無碍といふこと

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2009/09/21(月)
以前、「法界身」について書きましたが、難しいというご指摘を頂きました。
また、歎異抄についてこれまで若干述べましたが、まだ書き残したこともありますので、合わせて少しずつ勉強したいと思います。

まず、歎異抄第7章の無碍の一道を知るために、心得ておくべきお聖教のご文、関連するご文を一つずつあげます。
今回は、曇鸞大師の往生論註の言葉の訓読みと現代語訳です。

〈菩薩はかくのごとき五門の行を修して、自利利他して、速やかに阿耨多羅三藐三菩提を成就することを得たまへるがゆゑに〉と。
仏の所得の法を、名づけて阿耨多羅三藐三菩提とす。
この菩提を得たまへるをもつてのゆゑに、名づけて仏とす。
いま〈速得阿耨多羅三藐三菩提〉といへるは、これはやく仏になることを得たまへるなり。
〈阿〉をば無に名づく、
〈耨多羅〉をば上に名づく、
〈三藐〉をば正に名づく、
〈三〉をば遍に名づく
〈菩提〉をば道に名づく、
統ねてこれを訳して、名づけて無上正遍道とす。
無上は、いふこころは、この道、理を窮め、性を尽すこと、さらに過ぎたるひとなけん。
なにをもつてかこれをいはば、正をもつてのゆゑに。正は聖智なり。法相のごとくして知るがゆゑに、称して正智とす。法性は相なきゆゑに聖智無知なり。
遍に二種あり。
一つには聖心、あまねく一切の法を知ろしめす。
二つには法身、あまねく法界に満てり。
もしは身、もしは心、遍せざることなきなり。
道は無碍道なり。『経』(華厳経)にいはく、〈十方の無碍人、一道より生死を出でたまへり〉と。〈一道〉は、一無碍道なり。無碍は、いはく、生死すなはちこれ涅槃なりと知るなり。かくのごときらの入不二の法門は無碍の相なり。
(教行信証行巻 曇鸞大師・往生論註の引用 注釈版聖典191-192頁)


《註釈版の脚注》
理を窮め性を尽す
 自然の理法や人間の本性を知り尽すこと。もと『易経』の説卦に出る。ここでは真如法性の理をきわめ尽すという意。
法相のごとく
 存在のありのままのすがたにかなって。
聖心
 仏のさとりの心。
無碍人
 生死即涅槃、煩悩即菩提という無礙の智を得た諸仏のこと。
入不二の法門
 生死即涅槃、煩悩即菩提という諸法不二をさとる法門。

《註釈版の巻末註》
五念門
 阿弥陀仏の浄土に往生するための行として、天親菩薩の『浄土論』に示された五種の行。
①礼拝門。身に阿弥陀仏を礼拝すること。
②讃嘆門。光明と名号のいわれを信じ、口に仏名を称えて阿弥陀仏の功徳をたたえること。
③作願門。一心に専ら阿弥陀仏の浄土に生れたいと願うこと。
④観察門。阿弥陀仏・菩薩の姿、浄土の荘厳を思いうかべること。
⑤回向門。自己の功徳をすべての衆生にふりむけてともに浄土に往生したいと願うこと。またこの五念門行を修する結果として得られる徳を五種の功徳(五功徳門・五果門)として示す。
 親鸞聖人は曇鸞大師の『論註』を通して、これら五種の行が、すべて法蔵菩薩所修の功徳として名号に具わって衆生に回向されると説く。

【現代語訳】

次に、〈法蔵菩薩はこのように五念門の行を修めて自利利他を完成し、速やかに阿耨多羅三藐三菩提の成就を得られたからである〉とある。仏の得られたさとりを阿耨多羅三藐三菩提という。このさとりを得られたから仏というのである。いま〈速やかに阿耨多羅三藐三菩提を得られた〉といっているのは、法蔵菩薩が速やかに阿弥陀仏になられたことをいう。
〈阿〉は無と訳し、
〈耨多羅〉は上と訳し、
〈三藐〉は正と訳し、
〈三〉は遍と訳し、
〈菩提〉は道と訳す。
まとめてこれを訳すと無上正遍道という。
〈無上〉とは、この道がすべてのものの真理や本性をきわめ尽していて、これを超えるものはいないことを意味する。
なぜそのようにいうかというと、〈正〉だからである。〈正〉というのはさとりの智慧である。すべてをありのままに知るから正しい智慧という。すべてのものの本性は定まった相がないから、これをさとる智慧も、分別を離れた智慧である。。
〈遍〉の意味に二種がある。
一つには、仏のさとりの心が広くすべての法を知り尽くしていることであり、
二つには、さとりの身が広くすべての世界に満ちわたっていることである。
仏は身も心も行きわたらないところがないのである。
〈道〉とは、無礙道である。『華厳経』に〈すべての世界の無礙人である仏がたは、ただ一つの道によって迷いを出られた〉と説かれている。〈ただ一つの道〉とは、ただ一つの無礙の道のことである。〈無礙〉とは、迷いとさとりとが本来別のものではないとさとることである。このように諸法不二の相をさとることが無礙の相である。


《現代語版の脚注》
阿耨多羅三藐三菩提
 梵語アヌッタラ・サムヤック・サンボーディの音写。この上ない仏のさとりのこと。
分別
 はからい。わけへだてをする心。
諸法不二
 すべての存在の本性が、あらゆる差別の相を超えて絶対の一であること。
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