あいつは「浄土真宗」を掲げながら、本や映画やドラマの話しかしないのかと思っていた人も、少なからずおられたようなので、少し書きました。(もちろん今後も書きますけど)
ただ、以前の記事にも書きましたように、浄土真宗の教えについては、個別にお話したいと思いますので、もしご質問などありましたら、電話・メール・スカイプなど何でも結構ですから、ご連絡下さい。実名であろうが、匿名であろうがかまいません。
昨日の記事でも、種々のご意見が飛び交ったようです。
短い会話文で表現したために、説明不足になったことは反省しておりますが、あれはあの通りです。
蓮如上人が「たのむ一念のところ肝要なり」とおっしゃった「一念」であり、真宗学でも古来問題になってきた論題ですので、論文ならいざ知らず、このようなブログで簡単に説明することは困難です。
その点、ご理解下さいますよう、お願い致します。
人の心をみつめつづける事って大事なことだと思いまし
た。このブログには、そういう温かさを感じます。。
言葉は、人と人をつなぐ命です。
大事にしたいと・・
過去において、多くの傷つく言葉を聞き、泣いてきました。
そして分からない所で、きっと多くの人を言葉で傷つけた
こともあるのだと思います。生きていると人は必ず誰かを
傷つけていますよね。過去を悔やんでも取り返せない、
今からでも、努力はいくらでもできるから。
排除の言葉を使われたら誰だって悲しいでしょう、「あっちへいけ!」「口をきくな」「迷惑だ」・・・子どものころから考え
ると、どれだけの事を言って、言われてきたか、わからない。けれども、人が人に排除の言葉を使うときって、とても心がすさんでいるように思います。そういう言葉を連発していると、周りがかなしくなります。浄土真宗と関係ないじゃないか!と言われるかもしれませんが、そうでしょうか・・私は学者ではないので難しいことはわかりません・・・だけど、人の心を見つめることは、とても大事だと思います。。誰だって初めは未熟ではありませんか・・だけど、人の心の大事なものって、あるんじゃないのかな?それを抜きにして、人は悪しかつくれないんだ、とか、そんなふうに思ってしまっては、どこか違うんじゃないのかな?・・・このごろ
そんな事をよく思います。。
これは、すごいですね。同じ仮面でも、仮面ライダーみたいな完全懲悪ものばかりなのに。
親鸞聖人の教えを学ぶ者の精神ですね。
なぜ近藤さんが、閑話休題的内容をBlogにアップされるのか、よくわかりました。
多くの人に伝えていくにはこういう言葉使いが必要なんだと思います。
> 私:はい、信心決定しましたよ。
> Y:いつしたの?
> 私:はぁぁぁぁぁ?今何を聞かれたんですかぁ?
> 何を聞いたか分ってるんですかぁ?
> 親鸞聖人や蓮如上人もそんなことどこにも
> おっしゃっていないでしょ。
> そういうことを聞きたがるのを迷っているって
> 言うんですよ。
> 難しく言うと、一念覚知の異安心って言うん
> です。
この「私」はなぜこのような返答をしているのでしょうか?
いつ信心決定したのかが分からないということよりは、
それを聞きたいという心を問題にしているのだと思われます。
いつなのかが分かれば、次にそれはどういうとき何があって何をしていたとき
ということが気になります。そしてそれを真似してみたくなる。
それは自力で迷っていると。
ですが、これだけを読んでも分からないのではと思います。
私は近藤さんを信頼していますので書きますが、
この言い方だといい印象を受けませんし、疑問を起こさせる書き方でもないように思います。
質問してくる人もなく陰口を言われるだけなのではないでしょうか?
あと「おっしゃっていない」というのを知ることは相当困難なことと思います。
私が質問しているのでした。すみません。ご回答よろしくお願いします。
p.s. 記事の文字をもう少し大きめにしていただけるとありがたいです。
たしかに、人間を語るときには、その姿は厳然と厳しいものだと思った。
だからといって、人間は真価の問われるときがあると思う。それは、何事も無く平和なとき、または余裕があるときには、多少の問題も苦にはならない。
ところが、そういう時の姿はえてしてあてにならず、本当にその人が見えるときというのは、窮地に立たされたときではないだろうか。
窮地に立たされて、初めてその人の真価がみえる気がした。窮地で、どこまで他人様を売るようなことをせず、保身に走らないか、これは大変なことだと思う。
都合が悪くなると、「迷惑だ」という発言は、何人もの人がいろんな場所で、聞いているだろう、と思う。
これが浄土真宗の覚悟を持ったという人の発言なのだろうか?と、期待した分、残念に思う事件が数年前も、今もあるようだ。そんな話を近藤さんにしたが、ただ、おだやかに笑っておられただけだった。
夜おそくすし屋で、一杯やりながらの東京での出来事だった。かなりの複数の人が、そのことで、自責にかられていた。宗教家が、人をそのように悩ませていることが、果たしていいのだろうか、とも思ったが、「まあまあ、もっと大局に立って、俺に失うものはないんだから、明日にでも死ねる僕にそれ以上の無くすものはないから」と、言って、また杯を遠くをみながら、酌み交わす。さんざん、根も葉もない事を言われながら、反論もせず、「ああ、なんでもそうだ、動いた方が負けるんだ・・剣道でも動きを先にとったほうが、負ける」・・・ただそんな漠然とした話をされる。橋の下の乞食になっても、と言われたのは、あながちはったりではなかったのだ。久しぶりに、いい酒を飲ませてもらった。何十年も離れていたのに、ついこの間、一緒にいたような気持ちになった。ありがとうの、手に自然に力が入ってしまった。
はじめまして
コメント有難うございます。
このFC2ブログでは、字の大きさは3種類で、普段は「小」
ですが、「中」にすると、現在の元の記事「ちょっと一休み」の中央部分の大きさになってしまいます。
ブラウザで字の大きさを調整していただけませんでしょうか。
お手数をおかけしますが、よろしくお願いします。
ご質問の件については、その字を少し大きくした文章をお読み下さい。
重ねてご理解のほどよろしくお願いします。、