第19願のこころ

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2009/11/05(木)
 仏教を全く知らない人と話した時のことです。
 親鸞会がいつも「善をせよ、善をせよ」と言ってることについて、その人から「親鸞会の人って、そんなに善をせよって言わなければならないほど、善いことをしないんですか? まるで今刑務所から出所した人たちばかりがいるような感じを受けますよ。」と言われたことがありました。
 ごもっともでございます。
 素人から指摘されるくらい、親鸞会の人は第19願の意味を分かっていないのではないかと思います。
 NHKライブラリー『親鸞和讃 信心をうたう』(坂東性純著)から引用しましょう。
 坂東性純氏は既になくなっておられますが、坂東報恩寺の住職・大谷大学教授だった人です。

 仮の門という言葉が使われる意味は、本格的な浄土というよりは、まず浄土に導き入れて、そしてご縁が熟すると同時に、阿弥陀さまの願われる本来の救済の境地に導こうという願です。よいことをして救われたいという願い、これはおそらくもの心がついて、真の宗教心に目覚める前にたいていの人が抱く心ではないでしょうか。
 最初は自分の欲望にまかせて自堕落な生活を送っている。そうするとどうも結果がよくない。どうしてだろうと反省して、それは自分の日常生活が正しくないからだ。日常生活を正さなければ幸せになれるはずがないと、心がだんだんと善のほうに向いてきます。それは私どもの実際の体験から自然にそうなるのです。そこに倫理道徳の門が開かれます。こうしてよいことをしなければならぬ、悪いことをしてはいけないという段階が、遅かれ早かれまいります。それは宗教心という見地からしますと、まだまだ予備的な段階ですけれども、しかしこれは人間として尊い心の展開です。こういう人々を救いとろうと願っているのが第十九の願です。


 この本は一般向けの本ですので、難しいことは書かれていません。
 上の文を読んで分かりますように、第19願の心は
善をして救われようとしている人の心を、阿弥陀仏の浄土に向かわせるため
なのです。
「善をして救われようとしている人」とは、全く宗教を信じていない人も仏教以外の宗教の信者も含まれるでしょうが、仏教の中でいえば聖道門の人たちに当たります。ですが、まず聖道門の教えに従って修行しなさいとは言われず、あなたのしている善も阿弥陀仏に向ってすれば、浄土(報中の化土)へ往けますよと言われているのが第19願です。

 繰り返しますが、第19願は、善をして救われようとしている人の心を、阿弥陀仏の救いに向けるための願であって、決して、善をしていない人に対して、善をすれば助かるよと誓われているものではありません。
 善をしていない人に善をしなさいというのは、阿弥陀仏の本願以前の話です。
 講師の人のブログの内容を読むと、仏教以前です。
 親鸞会の人たちが救われないのは、阿弥陀仏の本願を聞いていないからなのです。
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タグ : 第十九願

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