それは、昔、鮮妙和上さんがある所でお手洗いにゆこうと思って、その入口の戸を右に引いても左に引いても開かないので、こまっていられました。幸い主人が来たから、戸が開かぬと申されたら、むこうに開く戸ですから、おいでなさればひとりでに開くと申しますから、その言う通りにされたら何の事もなく通れたということであります。
自分の計らいを、右に引いたり、左に引いたり、こちらへ引っ張ったりしておれば、難中の難これにすぎたるはなしであります。そのまま来いよのお言葉に従うて、はいと従えば、どうして戸が開いたやら、どこで疑いが晴れたやら、往生一定、たしかな信心の戸が開いて、何の様もなく参れる。ささいなたとえでありますが、和上さんの身にふかく感じられたということであります。