加茂仰順師『真宗の信心』より④

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2009/11/15(日)
 このように、知識の思いぶりが打ち破られ、名号のお助けの獲られたのが信心ですが、それの獲られないのは計らい心があるからとされています。その計らい心とは疑いの心のことであり、これを二心とも言い、分別心とも言うのです。分別心は猶予心で、知識の立場に立つものです。これを破るのが智慧の光明のはたらきです。智慧のはたらきで計らいが取り去られて、名号がすなおに頂かれるのです。仕上がった法が獲られたのが信心で、お浄土参りの人間にさせて頂くのです。仏智不思議により回向されたのです。
 ところが、疑いのある間はいけないから、よく聞いて間違いのないという心になろうとしますが、それは案外計らい心を固めにかかる場合があるものです。もしそれだとすれば、聞かしてもらう隙さえなくなってしまいます。長い間のお育てで信心が出来たよろこび、疑いが除かれたというのが、計らい心が固まったものであってはなりません。仰せを信じよう、安心しようの心が除かれて仰せがすなおに聞こえたのです。仏智不思議によって回向されるのであり、如来に見抜かれた私が救われるのです。この私を問題として成就されたお助けが聞こえて下さるのです。これが疑心あることなしです。決定の法が与えられるのですから、私の計らいを一点も加えることはありません。それは私の計らいを借らない法が聞こえて下さるからです。つまり弥陀のお助けがこの自分の上で働き給うて信心となって下さるのです。それゆえ名号(仰せ)にわが思いを加えて聞くのでもなく、またそれから差し引いて聞くのでもありません。名号(仰せ)のままを聞き、お助けの仰せのままが聞こえて下さるのです。如来のお助けに助けられるのであり、仰せのままに私の全体が計らわれてゆくのであります。
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