以下、『親鸞教義とその背景』(村上速水著 永田文昌堂刊 昭和62年)からです。
第二節 七祖の教え
序 七祖の選定
七祖選定の基準
(略)
七祖の著作
(略)
七祖の発揮
(途中まで略)
また、昔の学者の講録などには、「終吉」という言葉が出てくることがありますが、これは善導大師と源空上人との教義が非常に類似しているところから、「終南」と「吉水」とを一連にして、簡略に呼んだものであります。
曇鸞大師と善導大師の地位
以上、七祖に関する全体的な、そして基本的な事柄について述べてきましたが、次に親鸞教義における七祖の教学の位置づけを考えてみたいと思います。私の率直な気持ちを申しますと、親鸞教義の骨格を形成するものは、曇鸞大師と善導大師の教義であるといってよいと思います。このことは『高僧和讃』において、曇鸞大師を讃えられる和讃は三十四首あって最も多く、次いで善導大師の二十六首であることに端的にあらわれていると思いますが、殊に『教行信証』において重要な解釈のところには、必ずといってよいほど曇鸞大師の『往生論註』、善導大師の『観経疏』が引用されているという事実、またその引用の回数が多いことによって論証することができると思います。
『教行信証』は親鸞聖人における仏教概論であるといってもよい書物ですから、全体にわたって大乗仏教の原理が説き述べられています。しかもその原理を踏まえて、他宗とちがった浄土真宗独自の教義が説かれています。このように見る時、親鸞聖人は、仏教の原理的な面は主として曇鸞大師の『往生論註』によって説かれ、真宗独自の実践的な面を述べられるところは、善導大師の『観経疏』によっておられるといってもよいと思います。もしこれを喩えるならば、『往生論註』という縦糸と、『観経疏』という横糸とで織りなされた一反の織物が、『教行信証』であるということができましょう。そういう意味で、今後さらに親鸞教義を深く研究される場合には、『往生論註』と『観経疏』との研究が、特に重要であることを心得ていただいたらと思います。