宗教とカルトの違い 先の記事の続き 引用です

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2009/02/02(月)
宗教とカルトの違い

引用元:
http://www.geocities.jp/recoverycult2005/shukyotocult.html
宗教カルトを経験して以来、宗教なんてどれもうさんくさいと思うようになった、と思う人は少なくないようです。その一方で、1つのカルトを出た後、また似たようなタイプのカルトに入り、そのパターンを繰り返す人も、やはり少なくないようです。カルトは人間の「信じる」力を破壊するので、入ってしまった人は何をどの程度、どんな風に信じたらいいのかという、微妙な調節感覚を失いがちなのです。

ここでは、「宗教もカルトも同じようなものだ」という極論から冷静に身を引いて考えるために、カルトではない宗教とカルトとの違いを示します。


宗教は個人の自立を尊重する。
カルトは服従を強いる。

宗教は個々人を助け、その人の信仰的な求めを充たそうとする。
カルトは信仰的な求めを搾取する。

宗教は問いや自立した批判的な考え方を許し、また奨励しもする。
カルトは問いや自立した批判的な思考をさせない。

宗教は心理上のことと信仰上のことを統合する。
カルトは信者を「カルトの中でのよい自分」と「過去の悪い自分」に分裂させる。

宗教の改宗は一個人のアイデンティティに関わる内的プロセスの展開を伴う。
カルトの改宗は、一個人のアイデンティティに顧慮することない外的力に、知らないうちに投降してしまう。

宗教は金銭を倫理的抑制に従いつつ、崇高な目的を果たすための手段の1つとしてみなす。
カルトは金銭を、目的として、また権力を手に入れ、リーダーたちの利己的な目的を果たすための手段としてみなす。

宗教は、信者と宗教家とのセックスは非倫理的であると見なす。
カルトはしばしば、信者をリーダーたちの性的欲求のはけ口とする。

宗教は批判する人に丁寧に応答する。
カルトはしばしば、物理的あるいは法的脅迫で批判する人々を脅す。

宗教は家族、家庭を大切にする。
カルトは家族、家庭を敵と見なす。

宗教はある人が入信しようとする時には、よく考えてから決断するよう勧める。
カルトはほとんど情報を与えないまま、即断するように求める。

どうですか?違いが把握できましたか?
あなたが今後、宗教に関わる時、指標にすることをお勧めします。

参考文献:
志村 真 編訳 「カルト・カウンセリング問題資料集Ⅰ」より
リチャード・L・ダウハゥアー著
「牧師/神父(宗教家)のための指針」

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タグ : カルト

この記事へのコメント
カルト教団の中には大学のキャンパスで偽装サークルを作って勧誘活動を行うものがあるそうですね。
近藤さんはそのような活動をされるご予定はございますか?
2009/02/02(月) 21:11 | URL | 元カルト会員 #OARS9n6I[ 編集]
近藤さんは、そのような、名前を偽っての人集めの、話をされませんよ。浄土真宗のお話をされるだけで、名前も隠されません。ただいま、もっぱら、自身で、出かけて聞こうとされる方に話をされるだけ、です。高座に立って、わが身を特別と独覚心でもありません。話を自ら聞きにいかれ、また近藤さんも話をされ、その中で、話が、和やかにおこなわれているだけのことです。誰が何をしたとか、根堀葉堀プライバシーをほじくりまわしたり、規制したり、されません。人が人と話をする、みんなで、話をする、法の話で、たくさんの疑問や思う所を自由に言う、そういう事が、当たり前として実行されています。
2009/02/02(月) 22:22 | URL | ☆ #-[ 編集]
コメント有難うございます

私どもは「自信教人信」を基本としております。

つまり、蓮如上人も「教化する人、まず信心をよく決定して…」とか「自信教人信と候時は、まず我信心決定して…」とかおっしゃっていますように、信心決定されることが、「まず」大事なのであり、「その上」での「教人信」です。

信心決定した人がそれぞれの考えで布教活動をするかもしれません。(それも各自の自由ですが)
その際、会の名を背負う場合は、社会通念に従うようお話します。

会としては、ご指摘のような勧誘活動をする予定はございません。
2009/02/03(火) 01:29 | URL | 近藤智史 #-[ 編集]
お返事ありがとうございます。失礼な質問をして申し訳ありません。
「1つのカルトを出た後、また似たようなタイプのカルトに入り、そのパターンを繰り返す人も、やはり少なくない」のと同様、1つのカルトを出た後、似たようなタイプのカルトを作る者も少なくないようですので、あのような質問をいたしました。
2009/02/03(火) 07:27 | URL | 元カルト会員 #-[ 編集]
元カルト会員様、ご発言、全く失礼ではございませんよ。そのように、心を正直に打ち出されて、初めてほんとうに人は分かり合えていくのではないでしょうか?ですから今回、お書きになられて、非常に勇気を持たれよかったと感じます。遠慮は仏法には、要りませんよ。そんな正直に飾らず打ち出されることで、縁あってこの会にこられる方の方が尊いのです。疑問も、思っておられることも、打ち出されてかまいませんよ。誰もそのことで、嫌悪を持つことは無いようにしたいものです。一番大事なことですから。自分の心に、率直に言われることはすばらしいことです。他人に服従する必要は全くありません。浄土真宗はそんな、教えではないはずです。
2009/02/04(水) 00:56 | URL | ☆ #-[ 編集]
私はこの宗教とカルトの違いを読んでなるほどと考えさせられました。カルトと指摘されている日蓮系の教団を知り(冨士何とか)HPを見てみましたが、やはり一種独特の共通した雰囲気が感じられて恐怖が蘇ってきました。

私は前の記事にもありましたがカルトに特徴的なものの一つとして代表とかトップを盲目的に崇拝する組織構造が結果的に巧みに作られてしまうことがあると思います(意図したものであってもそうでなくても)。そして一旦作られたあとはそれを維持しようとカルト化し、構成員が自ら望んでそれを維持しようしてしまっていつの間にかそれが目的になってしまうのだと思います。

近藤先生は弥陀の使いと仰有られ、御同行、御同朋の精神をもっておられるのだと拝察いたします。しかし、やはり聞かせていただこうと思うならば「知識、先生」と尊敬の念をもって臨む人もあると思います。先生と私は平等だ、なんて恐れ多いと。ましてや難信の法、先生だけが頼りです、という気持ちにもなるかも知れません。恩も感ずれば、崇拝の念が生まれることもあるのではないでしょうか。誰も最初から、私は偉いという態度ではなかったと思うのです。

上にありました和やかな雰囲気でというのは素晴らしいと思います。そうでなければ心を出すこともできないと思います。私は上の人が恐くて仕方なくて何も言えなかったです。上下関係はないのでしょうか。教人信として人を導いていかれるお立場としてそのあたりをどうお考えになりますか。

個人的に直接お聞きしても良かったのですが、どうせなら他の方にも知っていただきたいと思い、こちらに質問させていただきました。
2009/02/04(水) 11:02 | URL | yuika #VkVTiyLo[ 編集]
自信がなくては、教人信はできないのは当たり前ですが、では、先生だけが頼りです、というお気持ちも、おこされた方が尊いと思います。最初に、宿善の人が、知識を求めるのですから、・・。知識に絶対服従してから、という五重の義の順番が、逆さまになっていると、聞いてさえ、いれば、聴聞さえ、していれば、という発想になってしましまいます。聞かれる方が尊いのだと思います。近藤さんは、法を話されると同時に、同行からの聴聞も当然されます。また御自身の話す言葉から、ご自身が聴聞させていただく、というスタンスだと思います。話をするばかりでは決してないと思います。法は、頭を垂れて聞くものです。けれども、人間はそこに上下があるのではないと思います。話す人も、聞かれる方も、同じく尊い、だから、平等だと思います。その中で、お互いが相手を敬い、尊敬し、信、未信、ということに関係なく、尊い存在なのだと思います。特定の人だけに、権限があり、法を話す、というスタンスは、とられていません。
2009/02/04(水) 22:54 | URL | ☆ #-[ 編集]
今日、たまたま、昔の友達に会った。先に、はあ???いつからそういう話になってたの?という内容(でも、口から口へ伝わる中で、いたしかたないと今では思ってます)それにしても、驚いたのは、私が、ある団体から、引き抜くような事を言ったら、報告せよ?地獄だ、地獄だ、化城だ、と言われて、ご本人もかなり驚いたとの事でした。??全く、辞めなさい、など言う気はさらになく、私自身も、行くことを許されていない立場、ということ以外、他人様の信教の自由を、どうこう言えるような事があるはずはないです。そもそも、信心については話してないのですから、化城もなにも、あるはずがありませんが、????ただ、私はとくにお世話になった方々から何かを言われたという事ではありませんし、そうそう、非常識な言動は、されるとは思えませんから、それは、言われるような恐ろしいことがあれば、そのいわれる訴えもあろうかとは思いますが、そんな仮想での、相手を悪く考えるのは、今は避けています。コメントの流れを壊してすみません。今日出来、のお話です。あまりにも、度を越えた仮想での、??マークの、忠告が多いように思います。大丈夫ではないかと思います。甘い、とよく言われるのですが、直接被害や、何かをされた、のならば別ですが、又聞きですから、・・・
2009/02/04(水) 23:30 | URL | 飛び入り投稿5 #-[ 編集]
近藤 智史さんが、ブログをたちあげられてから、あれこれと、批判する人がいるようです。なぜ、いきなり、批判してくるのかを考えますと、ひとえに、自信(勘違いなされないでください)弱い犬が、わあわあと文句を言うのと、似ているようです。私はとくに、その方々に、どうこうは言うつもりはありませんが、それだけ、意識をされるならば、それもまた、御縁としてよろしいかと思います。何度も申し上げますが、人を集める事やお金を集める事が目的ではありませんから、過剰な反応で、行ったらいけない、とか、批判するのは、よろしくないと思います。人は生まれながらに自由なのですから、人生は自分のものです。決して、特定の人のためにわが身の人生を捧げる事が、果たして良いのか、考えていただきたいと思います。
2009/02/05(木) 20:03 | URL | ☆ #-[ 編集]
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