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加茂仰順師『真宗の信心』より③

2009/11/15(日)
 即ち信心というてもそれは我執のないものです。法のままに助けられてゆくのであって、その法は仏心、清浄心、智恵心です。この法に助けられたのが信心です。私たちの知識の上の思いぶりが破れて、仰せのままに育てられ、仏智のはたらきで、他力信を如実に頂くのです。名号のお助けの獲られたのです。
 六連島のお軽同行でさえも、
「合点ゆかずばゆくまで聞きやれ、聞けば合点のゆくお慈悲。合点したのは聞いたにあらず、それは知ったの覚えたの。合点せいとは口では言えど、不思議不思議のほかはない」
と言うております。
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タグ : 加茂仰順

この記事へのコメント
「合点ゆかずば~」
について、昔、ある講師から
「これは本当はお軽の言葉だが、先生は庄松の言葉として話される。八文といわれた庄松の言葉にしたほうが話が分かりやすくなるからだ」
という説明を聞いた覚えがあります。
2009/11/19(木) 23:32 | URL | マダゲンエス #-[ 編集]
それって、めちゃくちゃな話ですね。
2009/11/20(金) 03:30 | URL | 近藤智史 #-[ 編集]
その後、この言葉は、因幡の源左同行の言葉であることが分かりました。
2010/09/07(火) 07:32 | URL | あほうどり #mQop/nM.[ 編集]
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以前コメントでお尋ねのあったことですが、 > 庄松同行は > 「合点ゆかずば 合点ゆくまで聞きなされ」 > といったのです。 私の持っている庄松同行の言行録にはこうした言葉がないのですが、参考までに根拠となっている引用もとの書籍名を教えていただけません
2009/11/15(日) | 安心問答(浄土真宗の信心について)

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