阿含経にはこのような話は出ています

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2009/11/26(木)
阿含経典による 仏教の根本聖典』(増谷文雄著)より
南伝 相応部経典 42-6 西地人

 かようにわたしは聞いた。
 ある時、世尊は、ナーランダー(那羅陀)なるパーヴァーリカンバ(波婆離迦菴羅)林にましました。その時、アシバンダカプッタ(刀師子)なる部落(むら)の長が、世尊を訪れ来たり、世尊を拝して、問うて言った。
「大徳よ、西の方より来たれる婆羅門は、水瓶を持ち、花環をつけ、水に浴し、火神につかえ、死せる人々を天界に昇らしめることができるという。大徳は、あまねく世人の尊敬をうけられる覚者であられるが、大徳もまた、人々の身壊れ、命終わりて後、善趣天界に上生せしめることを得るのであろうか。」
「部落の長よ、では、私から、なんじに問うてみたい。なんじの思うとおりに答えてみるがよい。部落の長よ、なんじはこれをいかに思うであろうかここに一人の人があって、人を殺し、物を盗み、偽りを言いなど、あらゆる邪まの業をなしたとするがよい。そこに大勢の人々が集まり来たって、『この人死して後は善趣天界に生まれるように』と、祈祷し、合掌したとするならば、なんじはいかに思うか。この人は、この大勢の祈祷合掌の力によって、死後、天界に生まれることができるであろうか。」
「大徳よ、いいえ、彼は天界に生まれることはできますまい。」
「部落の長よ、たとえば、ここに一人の人があって、深き湖の水の中に大きな石を投じたとするがよい。その時、そこに大勢の人々が集まり来たって、『大石よ、浮かびいでよ、浮かび上がって、陸にのぼれ』と、祈祷し、合掌して、湖のまわりを回ったとするならば、なんじはいかに思うか。その大いなる石は、大勢の人々の祈祷合掌の力によって、浮かびいでて陸に上がるであろうか。」
「大徳よ、いいえ、大きな石が浮かびいでて陸にあがるはずはありません。」
「それと、同じことである。あらゆる邪悪の業をつんできたものが、いかに祈祷し合掌したからとて、死後、天界におもむく道理はない。その人は、身壊れ、命終わりて後は、悪趣地獄に生まれるのほかはないのである。
 では部落の長よ、さらに、なんじは、このような場合には、いかに思うであろうか。ここにまた、一人の人があって、生きものを害せず、人の物を盗まず、偽りを語らず、あらゆる善き業を積んだとするがよい。しかるに、大勢の人々が集まり来たって、この人死して後は悪趣地獄に生まれるようにと、祈祷し、合掌したとするならば、どうであろうか。なんじはいかに思うか。この人は、人々の祈祷合掌の力によって、死後は地獄に生まれなければならぬであろうか。」
「大徳よ、いいえ、そのような人が地獄に堕ちるはずがありません。」
「その通りである。たとえば、ここに一人の人があって、深き湖の水の中に油の壺を投じたとするがよい。そして壺は割れ、油は水の面に浮いたとするがよい。その時、大勢の人々が集まり来て、『油よ沈め、油よ沈め、なんじ油よ、水の底にくだれ』と、祈りをなし、合掌して、湖のまわりを回ったとするならば、なんじはいかに思うか。その油は、人々の合掌祈祷の力によって、沈むであろうか。」
「いいえ、大徳よ、油が水の底に沈むはずはありません。」
「それと、同じことである。あらゆる正善の業をつんできたものは、いかに祈ったからとて、合掌したからとて、その力によって死後、地獄におもむくはずはない。その人は、身壊れ命終わりて後は、善趣天界におもむくことは必定である。」
かく教えられた時、部落の長は、世尊にもうして言った。
「よいかな大徳よ。譬えば、倒れたるを起こすがごとく、覆われたるを啓くがごとく、迷える者に道を示すがごとく、また眼ある者は見よとて、暗の中に燈火をもたらすがごとく、世尊は種々の方便をもって、法を説き示された。願わくは、今日より終世かわることなき帰依の信者として、私を許し受けられんことを。」

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