顕正新聞を読んで④ その1

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2009/11/01(日)
親鸞会発行の顕正新聞(平成21年11月1日号)の論説は「自力とは何か」と題するものです。いずれ親鸞会の公式HPにあげられるかもしれませんが、まだ見られない人もいるでしょうから、全文を書いてから論評します。
便宜上、ある程度のところで区切って番号をつけます。
強調(1箇所)は、元々のものです。
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 ある新興宗教の者が、こんなことを言っていた。
「うちの先祖は真宗だが寺では他力だからとあまり掃除もしない。こっちの宗教は、掃除、身の回りや身だしなみをきれいにして、徳を積むことを教えている。だから真宗からこっちに変えた」
 何と情けない話だろう。親鸞聖人の教えは他力だからと善の勧めを疎かにし、掃除さえもろくにしない寺が、門徒に愛想を尽かされて新興宗教へ迷っているのだ。


 親鸞聖人のみ教えは「捨自帰他」(自力を捨てて他力に帰せよ)以外にない。「自力を捨てよ、捨てようとする心も自力だから捨てよ」と徹底して厳しいのは、自力を捨てなければ、阿弥陀仏の本願力(他力)に帰することは絶対不可能だからである。


 現今の浄土真宗は、捨てよと教えられるこの自力を、努力する行為そのものと誤解しているから、「親鸞聖人に善の勧めはない」「自力は捨て物ではないか」「頭燃を灸うが如く努めてみても、雑毒雑修の善ではないか」「そんな善を勧める必要がどこにある」「善を勧めるのは大間違いだ」と、やりたい放題、したい放題、言いたい放題。外道よりもあさましい生きざまをさらしてきたから、親鸞聖人の教えは悪人製造の宗教だとそしられ、冒頭のような惨状にまで至らしめたのである。
 無気力で、消極的、退嬰的な「善を勧めぬ浄土真宗」は、かくて崩壊の一途を驀進しているのだが、当人たちは一向にその真因が分からず目が覚めない。捨てなければ助からぬ自力とは何か、まったく分かっていないところにあるのである。


 自力とは、「後生助かろうとする心」をいうのだ。だから「自力を捨てよ」とは、「善を捨てよ」「善をするな」ということでは絶対なく、「善で後生助かろうとする心を捨てよ」、ということである。


 因果の道理は宇宙の真理、善因善果、悪因悪果、自因自果は、仏さまでも曲げることはできない。


 もし、人間の努力そのものが自力なら、自力が廃って他力に帰すれば、全く努力しない人間になることになる。そんな馬鹿なことがどうして考えられよう。


 親鸞聖人の救われてからの大活躍を見よ。
 世界の名著『教行信証』のご執筆は、一切経を何度も読破する努力なくしてありえただろうか。法友との三大諍論も、弥陀の救いを明らかにするための聖人の決死の精進努力の表れではないか。
 信行両座の諍論で、同じく信の座に入った法友で親鸞聖人と比較できる人があるだろうか。聖人の努力は際立っておられる。


「自力を捨てよ」は「努力するな」「善を捨てよ」ということでは絶対なく、「それで後生助かろうとする心を捨てよ」ということなのである。
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以上です。

まとめますと、
①新興宗教の人の自力・他力の誤解
②親鸞聖人のみ教えは「捨自帰他」である。自力を捨てなければ他力に帰することは絶対不可能である。
③現今の浄土真宗は、自力を「努力する行為」と誤解している。
④自力とは「後生助かろうとする心」である。自力を捨てよとは「善で後生助かろうとする心を捨てよ」である。
⑤因果の道理は宇宙の真理、善因善果、悪因悪果、自因自果は、仏さまでも曲げることはできない。
⑥自力=努力する行為なら、自力が廃って他力に帰すると、努力しないことになる。
⑦その反証が親鸞聖人の救われてからのご活躍である。
⑧自力を捨てよとは「善で後生助かろうとする心を捨てよ」である。(④の繰り返し)
となります。

テーマが「自力とは何か」ですし、結論にありますので、この論説で言いたいのは④と⑧の、
自力とは「後生助かろうとする心」であり、自力を捨てよとは「善で後生助かろうとする心を捨てよ」である。
であることが分かります。

これは一読すると正しいように思えますが、正しくありません。
それは「阿弥陀仏の本願」が抜けているからです。
いや、②に「阿弥陀仏の本願力」とあるし、⑦に「弥陀の救い」とあるではないかと言われるかもしれません。
しかし、自力の説明をしている一番大切な④や⑧の記述に「阿弥陀仏の本願」がなく「後生助かる」という言葉のみが書かれています。

一つ前のエントリー中の親鸞聖人御消息のご文にありますように、
自力とは「わがはからひのこころをもつて身・口・意のみだれごころをつくろひ、めでたうしなして浄土へ往生せんとおもふ」ことなのです。
「後生助かる」ことと「浄土へ往生する」こととは、自明的に同じではありません。

2つの文章を読み比べられるといいでしょう。
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