「火の中を わけても法は 聞くべきに 雨風雪は ものの数かは」が蓮如上人の歌になった経緯の探索

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2009/11/02(月)
火の中を わけても法は 聞くべきに 雨風雪は ものの数かは
この歌の作者は花園天皇(1297-1348)ですが、親鸞会では蓮如上人の歌とされています。
私の推測ですが、たぶんどこかの布教使がそのように言ったこと(または書いたこと)をそのまま使っているだけだと思います。

・如信上人と覚恵法師の諍論
・ハイデッガーの老後の日記
・「経言 欲知過去因 当観現在果 欲知未来果 当観現在因」の出典
・「一人一日の中に八億四千の念あり、念念の中の所作皆是れ三途の業なり」の出典
・神に仕えた者の恐ろしい結果を教えられた経文の根拠
などと同じでしょう。

この歌がなぜ蓮如上人の歌と言われているのか、まったく捏造とも思えませんので、調べますと、『鳩翁道話』の中にそのような記述があります。
『鳩翁道話』とは柴田鳩翁(1783‐1839)の道話集です。
道話とは、心学の話で、大衆向けの道徳的な説話です。
ここにも説明があります。

『鳩翁道話』には、親鸞会で使われる、そしてそれはたぶん古くから浄土真宗の説教で使われてきた話がたくさん書かれています。
例を挙げますと
・金平糖をつかんでいて、手を抜く為に壺を割った話
・目の不自由な人が消えた提灯を持っていてぶつかった話
・トイレで弁当を食べた、せっかちな人の話
・婿を選ぶ時に、両肩を脱いだ娘の話
・鏡を知らない夫婦が誤解をして喧嘩をした話
・心こそ 心迷わす 心なれ 心に心 心許すな
・よい中も 近頃うとく なりにけり となりに蔵を 建てしより後
・金毘羅を銅の鳥居でだまそうとした男の話
・道楽息子が改心した話(これは1万年堂出版の「親のこころ」に使用)
などなど。
他にもまだまだあります。
これらの話をしてはいけないということではないですが、歌の作者を変えてしまうのはまずいですね。
しかもそれが蓮如上人ですから。
(浄土真宗においては、徳川家康か徳川家光か徳川光圀か徳川吉宗か徳川慶喜か勝海舟か・・・というレベルではないでしょう。歴史学の分野ではそうでないでしょうが)
人間誰でも間違いがあるでしょうから、誤解することもやむをえませんが、誤解によるものならば、正しいことが分かった時点で訂正した方がいいですよね。
この人は本当に分かっているのかなぁ、この人の言っていることは正しいのかなぁという思いにさせてしまいます。
件の蓮如上人作とされる歌については柴田鳩翁の勘違いか、当時すでに言われていたのかは分かりません。
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タグ : 親鸞会

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