「無明の酔ひもやうやうすこしづつさめ」の意味 を聞き間違えないための補足

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2009/12/17(木)
信心の人も 煩悩がやまぬ
以前より ひどいこともある
これは 大寒のあとの 余寒のような ものじゃ
やがて 次第に 暖かくなる
          (七里 恒順和上)
法悦百景 深川倫雄和上]より

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この記事へのコメント
清森・上田さん達は、先の親鸞聖人のお言葉を出して、
「求道していけば煩悩は減るよ」と言っていますが、

結局、近藤さんの理解はどうなんですか?
2009/12/17(木) 12:24 | URL |   #-[ 編集]
どなたが何を言っておられるかは存じませんが、
あの親鸞聖人のお言葉は、煩悩が減るという意味ではありません。
勘違いする人がいるかもしれないので、わざわざ七里恒順師の言葉を出しました。

死ぬまで、煩悩具足の凡夫です。
2009/12/17(木) 13:05 | URL | 近藤智史 #mQop/nM.[ 編集]
煩悩まみれのまま浄土往生できるのが親鸞聖人の教えということなのですね。

有り難いことです。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
2009/12/18(金) 15:05 | URL | エスポワール #mQop/nM.[ 編集]
回答有り難うございました。
清森・上田さん達が必ずしも正しい解釈をしている訳ではないということを知りました。
2009/12/18(金) 15:21 | URL | #-[ 編集]
疑問があるのですが、この死ぬとは、肉体の死ですか?

それとも魂のことですか?
2009/12/23(水) 11:17 | URL | 通りすがり #-[ 編集]
肉体ですよ。
2009/12/23(水) 11:53 | URL | 近藤智史 #mQop/nM.[ 編集]
ありがとうございます。

近藤先生が教えられていることは

煩悩がなくなって、往生するのは肉体が死んでからだということが
よく分かりました。

では、そこで疑問がありますが、近藤先生の言われていることは

体失不体失往生の諍論の体失往生のことを言われているように感じるのですが、

これはどのように理解したらいいのでしょうか?

2009/12/23(水) 12:20 | URL | 通りすがり #-[ 編集]
三大諍論、といわれていますが(特に言われる団体もあるようです)
この諍論は、事実として、本当にあったのでしょうか?そこから、分かりません。
歴史の事実として、あった、という大前提でですが、信憑性はどれほどなのでしょうか?
2009/12/23(水) 13:11 | URL | GS #-[ 編集]
三大諍論に、ついて調べたり聞いたりしていますが、いまだに分かりません。
大きな諍論ですから、わざわざ三大、と言われるのでしょうが、真宗関係の方々に聞いても
信心一異はあったが、、、、限りなく無いのでないか、という言われる人が多いのですが、
どうした訳でしょう。三大という有名な事ならば、分かりそうなものですが。
2009/12/24(木) 08:38 | URL | GS #-[ 編集]
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