『本願寺 なぜ 答えぬ』を読んで④ 七つの質問に代わりに勝手に答える①

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2009/12/15(火)
『本願寺 なぜ 答えぬ』の本文についての言及はこれまでとします。
なぜかといいますと、
・三願転入、第19願の意味
・方便の意味
宿善の意味
など、これまで述べてきましたので、それらを読んで頂ければ分かることだからです。

また、
第三の非難 布教は信心獲得している者に限る
第四に非難 親鸞会の破邪顕正は間違い
第五の非難 親鸞会への財施は、獲信の因縁にならぬ
の三項目に関する本文はそれほど重要ではないように思われますので、パスします。

そこで、これからは親鸞会から本願寺に出された七つの公開質問状について、私が勝手に答えることにします。
質問文は、『本願寺 なぜ 答えぬ』に書かれてあるものに改行の変更を加えます。

第一問

宿善とは宿世の善根という意味で、現在から過去をふりかえっていう言葉である。すなわち、私どもが現在、尊い法に遇い、これを信じ喜ばせていただく身になったのは、宿世の善根によるのであるという」(回答書ⒶP・一三七)
宿善とは遇法獲信の現在から過去にさかのぼって、その縁由を喜ぶものであって、その縁由となった過去の善根については、これを自己の修する善である(宿善自力説)」(回答書ⒶP・一四四)
このように過去をふりかえって喜ぶものが宿善なのに、親鸞会は未来に向かって求めよと修善をすすめるから、間違いだ、といわれています。
回答書ⒶⒷには、同趣旨のものが、四、五ヵ所もあります。
そこで疑問が生じます。
ならば、今年、獲信した人は、昨年、自己の修した善をふりかえって、宿善と喜ぶことになります。
無論、獲信と修した善が無関係ならば、喜ぶはずがありません。
明らかに獲信と修善は関係があったから喜ぶのです。
しかも、悪い関係ならば、喜ぶはずはないのですから、
当然、善い関係でなければなりません。
獲信と善い関係にある修善をすすめることを、なぜ、間違いとされるのか。
また、
「獲信の現在から過去にさかのぼって」の過去には、今生は、はいらないのか。
おたずねいたします。
要約
①獲信とよい関係にある修善をすすめることは、間違いか。
②過去に今生は、はいらないのか。


【答え】
①獲信とよい関係にある修善をすすめることは、間違いか。

「今年、獲信した人は、昨年、自己の修した善をふりかえって、宿善と喜ぶことになります。」
という前提のご質問ですが、
「今年、獲信した人は、昨年、自己の修した善をふりかえって、宿善と喜ぶことにはなりません。」
ので、質問自体意味がありません。
なお、少し補足を加えるならば、
ご質問が、
「獲信の為に修善をすすめることは、間違いか。」ならば、答えは「間違い」です。
「修善をすすめることは、間違いか」ならば、答えは「間違いではないですが、それが信心獲得や往生浄土と何か関係ありますか?関係ないですよ。」
となります。

②過去に今生は、はいらないのか。

はいりますよ。それがどうかしましたか?

第一問は以上です。
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