問 神に仕えた者の恐ろしい結果を教えられた経文を書け。
答 一度、神を拝んだ者は、五百生の蛇身を受け、現世に福報は更に来たらずして、後生は必ず三悪道に堕す。
の「経典」とは何か?
参照した文そのものは、たぶん、『諸神本懐集』(存覚上人)からだと思われます。
『諸神本懐集』はそれほどあつくない本で、
最初の方に
と書かれ、続いてそれぞれについて述べられています。第一には、権社の霊神をあかして、本地の利生を尊ぶべきことを教へ、
第二には、実社の邪神をあかして、承事の思ひを止むべきこと旨を勧め、
第三には、諸神の本懐をあかして、仏法を行じ、念仏を修すべき思ひを知らしめんと思ふ。
問題のところは、
「第二 実社の邪神」についての記述の中に
(中略)とあります。
されば優婆夷経には、「一瞻一礼諸神祇、正受蛇身五百度、現世福報更不来、後生必堕三悪道」といへり。この文のこころは、もろもろの神をひとたびも見、ひとたびも礼すれば、まさしく蛇身を受くること五百度、現世の福報はさらに来たらず、後生には必ず三悪道に堕つとなり。
(中略)
神明にうけつかうるもの、この報をうく。如何が、捨てて、弥陀を念じ奉らざらんとなり。まことに現世の福報はきたらずして、かえりて災難を与えん。実社の神に仕えて、一分もその要あるべからず。ひとえに弥陀一仏に付き添いてまもりたまうべきが故に、もろもろの災禍も除こり、一々の願いも満つべきなり。権社の神はよろこびて擁護したまうべし。本地の悲願にかなうがゆえなり。実社の神はおそれて悩まさず(近づかず)。諸々の悪鬼神ををして、たよりをえしめざるがゆえなり。
本の最後には
と結ばれています。ただねんごろに後生菩提を願ひて、一向に弥陀の名号を称すべきものなり。
さて、問題の出典は『諸神本懐集』では『優婆夷経』とありますが、『日本思想大系19』の頭注では「未詳」とあり、現在の大正大蔵経にはありません。
現在までに散逸した経典なのか、あるいは偽経なのか分かりません。
大正大蔵経の中では、上記の文はありません。
ということで迷宮入りでございます。
内容については浄土真宗の神祇観の問題です。
ここでは取り上げません。
ただ、上の引用を読まれたら、存覚上人が「実社の神」について述べられていることだけは分かると思います。
「都合のいい時の存覚上人だのみ」という感じがします。
親鸞会にとって存覚上人は便利な人なんでしょうか。
都合が悪くなったらポイですけどね。
なお、同じ文が『源平盛衰記』では「或文に云」として出ています。
(これはインターネットで検索すると分かります)
引用している書物は他にもありますので、巷間では伝えられていたのでしょう。
それにしても、素朴な疑問ですが「一切衆生 無間地獄」と「五百生の蛇身を受ける」こととはどういう関係にあるのでしょうか。
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