宿善といふこと 4

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2009/11/20(金)
『親鸞の世界 -信の領解-』(加茂仰順師)より

宿善の「宿」は本来「自覚以前」という意味です。つまり「気がつく前」ということで、弥陀のご本願は私が気がつく前にすでに起こされていたのであります。気がついた時はすでに手遅れなのであります。その意味からすれば、気がついた時は、たとえ私が今までに行ったとしても、私のものではなかったのであります。また「宿」の中にはただ今までの過去のすべてが入り、善とは法性にかなう浄業のことであります。そうした浄業は如来のなさしめ給うはたらきのほかにはないわけであります。だから、宿善とはどこまでも、信の上の反省と言わねばなりません。信を通さないと宿善は出てきません。そこには永い間、聞かせていただきながらはねつけていた私が出てまいります。お与えものをはばんでいました。邪魔をしていました。深い恵みが与えられていました。如来から計らわれていた私であります。自分のすべてが如来のはたらきかけの中にいたのであります。たとえ無駄をしたようでも、無駄ではなかったのであります。ともかく、現在の信の反省において、如来の計らいであったといただくのが、遇い難くして今遇うことのできたこの身いっぱいの喜びであります。今素直に掌を合わさせていただく幸せであります。要するに、宿世の善根というほどの善は私には有ることが無いわけで、宿善は如来から私たちへのはたらきかけの善ということになります。わが後生の問題に大事にかかってきたのがすでに宿善到来したしるしであります。


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