というわけで、今回はラーメンの話から。
富山のラーメンといえば、黒醤油ラーメンが有名になりましたが、それとは別です。
富山県射水市のラーメン屋に「ラーメン工房」という店があり、チャンポンを売りにしています。
このラーメン屋があるのが小泉交差点ですが、小泉という場所は、江戸時代の西本願寺の学僧「僧樸和上」の生れた所です。
若い時は勉学に励み、米を炊く時間を惜しむが為に生の米を含んで、水を飲み噛んで食べていたことから、「米噛僧樸」と言われたそうです。
以前のコメントにも書きましたが、ちょっとアレンジして繰り返します。
(なお、このコメントを書いた11月5日は、僧鎔師の亡くなった空華忌だったんですね)
陳善院僧樸師は第四代能化・演暢院法霖から学びました。
44年間の短い生涯でしたが、僧樸門下からはいろいろな学轍が生れています。
空華轍 陳善院僧鎔師
石州派 実成院仰誓師(『妙好人伝』などの作者)
仰誓師の子が履善師、履善師の弟子が大厳師
芸州派 深諦院慧雲師
芸州派から龍華派の雲龍師が出ています。
また、慧雲師の弟子が芿園派の真実院大瀛師と石泉轍の勝解院僧叡師です。
豊前派 崇廓師
大同師
大同師の弟子の遍照院大乗師の弟子が圓成院南渓師です。
玄智師
大麟師(『真宗安心正偽編』の著者)
このように、僧樸師の後、西本願寺の江戸宗学の黄金時代が到来します。
(それから間もなく三業惑乱が起きるのですが・・・)
なお、桃花房智洞も若い時に僧樸師から学んだことがあります。
僧樸師のエピソードは『法悦百景 深川法倫法話会報抄』(山口聖典研究会・編 探究社)にも出ています。
Book:ウィキポータル 法悦百景の五十八を読んで下さい。
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