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21世紀の浄土真宗を考える会2010年06月02日

2010/06/02(水)
村上速水師の本を読みました。
今後の指針となるような文がありましたので、書きとめておきます。

『親鸞読本』(村上速水著 百華苑刊 昭和43年)
一二 弟子一人ももたず
<親鸞の伝道方式>
 ところで彼の伝道の方式はどのようなものであったであろうか。彼の伝道は、地方の小堂や、あるいは民家を改造した程度の場所で行われた。またその布教の様式は、いわゆる談合という形で行われた。一見、平凡に見えるこの伝道布教の様式は、しかし、寺院という場所において、唱導という形式で行われた当時の伝道方式に対して、注意されなければならない。

 というのは、当時の寺院は特権階級の人々によって建立されたものが多く、貴族の手によって建てられた寺院の如きは、別荘の感を呈して特定の人に独占され、一般の民衆には閉ざされたものだったからである。そういう事情を思いあわせるならば、親鸞が寺を建てなかったということは、経済的な理由もあったかもしれないが、それ以上に重要な理由として、彼の非僧非俗の精神の現われとして理解されるのである。なぜならば、弥陀の本願はある特定の人に独占されるべきものではなく、広く一般大衆に宣布されなければならぬというのが、彼の本願に対する信仰であったと考えられるからである。

 のみならず、法然と弟子信空との次の問答を想起するならば、親鸞のこの伝道方式の中には、法然の精神が如実に継承されていることをよみとることができるように思われる。

 法蓮坊信空問う
  古来の先徳みなその遺蹟あり。しかるにいま精舎一宇も建立なし。
  御入滅の後、いづくをもてか御遺蹟とすべきや。
 上人(法然)答えていう
  あとを、一廟にとどむれば、遺法あまねからず。
  予が遺蹟は、諸州に遍満すべし。
  ゆへいかんとなれば、念仏の興行は愚老一期の勧化なり。
  されば念仏を修せんところは、貴賤を論ぜず、
  海人魚人がとまやまでも、みなこれ予が遺跡なるべし
(近藤註:「いとー日記」に説明がありますので、「いとー日記」のここも読んで下さい。いとーさん、勝手に借りますよ)

その長い生涯に一箇の寺院も建立しなかった親鸞の心情も、これと同じものがあったにちがいない。

 ところでこのことは、彼の布教が談合という形で行われたこととも無関係ではない。唱導という形をとらず、民衆とともに親しく仏法を語り合ったところに、彼の宗教の庶民性が見出される。いいかえれば、彼は伝道者、教化者としてではなく。同朋同行として民衆と接したのであった。
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タグ : 村上速水

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