歴史ブーム

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2009/09/11(金)
昨日(9月10日)の朝、NHKのニュースを見ていました。
(いつもNHKばかり見ているようですが・・・その通りです。ちゃんと受信料は払っていますよ。)
ニュースの後に特集・トピックとして、
・神社仏閣が乗っ取られる(暴力団に狙われている宗教法人)
・歴女ブーム
の話題が取り上げられていました。

そこで今日は2番目の歴女(というか歴史)の話です。
歴女とは歴史好きの女性のことをいうそうですが、他に歴ドルという言葉もあります。
私も歴史は好きで、中学高校時代に、中央公論社の『世界の歴史』『日本の歴史』を何度も読みました。
さて、その番組の途中に歴史雑誌がアップで映されたのですが、それがこれです。
歴史街道 立花宗茂
PHP研究所の『歴史街道』9月号で、8月初めに発行されています。
なんか、自分の持っているものがテレビに映るとうれしくなりますね。
(済みません。「ゐなかのひと」なもので・・・。ゐなか度自慢ではちょっとやそっとでは負けません。)
実は私は定期的にこの雑誌を買っているのではなく、「総力特集 立花宗茂」に魅かれて買いました。
(決して、「特集 怨念、愛憎、人柱… お城に伝わる怖い話」に魅かれて買ったのではありません。念のため。)
立花宗茂については以前から知っていましたが、メジャーな人ではないので、雑誌に取り上げられることも少なかったように思います。
戦国武将の中で私が好きな人は、立花宗茂と大谷吉継です。
大谷吉継は関ヶ原の戦いで西軍につき戦死します。
一方、立花宗茂も関ヶ原の戦いで西軍につきました。特筆すべき点は、敗軍の将として領地を没収されながらも、後に大名として元の領地に戻った唯一の武将だということです。
個人的には、大河ドラマで是非「立花宗茂」をやってもらいたいと思っております。

さて、この雑誌の「表紙のことば」に漫画家の黒鉄ヒロシ氏が原稿を寄せていますので、紹介しましょう。

その合理、鎮西一     黒鉄ヒロシ
「その剛勇、鎮西一」と秀吉が誉めた立花宗茂の
戦上手の面は、優れた予測能力と胆力と片付けて、
次なる「その忠義、鎮西一」に眼を向ける。
東軍有利と知りながらも、亡き秀吉への恩義から
西軍についた宗茂の信義。
ところが大坂の陣では一転、徳川方につく。
すわ、信義の人の変節との声に宗茂曰く
「秀吉への恩は関ヶ原で返し、領土も没収となった以上、
借りはない。今の封地は家康に貰ったものだから、
徳川の恩に報いて大坂に参陣するは当然」
信義の人に、合理の人が加わる。
戦乱の世にあっては信義一本やりでは
命が一つでは足りない。
愚直と思えるほどに部分部分では筋を通す。
竹に似ている。
遠目にはまっ直ぐに伸びた信義の一本に見えるが、
節と節とは合理でつないである。
敵味方が認めたという宗茂の信義より、
これを支えた合理の方に注視してこそ、
現代人には「立花」を「りっぱな」と読めるようである。


黒鉄ヒロシ氏に賛同するとかしないとかいうことではありません。
ただ、織田信長や豊臣秀吉や徳川家康、武田信玄や上杉謙信や毛利元就や伊達正宗以外にも、すぐれた武将はいたということなのです。

「竹」と言えば、昨日のNHKのローカル・ニュースでは「駿河竹千筋細工」の話題も取り上げていました。
 まっすぐだけど、しなりやすい。
 まっすぐだけど、節がある。
 かたいけど、温かい。
竹っていいものだと思いました。

なお、立花氏は元々は守護大名・戦国大名であった大友氏の家臣です。
大友氏の幕下には筑後十五城と言われる15の大名クラスの国人(領主)がいました。
その筆頭が蒲池氏です。
蒲池氏と立花氏とは深いつながりがあります。
蒲池と言えば、松田聖子の本名は蒲池法子、亡くなったZARDの坂井泉水の本名は蒲池幸子ですが、戦国武将と関係あるかどうかは知りません。
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