『本願寺 なぜ 答えぬ』を読んで③(既出問題)

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2009/12/11(金)
今回は既出問題ですが、
(三)第二の非難──諸善は、獲信の因縁ならず──
の一文を取り上げます。(93頁)

 宿善の厚い頓機は、はやく救われる(信心獲得)からよかろうが、宿善の薄
き漸機は、どうすればよいのか。
 これこそが、宿善問題の、最要課題であろう。
しかも、宿善厚き頓機は、極めて少なく、宿善薄き漸機は、圧倒的に多いのだ。
 記録に残っているものから、窺っても、法然上人のお弟子、三百八十余人中、
頓機は、親鸞聖人と蓮生房、耳四郎の三人のみ。
 聖人の門下では、明法房弁円、ただ、一人である。
その外にもあったであろうが、甚だ少なかったから、法然上人は『和語灯録』
に、
「頓機の者は少なく、漸機の者多し」
と、仰せられている。


この文は、親鸞会発行の『会報 第3集』などの記述と同じで、『和語灯録』の文については、すでに昨年(平成20年)4月23日に「清森問答 親鸞会教義の相対化・32」で指摘されています。
以下該当箇所を抜粋します。

【2】『会報』vol.3p.55~宿善(2)

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よって宿善の厚薄は、また聞法心の強弱によって知ることが出来る。仏教では宿善深厚の人を頓機といい、宿善薄弱な人を漸機といわれる。頓機の者は一度の法筵に遇っても信を獲るが、漸機の人は法筵を重ねて、漸く信を獲得するのである。丁度、枯松葉と青松葉のようなものである。枯松葉はマッチ一本ですぐに火がつくけれども、青松葉に火をつけようとしても、プスープスー水をはじいて、中々火はつきにくい。それと同様に頓機は御慈悲の火がつきやすい状態になっている人だから、すぐにも仏凡一体と燃え上るが、漸機は今日もカラボコ、今日も落第どう聞けばよいのか、どれだけ聞けばわかるのかと、ブスブス小言ばかりいって、流転しているのである。しかも漸機の者は圧倒的に多く、頓機は稀なのである。
記録に残っているものから窺っても、法然上人のお弟子の中では、わが親鸞聖人と蓮生房と耳四郎の三人のみが頓機である。
聖人の門下では明法房、ただ一人である。その外にもあったであろうが甚だ少なかったから、法然上人は『和語灯録』に頓機の者は少なく、漸機の者は多しと仰せられている。
>>>

これは本当に『和語灯録』に基いた記述なのでしょうか?

私はこのような記述を『和語灯録』で読んだ記憶がなかったので、確認のために全文読み直したのですが、やはり見つけることができませんでした・・。


>>>
人の心は頓機漸機とて二品に候なり。頓機はききてやがて解る心にて候。漸機はようよう解る心にて候なり。物詣なんどをし候に、足はやき人は一時にまいりつくところへ、足おそきものは日晩しにかなわぬ様には候えども、まいる心だにも候えば、ついにはとげ候ように、ねごう御心だにわたらせ給い候わねば、年月をかさねても御信心もふかくならせおわしますべきにて候。
『往生浄土用心』昭法全p.562

(訳)
人の心には頓機、漸機という二つがある。頓機というのは聞いたならばすぐにその内容を理解できる人、漸機というのは徐々に理解していく人のことをいう。たとえば神社仏閣へ参詣するにしても、足の速い人は、わずかな時間でそこまでたどりつくことができるのに、足の遅い人は一日かけても着くことができないようなものである。
しかし、そこに行こうという心があれば、最後には必ずお参りすることができるのと同じように、浄土に往生したいと願う気持ちさえあるならば、時間はかかっても御信心は深くなっていくに違いない。
>>>


『和語灯録』において「頓機」「漸機」について言及する用例は、私の調べた限り以下のものだけだったのですが、高森先生の述べられる内容とかなり異なっているようです。

高森先生は人の機根を頓機・漸機で差別するように語っていますが、法然上人は信心の弱さを嘆く人に、往生を諦めないように励ましておられます。

これは、「親鸞会教義の相対化・29」の「§1信心の弱さを嘆く人へ」で私が挙げた用例に通じるものです。


清森問答をご覧になっている方の中には、高森先生や親鸞会教義を擁護する立場の方も沢山おられますから、上記の高森先生の説に一致する『和語灯録』の記述があるのであれば、ぜひご教授いただきたいものです。


 法然聖人の法語で「頓機・漸機」という言葉が出てくるのは、上にもありましたように、『往生浄土用心』です。浄土宗関係の本では『昭和新修 法然上人全集』(平楽寺書店)の562頁ですが、浄土真宗関係の本では『真宗聖教全書 四 拾遺部上』(大八木興文堂)の「拾遺語燈録 巻下」769頁にあります。
※なお「拾遺語燈録」は「拾遺黒谷上人語燈録」とも言われます。

 私も『和語燈録』を読みましたが、『なぜ答えぬ』『会報』に書かれているような記述はありませんでした。

 法然聖人が仰っているように、頓機・漸機という言葉はあります。(あまり使われませんが・・・)
 頓悟の機・漸悟の機ということです。
 一般的に「頓・漸」は教法について言われるのですが、それを機について語ったもので、その意味は早く救われる人とそうでない人ということです。
 参照:
  尊号真像銘文の法印聖覚和尚の銘文。
  また真宗学には「教頓機漸の真門」という用例があります。

 「宿善問題の最要課題」の根拠がいい加減では困ったものです。
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