http://www.shinrankai.or.jp/b/gendai/20091020zougyou.htm
私が、10日ほど前に“顕正新聞を読んで”で指摘した論説です。
「阿弥陀仏の本願」と「自力」とが完全に分離した内容だということがお分かりになると思います。
この理屈だと、比叡山で修行をしていても「雑行が出てくる」ことになるのですが、そういうことが全く分かっていないのがこの文章を書いた人です。
親鸞会がもはや浄土真宗でないことがよく分かる文章です。
こんな程度のことも間違いだと指摘できる空気でないということですね。
「○○は死ななきゃ直らない」ですね。
「顕正新聞を読んで」とこのブログにあることが親鸞会の教えで救われない理由と感じます。真宗の教えに似せたもの。救われていないものが教えを説く悲劇と害悪。
○○は死ななきゃ治らない。
○○は死んでもなおらない。
○○につける薬はない。