顕正新聞を読んで④ その6

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2009/11/01(日)

⑥ もし、人間の努力そのものが自力なら、自力が廃って他力に帰すれば、全く努力しない人間になることになる。そんな馬鹿なことがどうして考えられよう。

 親鸞聖人の救われてからの大活躍を見よ。
 世界の名著『教行信証』のご執筆は、一切経を何度も読破する努力なくしてありえただろうか。法友との三大諍論も、弥陀の救いを明らかにするための聖人の決死の精進努力の表れではないか。
 信行両座の諍論で、同じく信の座に入った法友で親鸞聖人と比較できる人があるだろうか。聖人の努力は際立っておられる。



「後生助かろうとして・・・」という話をしていたのかと思ったら、急に「救われてから」の話になっております。
これはどうしたことでしょう。
それにしても「人間の努力そのものが自力」とはいったいどこの誰の主張なのでしょうか。
書くにまかせて、聖覚法印や信空上人、法力房蓮生(ほうりきぼう れんせい、熊谷次郎直実のこと)までも批判していますが、この論説を書いた人はこれらの方々を批判できるほどの人なのでしょうか。
私自身も、
「濁世の道俗、よくみづからおのれが能を思量せよ」(化身土文類)
「今の時の道俗、おのれが分を思量せよ」(化身土文類)
の親鸞聖人のお言葉を忘れないようにしたいと思います。

以上で、「顕正新聞を読んで④」を終わります。
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