第1項 法然聖人の事蹟
①法然聖人は崇徳天皇の長承3年(1133年、源信僧都没後116年)
美作国久米の稲岡に生まれる。
②9歳の時、父の横死に遭い、遺言により出家する。
15歳の時、比叡山にのぼり、はじめ源光につき学び、(次いで皇円)、
後黒谷の叡空の門に入る。
③黒谷の報恩蔵にて散善義の文により念仏往生の妙旨を体得し、余行を捨てて念仏一行に帰す。
(43歳、親鸞聖人誕生後3年)
④後、東山の吉水にて有縁の人々に念仏の教えを説く。
諸種の難題起こり、遂に念仏停止となり、四国に流される。
4年を経て帰洛したが、翌年、順徳天皇の建暦2年(1212年)、
東山大谷にて自寂す。年80。
第2項 著書
①西方指南抄
法然上人の法語や行状を記す。27章より成る。
②漢語灯録 10巻
望西樓了慧の編集
大経釈
観経釈
小経釈
選択集
往生要集大綱
往生要集略料簡
往生要集詮要
③和語灯録 2巻
三部経釈
往生大要抄
念仏往生要義
七ヶ条の起請文
④一枚起請文
勢観房源智の請によって臨末に書きのこされたといわれる一枚法語。
一代仏教の本意を略述し、門弟への遺誡ともなる。
⑤選択本願念仏集
選択本願の行である念仏について諸師の要文を集め、他力本願のみ心をあらわし、
念仏一法が超勝であるという選択本願の念仏をあらわしたもので、立教開宗の要典である。
この書は種々説があるが、建久9年(法然聖人66歳)、藤原兼実公の懇望によって、
念仏の要文を撰集したものである。
16章より成り、各章始めに経釈の文を挙げ、後に私釈を加う。
(1)特に標宗の文 南无阿弥陀仏 往生之業 念仏為本
(2)三選の文は本集の精髄にして、法然教学の骨目である。
本集は法然聖人入滅の年(建暦2年)印行出版される。
第3項 教義の大要(以下項目のみ)
1 浄土宗独立
2 選択本願念仏
3 信疑決判
4 難易勝劣
5 三選の文