歎異抄第4章を読む その7 善鸞事件について

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2009/09/11(金)
歎異抄第4章と善鸞事件がどのように関係あるかは分かりません。
しかし、

今生に、いかにいとほし不便とおもふとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし。

には親鸞聖人の善鸞事件にからむ、何とも言えないお気持ちが込められているように感じます。

小慈小悲もなき身にて
有情利益はおもふまじ
如来の願船いまさずは
苦海をいかでかわたるべき
(悲歎述懐和讃 註釈版聖典617頁)

の御和讃も善鸞事件の後に造られたものと思われますが、人間の慈悲の限界を知らされ、阿弥陀仏の本願力に乗ずるより救われる道のないことを詠っておられるのです。
そこには「俺が人々を救ってやるんだ」などという傲慢さは微塵もありません。
ただ、阿弥陀仏の本願を信じ、念仏を申すことが、本当の慈悲なのだと教えられたのです。
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