「ゼロの焦点」から「求道の焦点」へ

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2009/01/29(木)
3日間を京都で過ごした後、一旦、富山に戻り、28日には石川県金沢に行って来ました。
金沢には4年ほど暮らしたことがあり、懐かしく思いました。
(文章がワンパターン化しております。すみません。)

5日間の旅を終えて、29日の朝、東京に帰ってまいりました。

金沢で思い出すのが松本清張の「ゼロの焦点」です。
(思い出すのは私だけかもしれませんが…)
松本清張の初期の長編推理小説で、私は中学校の頃に読んだ記憶があります。
水上勉の「飢餓海峡」や同じ松本清張の「砂の器」などと同じように、隠しておきたい過去を知る人が突然目の間に現れたことによる殺人事件の話です。

それはさておき
今日は「ゼロの焦点」そのもののお話ではありません。
最近いろいろな方とお話しする機会がありますが、長年仏法を聞いておられても「焦点」が定まっていない人が多いように感じます。
「メンバーその1」さんはマクロ的な「切り口」を考え、寄稿してくださっていますが、これまでお会いした何人かの方には、求道・求信の「切り口」「角度」を変え、これまで聞いてきたことを「整理」して、「焦点」を定めることをお話ししています。
このブログでの短い文章ではなかなか理解して頂けないかもしれませんが、皆様におすすめします。
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この記事へのコメント
こんばんは。いつも有り難うございます。
ここにあります「焦点を定める」とはどのようなことでしょうか?
2009/04/20(月) 22:44 | URL | こもれび #-[ 編集]
こもれび様

まず整理しましょう。
「本願」・「名号」
「逆謗の屍」
「雑行、自力」
この3つ(あるいは4つ)の関係を知って下さい。

・誰の為の本願か
・阿弥陀仏はどうやって私を救おうとされているのか。
・阿弥陀仏に救われるとはどういうことか。(御文章の聖人一流章や信心獲得章を読んで下さい)
・救われる前と救われた後は、何が変わって何が変わらないのか。

この最後の文章が焦点を示しているのです。

2009/04/21(火) 12:18 | URL | 近藤智史 #-[ 編集]
近藤先生

お忙しい中、どうも有り難うございました。

またこの内容について、質問させて頂きたいと思いますので、毎度申し訳ありませんが、宜しくお願い致します。
2009/04/22(水) 07:05 | URL | こもれび #-[ 編集]
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