから十方の浄土を見せていただいた韋提希夫人は、どのお浄土も素晴らしいけれども、私は阿弥陀仏の浄土に往生したいと願い、どうすれば浄土に生まれることがでいるかということをお尋ねをします。そして「私はすでにお釈迦様のお力によってお浄土を見せて頂くことができました。けれども私と同じように煩悩を燃やし、五種の苦しみにさいなまれながら生きていかねばならない未来の凡夫は、お釈迦様にお会いをすることができませんが、彼等はどうしたらお浄土を見ることができましょうか。その方法を説いてやってくださいませ」とお願いするんです。それに応じて、日想観から始まって雑想観に終わる、浄土と如来と、観音・勢至の二菩薩を心に思い描いていく十三種類の観念の方法(観法)が説かれていくわけですが、そこに「五苦所逼(五苦にせめられる)」という言葉があるんです。その五苦という言葉を善導大師が註釈されたなかに、「もしこの苦を受けざるものは、すなはち<凡数の摂にあらず>」といわれているものから採ってこられた言葉なのです。
 五つの苦しみというのは、生・老・病・死の四苦、それに愛別離苦(愛するものと別れなければならない苦しみ)を加えて五苦というのです。それにさらに、怨憎会苦(怨み憎むものとも会わねばならない苦しみ)、求不得苦(欲しいものが得られない苦しみ)、五陰(蘊)盛苦(煩悩を起こし続ける心身をかかえている苦しみ)を加えると、これで八苦になる。これを四苦八苦というんですが、その八苦の中でも、愛するものと分かれる苦しみは特に激しいから、生、老、病、死の四苦に愛別離苦を加えて五苦と説かれたのであるといわれています。そして「このように四苦、五苦、八苦にせめさいなまれて身も心も休まる暇のない者、それを凡夫というのであって、もし、このような苦しみがないものは、凡夫の数には入らない」といわれているのです。聖者になれば、自己中心的な想念を断ち切っていますから、我欲も起きませんし、怨憎の心も起きません。自分と思っている者も、他人と思っている者も、そのような言葉に対応する実体はない、一切は空であるとさとっていますから、何者にもとらわれることなく、すべては水が流れていくように、風が過ぎ去っていくように一瞬もとどまることなくサラサラ、サラサラと流れていきます。だから苦しみ悩むということがありません。そればかりか、菩薩は如来さまのようなわけにはいきませんが、相手にも自分にもとらわれることのない無縁の大慈悲心を起こして、苦しみ悩む人々に寄り添い、人々の苦難をわが身に引き受け、人々にまことの幸せを与えるためにはたらき続けていきます。これが聖者であるような菩薩の生き方であるといわれています。ですから菩薩は、「凡夫の数に入らない」わけです。
 しかし本願を信じて念仏する人であっても、死ぬまでは煩悩具足の凡夫でしかありませんから、そのような聖者の心境にはとてもなれませんし、まして聖者であるような菩薩がなさるような、素晴らしい自利利他の活動もできません。自分一人をもてあますような生き方しかできないわけです。それにもかかわらず親鸞聖人は、本願を信じ念仏する身にしていただいている者は、「凡夫の数に入らない」といい、この人を泥田に咲いた白蓮華のような麗しい人であるというので、『観経』には「この人は人中の分陀利華(白蓮華)」と讃え、あるいは善導大師は、この人を好人、妙好人、上上人、最勝人、希有人と褒め讃えていてくださるといわれるのです。親鸞聖人が、信心の行者は現生において、信心を得たときに正定聚に住するといわれたのは、そのような徳を得ているからであったと思いますが、一体私どものどこにそのような称賛に値する徳があるというのでしょうか。これが、親鸞聖人にとって「救い」とは何であったかということを解く鍵になるだろうと思います。


 さきほどから申してきましたように正定聚という言葉が本来持っておった内容は、仏に成ることが決定している仲間ということでございます。仏に成ることが決定しているということは、その人自身がなんらかの形で仏と同質のさとりの智慧を内にもっているということがなければ、正定聚という名前をつけることができなかったはずでございます。
 親鸞聖人は、如来回向の信心は、慈悲であるといわれたと申しましたが、『正像末和讃』には、

 智慧の念仏うることは 法蔵願力のなせるなり
 信心の智慧なかりせば いかでか涅槃をさとらまし


といい、信心は人間の心に開けている心に違いありませんが、その本体は如来の智慧であるから、よく無上涅槃をさとる徳を持っているといわれていました。また「信文類」の信楽釈には、「この心はすなはち如来の大慈悲なるがゆゑに、かならず報土の正定の因となる」といって、仏心であるような信楽(信心)は、真実報土に往生する因であり、成仏の正因であると言われていました。
 親鸞聖人に依れば、信心は、本願の仰せを疑いなく聞き受けている「無疑の一心」でした。それなのに第十八願に信心を顕わすのに「至心、信楽、欲生」と三心をもって示されているのは、信心の徳を知らせるためであったといわれていました。もともと浄土に往生する因となるような心は如来と同質の智慧と慈悲の徳を持っていなければなりませんが、実は本願の三心は、無疑の一心にそのような智慧と慈悲の徳を具えていることを知らせるために三心と誓われたのであるといわれています。
 つまり如来のさとりの境界であるような無上涅槃の浄土に往生し、成仏することができるような信心は、凡夫が起こせるようなものではありません。そこで如来は大智大悲の徳をもった信心を完成して私どもに与えてくださっていることを私どもに知らせるために、第十八願には「至心、信楽、欲生」と誓われたのであると仰せられたのが「信文類」の三心釈、とくにその法義釈でした。すなわち如来は真実なる智慧心(至心)と大悲回向の心(欲生)を完成して、一切の衆生を、必ず救うと疑いなく決定(信楽)されています。その如来の決定摂取(必ず救う)の信楽(信心)を南無阿弥陀仏という言葉(本願招喚の勅命)として私どもに呼びかけておられるというのです。その「必ず浄土へ迎え取る」と仰せくださる本願のみ言葉を、疑いをまじえずに受け容れている有様を信心(信楽)というのです。その内容は「必ず浄土へ迎え取っていただく」と疑いなく聞き受けていることです。ですから衆生の信心は救いを告げる如来の仰せの外にはありません。これを如来より信心をたまわるというのです。しかもその信心(信楽)は、如来の智慧(至心)と慈悲(欲生)を本体としていますから、よく往生成仏の因となってくださるといわれるのです。
 本願を疑いなく聞き受ける身になっても、私どもは相変わらず愛憎の煩悩を具足している凡夫です。けれども、このように如来から頂いている信心の徳からいえば、大智大悲の仏心を往生成仏の因として頂戴しているのですから、初地以上の菩薩どころか、成仏の因を円満している弥勒菩薩のような等覚の菩薩と同じ徳を持っているといえるわけです。そして、何一つ決定的なことは知らないし、云えない凡夫ですが、浄土に往生して、仏にならせていただくことには疑いはなくなっています。親鸞聖人は、そのことを『尊号真像銘文』末に、

信心の珠をこころにえたる人は生死の闇にまどはざるゆゑに、「心照迷境」といふなり。信心の珠をもち愚痴の闇をはらひ、あきらかに照らすとなり。


といわれています。信心を得た人は、煩悩はあり続けるが、生死に迷うことはなくなったといえる身にしていただいているわけです。まさに「凡数の摂に非ず」というべき徳が与えられているわけです。
 それを親鸞聖人は「諸経和讃」に「信心よろこぶそのひとを 如来とひとしとときたまふ」とまで言われたのです。もっともここで注意しなければならないのは、「等しい」ということは「同じ」ということではないということです。等と同を同じ意味で使うことももちろんありますが、信心の行者を如来と「等し」といわれた時には、菩薩の最高の階位である「等覚」のことで、仏陀そのものを表す「妙覚」(正覚そのもの)のことではないのです。菩薩の最高位で、仏になるべき因が円満していて、次の生においてほとけになることに決定している菩薩の位を一生補処(菩薩としての一生が終われば、次の生で仏になることが決まっている菩薩)といい、弥勒菩薩がその典型であるとされていました。それゆえ信心の行者のことを『大経』には「次如弥勒(つぎなること弥勒の如し)」といわれているのです。この弥勒のような一生補処の菩薩は、仏因円満して「ほとんど仏と同じ」徳を持っているから等覚の菩薩(正覚者に等しい菩薩)と呼びます。今も如来の智慧と慈悲の徳を頂いて仏になる因徳が円満しているものは弥勒と同じ一生補処に位であり、等覚の菩薩と同じ位であるから、如来と等しい(等覚)といわれるのです。死ぬまで煩悩具足の凡夫ですから決して完成された徳をもつ仏陀ではありませんが、この一生を終われば、必ず仏陀になる徳を頂いているから、一生補処の菩薩であり、すなわち弥勒と同じ等覚の位につけしめられているいわれるのです。
 こうして私に如来の智慧と慈悲が届きますと、届いてくださった如来の智慧と慈悲が私を内側から導いてくださるようになります。それが如来の本願に呼び覚まされ、如来の智慧と慈悲に導かれるような人間にしていただいているということです。ですから信心の行者には、こうして尊い徳を頂戴していながら、煩悩具足の生活を送っている自分はまとこに恥ずかしいことであり、申し訳ないことであるという慚愧の心が起こってきます。今までは、ただ我欲の命ずるままに、自分に都合のいいことばかりを追求し、不幸は人に押しつけても自分だけは幸せになりたいと思って生きてきたが、それは貪欲の煩悩であったと知らされます。また自分に都合の悪いものを排除するは当たり前で、気に入らないものに腹を立て、憎み呪って何が悪い、わたしに腹を立てさせる人が悪いのがとばかり考えていましたが、それが瞋恚の煩悩であると気づかされます。こうした貪欲や瞋恚の根源に、自己中心の想念があって、何事も自分本位に考え行動することが諸悪の根源である愚痴(無明)の煩悩であるとうなずくようになってまいります。
 そのように自分を煩悩具足の凡夫であると認め、自己中心の想念に引きずられて起こすさまざまな悪を悪と認め、罪を罪と認めるようになったと言うことは、いままで当たり前であったことが当たり前でなくなったのですから、大変な変化が起こっているのです。いわば自分の中に革命が起きているのです。我欲や怒りや自分本位の考え方を、罪とし、悪とみなし、浅ましいこととうなずくようになったのは、如来の教えをまことと受け入れる信心が恵まれたからこそわかったことです。言い換えれば、信心となって私の上に届いた仏の智慧が知らせてくださったことがらでした。
 愛欲と憎悪を超えて、一切の衆生を一子のように、かけがえのない大切な「仏の子」とみそなわす如来の大悲の智慧を怨親平等のさとりといいます。怨み憎むものも、親しく愛するものも、私の自己中心的な想念の前に現れた幻想であって、まことは一人一人かけがえのない大切な「仏子」なのです。その尊さは、全く同じであると悟ることを怨親平等というのです。如来とは怨親平等のさとりを実現された方であり、浄土とは怨親平等の徳が実現している領域でした。
 仏陀の智慧と慈悲こそ真実であると知らされた念仏者は、怨親平等の領域こそ私どもが目指さなければならない領域であることを思い知らされます。それにつけても、自分の現実は、それに背いて愛憎の泥沼に足を取られそうになっていることに気付き、慚愧せずにおれません。しかし、阿弥陀仏の本願を聞き、正定聚の位に入れて頂いて怨親平等の浄土に向かって生きるという方向性を与えられていることの有難さを思うとき、少しでも如来の御心にかなうような生き方をしなければならないという思いが湧いてきます。そこに煩悩の真っ直中にありながらも、たえず本願に呼び覚まされて、如来、浄土を中心とした新しい精神の秩序が与えられてくるということがあります。


 親鸞聖人のお手紙の中に、念仏者の日常生活を厳しく誡められる文章があります。『親鸞聖人御消息』第二通(『註釈版聖典』七三九頁)の中の次のようなお言葉です。

 まづおのおのの、むかしは弥陀のちかひをもしらず、阿弥陀仏をも申さずおはしまし候ひしが、釈迦・弥陀の御方便にもよほされて、いま弥陀のちかひをもききはじめておはします身にて候ふなり。もとは無明の酒に酔ひて、貪欲・瞋恚・愚痴の三毒をのみ好みめしあうて候ひつるに、仏のちかひをききはじめしより、無明の酔ひもやうやうすこしづつさめ、三毒をもすこしづつ好まずして、阿弥陀仏の薬をつねに好みめす身となりておはしましあうて候ふぞかし。
 しかるになほ酔ひもさめやらぬに、かさねて酔ひをすすめ、毒も消えやらぬになほ毒をすすめられ候ふらんこそ、あさましく候へ。煩悩具足の身なればとて、こころにまかせて、身にもすまじきことをもゆるし、口にもいふまじきことをもゆるし、こころにもおもふまじきことをもゆるして、いかにもこころのままにてあるべしと申しあうて候ふらんこそ、かへすがへす不便におぼえ候へ。酔ひもさめぬさきになほ酒をすすめ、毒も消えやらぬに、いよいよ毒をすすめんがごとし。薬あり、毒を好めと候ふらんことは、あるべくも候はずとぞおぼえ候ふ。仏の御名をもきき念仏を申して、ひさしくなりておはしまさんひとびとは、後世のあしきことをいとふしるし、この身のあしきことをばいとひすてんとおぼしめすしるしも候ふべしとこそおぼえ候へ。


 そこには、本願を信じ念仏するようになった念仏者の内心には、大きな精神の転換が起こっており、日常の生活にもその影響が現れてくるありさまが見事に示されています。
 これは建長四年(一二五二)二月二十四日という日付が記されていますから、聖人八十歳のお手紙であることがわかります。そしてお手紙の最後には

この文をもつて鹿島・行方・南の荘、いづかたもこれにこころざしおはしまさんひとには、おなじ御こころによみきかせたまふべく候ふ。あなかしこ、あなかしこ。


といわれていますから、宛名は記されていませんが、常陸国の東南部の鹿島、行方、南の荘といった各地に散在する門徒中に宛てられた手紙であろうと思います。そのころ常陸地方(茨城県)の念仏者の中に、「如来さまは、どんな悪人であっても救ってくださるのだから、悪であれ罪であれ恐れることはなく、おもうおさまに生きればいいのだ」といい、「悪を慎み、念仏を相続せよと言うようなことをいう者は、自力の行者であって、往生はできない」などという邪見な教えを説いて人々を混乱させるものが現れたようです。それを誡められたお手紙の一節です。とくにこの手紙の中に、

浄土の教もしらぬ信見房などが申すことによりて、ひがざまにいよいよなりあはせたまひ候ふらんをきき候ふこそあさましく候へ。


という一節がありますから、「浄土の教えを正式に習ったこともない、信見房とかいう男が勧める邪見な教えを信じて、念仏者たちが心得違いをしているようだが、まことに浅ましいことである」と書かれているのから見ると、信見房というような怪しげな説教者に惑わされた人が多く出たようです。ともあれ先に引用した親鸞聖人のお手紙の一節を現代語に訳しておきましょう。

 「さてあなた方は、むかしは仏法を聞かれたこともなく、阿弥陀如来の本願のましますことも知らず、お念仏を申されることもなかった人々でしたが、今では、お釈迦さまと阿弥陀如来さまのお慈悲のお育てとお導きによって、今ようやく阿弥陀如来の大悲の本願を聞く身にしていただかれた方々です。
 もとは、まるで酒に酔っぱらって正体を失った人のように、正しい道理などを全く知らず、我欲と怒りと愚かさといった心の毒ばかりを好んで食べ、さまざまな罪悪を積み重ねて、身も心も瀕死の重病にかかっていました。それを如来さまのお恵みによって、本願の念仏という尊い薬を与えられたおかげで、酒の酔いがようやく少しずつ醒め始めたように、正しい道理に目覚めはじめ、三毒の煩悩も、少しずつ好まないようになり始め、阿弥陀如来さまのみ教えを聞くことを慶ぶような身にしていただき、南無阿弥陀仏と本願の薬をいただき、好んで称えるような身になっておられるのが今のあなた方の有様です。
 ところが、まだ酔いが醒めきっていない人に、さらに酒を勧め、毒がまだ消えていないにもかかわらず、さらに毒を勧めるような誤った教えを説いて人々を惑わし、苦しませていくようなことは、まことに浅ましいかぎりです。そんな誤った教えに騙されて、どうせ煩悩具足の身であるから煩悩を止めることなどできないといって、浅ましい煩悩の起こるがままに身をまかせて、してはならないことも平気で行い、言ってはならないことも平気で云い、心に思ってもいけないことを平気で思い、どのようにでも自分の心のままに振る舞えばいいのだと言うようなことを、口々におっしゃっているようですが、本当に恐ろしいことであり、心の痛むことです。
 まだ酔いが覚めてもいないものになお酒を勧めて酔い潰し、まだ毒の消えていないにもかかわらずさらに毒を勧めるような、決して許すことのできない行為です。薬があるから、毒を飲みなさいと勧めるようなことは決してしてはならないことです。自分で起こした煩悩の毒によって苦しみ悩んでいる煩悩具足の凡夫を哀れんで、なんとしてもその煩悩の泥沼からすくい上げようと、ご苦労くださった大悲の本願を聞き、念仏を申すようになって、月日の経っている人ならば、煩悩の恐ろしさ、浅ましさが身にしみてわかっているはずです。今生の悪業に引かれて本来ならば三悪道に堕ちていく筈であったと身震いするような思いで自分の後生を思い、三悪道の業因である煩悩の恐ろしさを思い知らされた人ならば、三悪道を厭い、煩悩を厭い捨てたいと思う心が起こる筈です。煩悩具足の身であることの浅ましさに気づいた人ならば、煩悩を起こし続ける自分を恥ずかしく、又悲しいことと知る筈です。そしてそのしるしとして、少しでも悪業を慎み、浅ましい煩悩にわが身をまかせることなく、如来の御心にまかせてつとめるべきです」

といわれているのです。ここから煩悩具足の凡夫の慚愧と報恩の生活が始まるのです。


 ところで、このお手紙の初めに、

かたがたよりの御こころざしのものども、数のままにたしかにたまはり候ふ。明教房ののぼられて候ふこと、ありがたきことに候ふ。かたがたの御こころざし、申しつくしがたく候ふ。明法御房の往生のこと、おどろきまうすべきにはあらねども、かへすがへすうれしく候ふ。鹿島・行方・奥郡、かやうの往生ねがはせたまふひとびとの、みなの御よろこびにて候ふ。


という文章があります。これによれば聖人のお弟子であった常陸の明教房が上洛してきて、親鸞聖人に対する門徒中からの懇志を届けると同時に、常陸の門弟達の近況を報告したことがわかります。
 そのなかに、明法房が往生の素懐をとげたことを告げていたようです。それをお聞きになって聖人は、「おどろきまうすべきにはあらねども、かへすがへすうれしく候ふ。鹿島・行方・奥郡、かやうの往生ねがはせたまふひとびとの、みなの御よろこびにて候ふ」といわれています。「明法房が最後まで心変わりすることなく、お念仏の中で、立派に往生を遂げられたと聞きましたが、今さら驚くべきことではありませんが、常陸中の、いや総ての往生を願う人々にとって、みんなの慶びです」といわれているわけですが、これは一体何事を語ろうとされていたのでしょうか。
 明法房という人物は、元は弁円といい、山伏の指導者だった人で、常陸の霊山、筑波山を中心として、大きな勢力(勧進圏)をもっていました。ところが親鸞聖人が常陸へお出でになり、多くの勧進聖(念仏聖)たちが親鸞聖人の徳を慕って弟子となり、その勢力が強くなるにつれて、いままで修験道(山伏の宗教)の信者だった人々が、続々と念仏者に転向し、信者が減っていきました。これは親鸞のせいであるというので、弟子たちを引き連れて聖人を暗殺しようと企てたのでした。
 聖人はそのころは笠間郡の稲田の草庵におられて、しばしば鹿島、行方の方面に教化に行かれていましたから、その途中の板敷山の山中で待ち伏せをしたそうです。しかし上の道で待ち伏せをしていると聖人は下の道を行かれるし、下の道で待ち伏せをしていると、聖人は上の道を行かれるというように、暗殺計画がどうしてもうまくいきませんでした。そこで彼は直接、稲田の草庵をたづね、聖人を暗殺しようとしたのでしたが、その時彼の訪れを聞いて、実に無造作に出てこられた聖人の姿を拝したとき、いっぺんに殺意を失い、聖人の弟子になったといわれる人でした。名前も明法房と名乗り、熱心に念仏のみ教えを学んだ人でした。しかしもともと修験道の指導者であって、現世祈祷を専門に行う修験者であったし、場合によっては聖人でさえも殺害しようとするほどの人物だったから、聖人が関東から京都へお帰りになって、聖人から離れるとどうなるか、一抹の不安も抱かれていたのでしょう。
 それが明教房の報告によると、最後までお念仏を慶び、見事に往生の素懐をとげていったと聞かされて、聖人は心から慶ばれたわけです。その頃の関東の宗教事情はまことに複雑でしたし、念仏者に対する為政者の風当たりは厳しいものがありました。そのうえ宗教的、世俗的さまざまな誘惑もあったに違いありません。そんな中で、強力な指導者である親鸞聖人と離れた彼が純粋な念仏者として生きていくのには、さまざまな問題があったはずです。それにもかかわらず彼が純粋な念仏者としての生涯を全うすることができたのは、偏に阿弥陀如来の摂取不捨の願力が、彼の真実信心を守りつづけてくださったからに違いありません。そのお陰で迫害にもたえ、さまざまな邪見の誘いも惑わされることなく、美しい念仏の行者としての生涯を送り、浄土へ迎え取って頂いたのだとお慶びになったのでしょう。
 同じ趣旨の『親鸞聖人御消息』第四通にも、明法房の往生に引きかけて、

明法房などの往生しておはしますも、もとは不可思議のひがことをおもひなんどしたるこころをもひるがへしなんどしてこそ候ひしか。われ往生すべければとて、すまじきことをもし、おもふまじきことをもおもひ、いふまじきことをもいひなどすることはあるべくも候はず。(中略)よくよくこの世のいとはしからず、身のわろきことをおもひしらぬにて候へば、念仏にこころざしもなく、仏の御ちかひにもこころざしのおはしまさぬにて候へば、念仏せさせたまふとも、その御こころざしにては順次の往生もかたくや候ふべからん。(『註釈版聖典』七四三頁)


と厳しく誡められていました。


 法然聖人は、念仏者は「煩悩を主とし、念仏を客とする」ような生き方をしてはならない、「念仏を主とし、煩悩を客として生きよ」と言われていました。煩悩が主人公になって念仏を客とするような生き方は、煩悩を満足するために、如来さまや念仏を利用しようとしている極めて利己的な生き方でして、まさに迷いの生活そのものになってしまうからです。それに引き替え、煩悩の現実を離れることのできない浅ましい凡夫だからこそ、わが心にまかせることなく、常に如来さまを、念仏を心の主として、如来さまに導かれるように心がけなければならないと言われたのでした。
 それを承けて蓮如上人は、『御一代記聞書』の中に、

仏法をあるじとし、世間を客人とせよといへり。仏法のうへよりは、世間のことは時にしたがひあひはたらくべきことなりと[云々]。


と仰せられました。上人の人生観の基本を述べられたものです。仏法とは阿弥陀仏の本願を信じて念仏し、生死を超え、愛と憎しみを超えた浄土を目指して生きることでした。それに対して世間とは、名誉欲と財欲に振り回されながら生きる私どもの世俗の日常生活を意味していました。ここでは真理についての無知と、愛欲と憎悪が支配しています。
 蓮如上人は、この仏法と世間とに主客を立てられたわけです。仏法を主人とし、世間を客人とするということは、仏法を中心として世俗を生きなさいといわれているのです。それは世俗の日常生活を、念仏の縁として生きることであるともいえましょうし、この世を仏法の真実を確かめる道場とみなして生きることであるともいえましょう。それは念仏のなかに営まれる真摯な生活を意味していました。
 その反対は、世間を主人とし、仏法を客人とみなすような生き方です。この世をうまく生きるための手段として仏法を利用しようとするものです。仏法を主とし、世間を客とみなす生き方は、世間を仏法化していきますが、世間を主とし、仏法を客とするような生き方は仏法を世俗化してしまいます。世俗化した仏教に世俗を救う力はありません。ただ世俗に追随するだけの仏法になってしまいましょう。親鸞聖人が現生で正定聚を語り、現生における阿弥陀仏の救いを強調されたことは、そのような念仏を中心にした新しい精神の秩序の成立を告げる教説だったのではないでしょうか。
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