不可解な言葉に関する考察 その3「観音菩薩の臨終説法」

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2009/10/19(月)
親鸞会では
「まじめに仏法を求めている人には臨終に観音菩薩の臨終説法があると言われているから、たとえ交通事故で即死であっても、きっと極楽浄土へ往生しているだろう」
と信じている人がいます。
この「観音菩薩の臨終説法」とは何なのか、お聖教のご文を聞いたことがないのですが、観無量寿経の下品下生段のことを指しているのでしょうか。
ただこの場合は、臨終のことではなくて十二大劫を経て蓮華が開いた時に観音菩薩と勢至菩薩が諸法実相・罪を除滅するの法を説くとありますので、臨終説法ではありません。
いまだに不可解です。

【下品下生段】
 仏、阿難および韋提希に告げたまはく、「下品下生といふは、あるいは衆生ありて不善業たる五逆・十悪を作り、もろもろの不善を具せん。かくのごときの愚人、悪業をもつてのゆゑに悪道に堕し、多劫を経歴して苦を受くること窮まりなかるべし。かくのごときの愚人、命終らんとするときに臨みて、善知識の種々に安慰して、ために妙法を説き、教へて念仏せしむるに遇はん。この人、苦に逼められて念仏するに遑あらず。善友、告げていはく、〈なんぢもし念ずるあたはずは、まさに無量寿仏〔の名〕を称すべし〉と。かくのごとく心を至して、声をして絶えざらしめて、十念を具足して南無阿弥陀仏と称せしむ。仏名を称するがゆゑに、念々のなかにおいて八十億劫の生死の罪を除く。
命終るとき金蓮華を見るに、なほ日輪のごとくしてその人の前に住せん。一念のあひだのごとくにすなはち極楽世界に往生することを得。蓮華のなかにして十二大劫を満てて、蓮華まさに開く。観世音・大勢至、大悲の音声をもつて、それがために広く諸法実相・罪を除滅するの法を説く。聞きをはりて歓喜し、時に応じてすなはち菩提の心を発さん。これを下品下生のものと名づく。これを下輩生想と名づけ、第十六の観と名づく」と
註釈版聖典115頁 現代語訳はここ
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