阿含経関連のエントリーの補足

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2009/11/27(金)
阿含経の話に関する2つのエントリーについてのご質問がありました。
あれは「親鸞会の書籍やアニメに使われている話の元はこうですよ」ということをお示ししただけで、それほど深い意味はありません。

「阿含経にはこのような話は出ています」の話は、下記の文の元の話です。

こんなことが知りたい②問27 読経は死人の為になるのか
 死人に対する一番の御馳走は読経だと、皆さんが言われますが、お寺さんにお経を読んで貰うことは、死んだ人の為になるのでしょうか。

答の中の一文
 ある時釈尊に、一人の弟子が、「死人のまわりで有難い経文を唱えると、死人が善い所へ生まれ変わるという人がありますが、本当でしょうか」と、尋ねたことがありました。その時釈尊は、黙って小石を一個拾われて、近くの池の中に投げられました。水面に輪を描いて沈んでいった石を指さして、「あの池のまわりを、石よ浮いてこい、浮いてこいと唱えながらまわれば、石は浮いてくるであろうか」と、釈尊は反問せられました。石は、それ自身の重さで沈んでいったのだ。人間もまた自業自得によって、死後の果報が定まるのだ。経文を読んで死人の果報が変わる筈がないではないか。と言うのが釈尊の教えでありますから、読経や儀式で死者が救われるという迷信は、もともと仏教にはなかったのです。


 浄土真宗の信心とは関係ないのですが、言いたかったのは次のようなことです。
①元の釈尊の話の半分だけ使われているということ
②「有難い経文」とありますが、釈尊在世中にお経があるはずありませんので、元はどうなっているのかというもっともな質問をしてくる人がいて、それに答えただけです。


「阿含経にはこのような話も出ています」の話は、下記の文の元の話です。

こんなことが知りたい①問29 誰の説法でも同じことではないのか
 私の近所に、お寺さんなら、説教される人なら、どなたのお話を聞いても同じだと言う人がありますが、本当に誰に聞いてもよいのでしょうか。

答の中の一文
 また、阿難がある時釈尊に「善知識は、さとりの道の半因縁と思えばよいのでしょうか」と尋ねると、「そうではない、善知識は全因縁である」とまで答えていられます。これらの仏説でもお判りのように、まことの信心決定した善知識を求め探して聞法しなければ、如何に真剣に聴聞しても助かることがありません。


 これは善知識の意味が全く違いますね。
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タグ : 阿含経

この記事へのコメント
こんなことが知りたいの、善知識は全因縁、半因縁だかの話をまったく忘れていました。
ああ、なるほどと、あそこの元になった話でしたか。お手数おかけしてしまいました。
ありがとうございました。
踏まえた上で、また記事を読ませて頂きます。
2009/11/28(土) 10:34 | URL | (仮) #-[ 編集]
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